ここ数日、朝の冷え込みが大変強く、氷点下になることもある。風が吹くと体感温度はさらに下がるから結構辛い。全身の疲労感倦怠感を覚えるのはなぜなのかと思えば、おそらく朝の保温のために体力が注ぎ込まれることにあるのだろう。
筋肉の低下という問題に直面している。すぐに筋肉痛を感じるのはよくない。極力歩き、座らず、階段は歩くという方針で運動の代わりにしているがやはり、それなりの活動はいるようだ。何かやらなくてはとは考えている。
日々の思いを言葉にして
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元日という言い方は古いのだろうか。若い世代では元日という言葉を使わなくなっているのかもしれない。先日、ある場所で若者の話すのを聞いているとどうもその中に元日の意味がわからないという人がいるようだった。1月1日のことだと仲間に教えてもらい。知らなかったと答えていた。どうも、それまでの人生に元日はなかったようなのだ。

年賀状に書く元旦の方はもっと分からないのだろう。1月1日の朝を意味するこの言葉を知らなければ賀状の意味は理解できないし、年賀状のお返しに元旦と書いてしまうことになる。もっとも最近は年賀状を書くこと自体が減っているからこの心配は無用なのだろう。
旧暦においては元日は皆が一斉に歳をとる日であり、神を迎え共に御膳をいただく神聖な1日だったはずだ。今は単なる通過点に過ぎない。あえて言えば商店等が休業になる所が多いということだけが他の一日と異なるだけなのだろう。
今年の元日は能登の大地震が発生し、大変驚いた。何があるかわかないが、石川啄木の「何となく、今日はよい事あるごとし。 元日の朝、晴れて風無し。」のような1日になってほしいと願うばかりである。

冬の花として椿と山茶花は寒風に負けず鮮やかな花を見せてくれる。両者は一見似ているが、山茶花が10月ごろから咲き始めるのに対して、椿は12月ごろからで花期が違う。ただ12月以降は品種によっては重なって咲く。
葉の大きさが大きく、つやがあるのが椿であり、小さ目で細かな毛があるのが山茶花であるが、決定的に違うのが花の咲き方と散り方で、椿の花はカップ状に咲くが、山茶花は平たく開ききる。また、椿が花ごとぽとりと落ちるのに対して、山茶花は花弁がばらばらになって散る。これが最も分かりやすいようだ。
山茶花は日本固有種ともいわれており、学名もCamellia sasanquaと日本語がそのまま採用されている。ちなみに椿はCamellia japonicaだが朝鮮半島や台湾にも分布するらしい。ヨーロッパに紹介したGeorg Joseph Kamel(ゲオルグ ジョセフ カメル)という宣教師兼植物学者の名前を冠してこのような名前になったようだ。日本の花として紹介されたということになる。
園芸種としても珍重され、さまざまな品種改良がなされている。なかには椿と山茶花を交配したものもあり、それは両方の性質をもつものもあって既述した区分で分けられないこともあるという。
ついでにいえば茶の原料となるチャノキもツバキ科であり、Camellia sinensisという学名だ。sinensisは「中国の」という意味らしい。椿と山茶花と茶の木が実は近縁種であったとは。身近にも知らないことは多いものだ。
2024年は12月21日が冬至に当たる。二十四節気のうちの大きな節目である冬至は一年で最も昼の長さが短くなる日であり、逆に言えばこの日から昼の長さが少しずつ長くなる。その意味では復活の日ともいえる。古人は物の影が最も長くなる日として把握していただろう。多くの節気が暦の存在を前提としているのに対し、直感的に感じ取れる当時は特別なものであったはずだ。
冬至の記録上の初出は『続日本紀』の725年11月の記事である。当時は聖武天皇が国家仏教の考えのもと様々な行事を行っていた時期であり、冬至を祝うのも大陸の風に倣ったものであろう。ただそれ以前から、冬至に関する民間伝承はあったはずだ。たとえば天岩戸神話が冬至に行われた祭祀と何らかの関係があったのではないかという説は有力である。世界を見渡してもクリスマスのようにこの時期の前後に何らかの宗教行事を行う文化は多い。しかもそのテーマが復活や再生であることは自然現象に対する人間の素朴な信仰に端を発しているのかもしれない。気象学的には厳冬期に入る直前の季節であるが、日の長さが長くなる事実は人々にとっては頼もしいことであり、生命力の再興を想起させたのだろう。
南瓜を食べたり、柚子湯に入ったりとさまざまな民俗があるが、今よりはるかに過酷であった冬季をしのぐための生活の知恵が形を変えて定着したものと考えられる。現代人はその理由をすでに理解できなくなっているが、おそらく切実な願いが背景にはあったのだろう。空を見上げることも、明日の天気を占うこともおろそかになっていることを反省するのである。
これから気温がが下がっていくという予報が出ている。強い寒気が南下する影響で寒い季節に拍車がかかるようだ。東京でも明日、もしかしたら初雪になるかもしれないという。東京の降雪の条件は微妙な要素が多く予報が難しい。もしかしたらという覚悟でいたい。
初雪を吉兆と見る精神は古代からあった。雪を豊作の予兆と考えるのは農耕民の経験知のなせるわざだろう。表土が雪に覆われることでかえって保温されるということを故人は理屈ではなく知っていたのであろう。
東京人にとっては雪は年数回の珍事に過ぎない。その都度喜び、ちょっとしたことで事故を引き起こす厄介なものでもある。それでもやはり降雪はどちらかといえばポジティブにとらえられる。
明日、雪を見ることができるのか分からない。降れば冬の到来を実感することだろう。それは嬉しい確認であり、覚悟を促す天象でもある。
渋谷に住んでいた頃、代々木オリンピックプールに時々泳ぎにいった。競技用なので水深が深く、あまり水泳が得意ではなかった私にとっては少々恐怖もあった。
そのプールが冬季にはスケートリンクになった。これもホッケーやフィギュアスケートの国際大会が出来る仕様なので広くアマチュアというか初心者には贅沢だった。よく考えると滅多にない体験をしていたことになる。
アイススケートも得意ではなく、何とか周回できる程度であったが、なぜか何度も行きたくなった。怪我しても筋肉痛になってもだ。
でも、今となっては相当な勇気が必要だ。イメージ上では華麗なターンを決めてみても、実際に身体が着いてゆくとは思えない。でも一度やってみたいとは密かに考えている。
降雪地域に住んでいた頃はこの頃にタイヤ交換をした。実際はもう少し早い方がよかったと思うが、師走に入ってようやく手をつけたという年が多かった。スタッドレスと呼ばれる冬用タイヤは雪道や凍結した路面を走行するのに不可欠であり、私のような雪国ネイティブでない者にとっては命綱のようなものだった。
ガソリンスタンドでも交換してもらえるが、その手間賃を払うのもケチっていた私は自分で取り替えた。最初の数年は時間がかかったが、その後は要領を得て速くできるようになった。そうは言っても寒空の中で白い息を吐きながら行う作業には抵抗があってなかなか着手しなかったのはそれが原因だった。遅くなるほど寒くなるのだが。
本格的な降雪は数日のことで大抵は融雪装置で半ば解かされたシャーベット状の路面を走った。通勤の必要性からとは言え、よくもあのような不安定な道を走ったものだ。
いまでもたまに運転はしているが雪道走行はできればしたくない。そんなことが言えるのは関東に住んでいるからだろうが。この時期になるとタイヤ交換のことをふと思い出す。