毎日つけている腕時計は太陽電池で駆動している。この季節は袖の下に隠れることが多く、充電状態がよくない日が続いている。僅かな受光時間で動き続ける性能に感謝している。
ここ数日は高めの気温で推移する予報だが、それでもコートを着ずに出かけるのには難しい。枯れがれになっている時計にエールを送りながら自分も何とかしなくてはと考えたりもしている。
2月も半ば、いろいろなことが終わり、始まろうとしている。
日々の思いを言葉にして
花粉症の対策薬を数日前から服用し始めている。私の場合はフェキソフェナジンの薬が合っているようで、副作用が少ない。かつてはこの時期は難行苦行の感があったが、いまはそれに比べればはるかに楽だ。子どもの頃は不治の病のように言われ、絶望的な気分になったこともあった。
花粉の飛散の少ない杉への植替えが少しずつ行われているらしい。ただ、林業の分野も後継者不足と、木材の価格が逓減しつつある中で、手間のかかる植替えは進まないと聞く。恐らく私の人生の中では解決されないだろう。
杉が日本の文化に果たしてきた役割は大きい。杉は日本の固有種といわれ、さまざまなな民俗の中で取り上げられてきた。そういう大切な樹であるからこそ、花粉症の問題は何とか乗り越えなくてはならない。
以前も書いたことがあるが、読書感想文を書かせることは大事だと思う。ただ、それは書評ではないことを踏まえるべきだ。
生徒の書く読書感想文を読むと、相当な割合であらすじや本の紹介が含まれている。中にはそれが大半であり、これならば他人のレビューを引用したり、人工知能に書かせたりでできてしまう。極端なことをいえば、まったく読まなくても書けてしまうものである。
でも、それを自分の感じたこと考えたことだけを書くとしたらどうだろう。本文の設定やストーリー展開に縛られることなく、自分を語ることを中心にするのだ。読書は自分を語るためのきっかけであり、触媒のようなものである。
ならば読書感想文は自分を見つめ直す大きなきっかけとなる。特に若い世代でこれをすることは意味がありそうだ。
立憲民主党の一人負けが際立った選挙になった。ポピュリズム政党が議員数を獲得したのはひとえに立民の失策によるものだ。
立憲民主党は野党第一党であり、政権経験者でありながら、存在感を示すことができず、中道左派という位置づけを払拭できなかった。政権交代を求めるならば振れ幅は少ない方がよい。革命のような過激な変化は国民の求めるものではない。そのことを理解しているのが立憲民主党であるはずなのになぜか失策ばかりである。
民主党時代の政権を悪くいう人は多い。でも、既得権を持つものだけが勝ち続けるという図式を少しだけ壊したことは意味があった。昔の政党の有様から考えれば、民主党は十分に保守勢力であり、労組の支援を受けているといっても、十分に資本主義的な政策であった。何よりも政権交代可能な勢力があったことが幸福な選択肢をもたらしていた。
ところが東日本大震災という不幸があり、政権交代の経験値の低さもあり、失策ばかりが強調されることになった。民主党が右派と左派で分裂したのも残念だ。自民党は派閥によっては別の政党といつていいほどの多様性を抱えているのに、野党はその微差が乗り越えられない。結果として長期政権が継続し、腐敗が表面化しても結局生き残ってしまう。淘汰が起きない政治が継続してしまうのである。
政権交代ができないこの国のもたらす自浄作用のなさは問題がある。かといって基本政策が違いすぎる政党には任せられない。その選択肢を担う可能性があった政党が没落してしまったのは残念だ。
同時代人を決してけなすつもりはない。ただ、あまりに無効な行為を繰り返す行為をどこまでも続けられるだろう。ある有名人がこんなことは当たり前というと、それが自明のことのように考えられる。おかしいと思いながら、簡明さには勝てないでいる。
ならば納得のできる分かりやすい説明がいつでも正義なのかといえば、決してそのようなことではない。分かりやすさと正しさは必ずしも関連しない。
大方の予想していた通り、衆院選は自民党の圧勝だった。政策よりも首相人気がそのまま結果につながった感がある。壮大なポピュリズム選挙となった。こうなれば、与党の良識を頼むしかない。自民党自体が他党連合のような組織でもあるので、党内での議論も期待したい。暴走することがないことを祈る。
今朝は東京でも粉雪が舞っている。今のところ積もりそうもないがこのまま低温が続くとどうなるか分からない。関東は雪の備えがないので少しの積雪で様々な障害が出る。今日は運転する予定があるので積もらないことを祈るのみだ。
ニュースによると雪国の積雪は深刻らしく、北陸ではさらに70㎝の積雪があるかもしれないという。融雪装置が効かなくなるまでにならないことを祈る。屋根雪の除雪で事故になる件も多く報じられている。少しだけ雪国暮らしを経験した私にとってはその恐ろしさは実感できるものである。
子どものころは雪が降ると心躍った。福岡に住んでいたころ、記録的な寒波の影響で北九州でも積雪があり、従兄弟のおにいさんが作ってくれたにわかのそりで斜面を滑ったことをなぜか忘れずに覚えている。おそらく大人たちはいろいろ大変であったはずだが、そこには考えは及ばなかった。いまは雪が降るたびに面倒なことばかりを考えてしまう。当然といえばそうなのだが、純粋に天気の変化に感動する気持ちがかなり薄れていることを思うのである。
何はともあれ、この雪で痛い思いをする人が出ないことを心から祈る。
暦の上では春になったがまだかなり寒い日々が続く。日本ではこの月は大学入試のシーズンであり、受験生諸君は落ち着かない毎日を過ごしているのかもしれない。ただ、元受験生として言えることは今となっては健康第一だということだ。結果は後からついてくるし、合否に関わらず、進んだ道に未来があるということだろう。
私は高校3年生のときにある意味根拠のない努力は報われる的な考えに乗れたので、何とかいつくかの合格をもらえたが、落ちたところもあった。もし、その不合格になった学校に進んでいたらと思うこともある。また、浪人して難関大学に挑戦しなかったことを悔やんだこともあった。でも、いわゆる地頭は見るべきものがない身にとっては、ひたすら今の環境の中で地道に積み重ねる日々を送るしかないのである。
大学に進んでも上手くいかなかった人の例も知っている。要はそのときをいかに無難に過ごし、さらにその上を目指す精神を保てるのかということなのだろう。学歴をランク付けしたがる人は多い。ただ人生の尺度はそれだけではない。希望の大学に進むのは大切だが、それが叶わなくても自分を高める方法はあるのだ。