少し前の世代のことを考えてみるといまの異常さに気づくのだ。何でも検索でき、世界に向けて発言しようと思えばできる。こんな事態は誰も予想しなかった。
私の学生時代は壁のような蔵書の中から一語を見つけるのに数ヶ月を要し、自らの意見を公にするのに数多の関門があった。それが当たり前の時代に生きていた世代にとっては現代はなんとも野放図である。
生き方にしても多様な価値観で生きられたはずなのに、今や細かな部分まで序列化され、あたかも共通の物差しがあるかのようである。コンピューターのスペックのように人生を計り、順位付けられることに疑問を感じない。これは明らかにおかしなことである。
間違えてはいけないのはいまもまた変化の途中ということだろう。現代の基準もいつかは変わる。いま正しいと言われているのものが未来まで通用するという保証はない。時々の流れに叶ったものが評価されているのに過ぎない。
少し前のことを考えることは少しあとのことを考えることでもある。些細な差を気にしすぎてはならない。