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アメリカ大統領は

 大統領選挙の開票が始まった。最近の世論調査ではバイデン候補がリードしているというがまったく当てにならないのは前回で証明済みだ。景気回復を国民の自尊心と結びつけて果敢に猛進するのか、弱者救済を考慮しながら多少の損失があっても協調を重んじるのか。アメリカ国民にとっては難しい選択だろう。どちらの候補にも大きな難点があるのも話を複雑にしている。

 日本では二人の候補を漫画ドラえもんの登場人物にたとえて紹介する報道がある。トランプ大統領はわがままで強引なジャイアンに、バイデン候補を優等生の出来杉くんだとするものだ。これは自国民にとってはある程度当たっているのかもしれない。ただ日本にとってはどちらの候補もジャイアンであることに変わりない。

 次なる大統領が何を目指し、何を要求してくるのか。その辺を見きわめながら手製のドラえもんにその場しのぎの機械を出してもらうしかあるまい。

あと1週間

 アメリカ大統領選挙まであと1週間だ。我が国の未来にも多大な影響をもたらす選挙だけに注目している。共和、民主のどちらが勝利しても日本に有益というだけではない。いずれにもリスクがある。

 国際的な協調を基盤として生きていくしかない我が国にとっては、アメリカという大国の力をうまく活用し、ときに協力し、あるいは批判して超大国の本筋を踏み出さないように影響を与えることが必要だ。経済問題は重要だが、東アジアの治安を維持するための同盟関係を展開することの方が大切だ。隣国との小競り合いに事態を見誤ってはならない。

 大統領候補のいずれにも欠点が見えるのが今回の選挙の難しいところだ。アメリカ国民はどのような選択をするのだろうか。

差別の根源

 アメリカの黒人差別問題が世界中に波及しつつあります。その背景には自己中心的な自己優先主義があるように思えてなりません。

 黒人差別の問題は古くて新しい問題です。帝国主義時代の奴隷貿易から今に至るまで形を変えて続いています。資本主義の存在に欠かせない格差という仕組みを人種差別は直接請け負ってきたのではないでしょうか。格差を意図的に作り出すシステムとして被差別民の存在が悲しいことに機能し続けているのです。

 同じ人類としてそれはおかしい。グレートジャーニーの末に風貌は変わっても元は同じ生物であるのに。同じ遺伝子をもつ者同士に格差をつけ差別するのは道理に合わないことは変です。

 差別の問題がいま噴出しているのは自国自民族優先主義の軋みが出ているのではないでしょうか。自分の領分だけを豊かにするという考え方は、その周辺にあるものを攻撃することと同じことだからです。それほど人々をいらだたせているのは何なのか。それを考えるべきです。

黄砂

 

 今朝はどことなく空が霞んで見えます。天気予報によると大陸から黄砂が飛来しているとのこと。季節の風物詩といえばそれまでなのですがアレルギー持ちとしては厄介な現象です。

 今回のウイルス騒動でもそうですが世界は繋がっていると感じさせます。長屋王の「山川異域 風月同天 寄諸仏子 共結来縁」の感慨に至るきっかけはいくらでもある訳です。

共生と独自性

 今年行われたラグビーワールドカップが残したものは大きいと感じています。日本チームの健闘はもちろんですが、そのチームが多国籍の選手で作られ、しかもその戦略は日本語で行われていたことが非常に示唆を与えてくれました。スポーツのあり方を越えた今後の社会の方向を予感させてくれるものでした。

 イングランド大会で日本代表チームが南アフリカに勝利したときには、日本代表選手にカタカナ名の人物が多数いたことに対して一種の拒否感があったことは否めません。それがラグビーという競技の特殊性という枠の中で納得されようとしていたことも事実です。今回の日本大会でラグビー流の考え方は一気に広まりました。そしてこの競技はいわゆるにわかファンを受け入れる懐の深さがありました。

 この大会でかなり多数の日本人は各国の国歌を覚え、試合前の国歌斉唱で歌いました。地域の取り組みとして国歌を披露したこともあったようです。国別対抗という形をとる試合ではどうしてもホームアンドアウエー的な殺伐した感がでてしまうのですが、日本の取り組みはそれを緩和するものでした。日本流のおもてなしだと考えられた行いですが、実はこれは日本人にとって国のあり方を考えさせるきっかけにもなっていたと考えます。

 チームに外国人がいることに対しての寛容性も一気に進みました。外国籍の選手が多数いても日本代表として疑われなくなりました。当時は韓国籍だった選手がもっとも負担の重い最前線でチームを支えてくれていたことに対して大きな賛辞が送られていました。日本国籍を取得した人、国籍上は日本人でも他国の文化を持っている人などさまざまな背景の人たちがチームを組んでいるのを知り、それを素直に応援することができました。いわゆる純血に拘っている限り決して見ることができなかった風景を見ることができたのです。のちに生まれたOne Teamという言葉は非常に象徴的なものでした。

 スクラムを組む時の日本独自の作戦は日本語を通して練られたといいます。「間合い」といった伝統的な日本語をチームで共有し微妙な力のベクトルを修得していったそうです。日本語でビクトリーロードという替え歌をみんなで歌うことでチームの士気を高めたとも言います。ということは多文化共生は単なる雑居ではなく、揺るがない独自性というものがあって力を発揮するということになります。日本文化が移民によって汚され薄められてしまうという危惧は確かにありますが、それよりもこの国の文化のよさをはっきりと認識し、新入りに伝えていくことの方が現実的なことなのです。

 スポーツを離れた社会全般にもこのことは言えます。これからの日本はいろいろなことを受け入れていかなくてはならない。そうしないと国としての形を保てなくなります。ただ、どのようになっても今まで築き上げてきた伝統を強みとして磨き上げ、新しい時代に適した形で伝えていく必要があるのです。そのためにはもっと自分たちについて知らなくてはならないし、理解したことを言葉にしていかなくてはならない。グローバル化と言いつつ、自国文化を顧みなかったこれまでのあり方を反省し、日本文化を武器にすることを考えていくべきであると改めて考えています。

文化

 文化の日が単なる祝日になってしまっているのは文化が何であるのかが分からなくっているのに原因があります。文化という言葉自体に多義性があり、懐の深い概念であるからかもしれません。

 昨日終わったラグビーワールドカップ日本大会ではラグビーというスポーツ種目を通して文化を考えることができました。スポーツとして勝敗を決するためのテクニックやスキル、さらには戦術にもチームごとの文化のようなものがあるようです。そのチームごとに培われてきた伝統のようなものが動きのなかに反映されています。

 国別の対抗と言いながら選手は多国籍であり、同じチームの中でさまざまな背景をもった選手がいます。今年の日本代表にもニュージーランドや南アフリカ、サモア、韓国などに国籍があったり、ルーツをもっている選手がいました。文化は国境を越えて形成されることがある。グローバル文化のようなものの可能性を見ることができました。

 伝統的な地縁による文化と、現在進行中の同じ目的をもつ者が形成する新しい文化のありかたとをどのように扱っていくのかは今後の大きな問題になります。理想的には両者のいいところを取るべきだと思うのですが、そう簡単にはいかない。昨今の政治的な自国自民族優先主義の流れの中で、文化の扱いはますます深刻な問題になると感じるのです。

The next stop is…

I often hear English anauncement on the train in Tokyo these days. It’s ready for the Olimpic and Palalimpic games in 2020.

So far, we have machinally announcement in English as train services. Recently the train crews speak English by themselves. They provides passenger the information of the next station and transfer.

Tokyo is the international city. But we Japanese are not good at foreign language. Train conductor’s English announcement will give us good opportunity for thinking about global society.