ほんの少しだけ積雪があった。近隣は大きな交通機関の障害はないようだが、遅れや行き先変更が起きているようだ。足元が悪いので気をつけなくてはならない。

雪はさまざまななものをもたらすが事故だけは気をつけなくては。


日々の思いを言葉にして
今朝は東京でも粉雪が舞っている。今のところ積もりそうもないがこのまま低温が続くとどうなるか分からない。関東は雪の備えがないので少しの積雪で様々な障害が出る。今日は運転する予定があるので積もらないことを祈るのみだ。
ニュースによると雪国の積雪は深刻らしく、北陸ではさらに70㎝の積雪があるかもしれないという。融雪装置が効かなくなるまでにならないことを祈る。屋根雪の除雪で事故になる件も多く報じられている。少しだけ雪国暮らしを経験した私にとってはその恐ろしさは実感できるものである。
子どものころは雪が降ると心躍った。福岡に住んでいたころ、記録的な寒波の影響で北九州でも積雪があり、従兄弟のおにいさんが作ってくれたにわかのそりで斜面を滑ったことをなぜか忘れずに覚えている。おそらく大人たちはいろいろ大変であったはずだが、そこには考えは及ばなかった。いまは雪が降るたびに面倒なことばかりを考えてしまう。当然といえばそうなのだが、純粋に天気の変化に感動する気持ちがかなり薄れていることを思うのである。
何はともあれ、この雪で痛い思いをする人が出ないことを心から祈る。
暦の上では春になったがまだかなり寒い日々が続く。日本ではこの月は大学入試のシーズンであり、受験生諸君は落ち着かない毎日を過ごしているのかもしれない。ただ、元受験生として言えることは今となっては健康第一だということだ。結果は後からついてくるし、合否に関わらず、進んだ道に未来があるということだろう。
私は高校3年生のときにある意味根拠のない努力は報われる的な考えに乗れたので、何とかいつくかの合格をもらえたが、落ちたところもあった。もし、その不合格になった学校に進んでいたらと思うこともある。また、浪人して難関大学に挑戦しなかったことを悔やんだこともあった。でも、いわゆる地頭は見るべきものがない身にとっては、ひたすら今の環境の中で地道に積み重ねる日々を送るしかないのである。
大学に進んでも上手くいかなかった人の例も知っている。要はそのときをいかに無難に過ごし、さらにその上を目指す精神を保てるのかということなのだろう。学歴をランク付けしたがる人は多い。ただ人生の尺度はそれだけではない。希望の大学に進むのは大切だが、それが叶わなくても自分を高める方法はあるのだ。
近隣の書店でいわゆる在庫一掃セールがあった。と言っても再販価格が決まっている一般書店では安売りすることはない。それでもすでに流通が減っており、電子書籍になっていない本はそれなりの価値がある。私も文庫本を買ってみた。日本の古典文学である。
教科書に載らないようなあまり有名でない作品なので、断片的にしか知らない内容が分かるのは嬉しい。注釈は最低限しかついていないが何とか読めるものである。
学生の頃は絶版になった本を神田や早稲田の古書店街で半日探したものだ。いまはネットもあるし、デジタル化しているものもあるので、そんな苦労、いや楽しみはしなくてよくなりつつある。だが、時間と体力、気力はなくなっておりその意味でもそういう贅沢な時間の使い方はできそうもない。
私の場合、本にいろいろ書き込んでしまうこともあるので大抵は最終使用者になる。長い間眠っていた書籍をせめて有益に使い尽くしたい。
車道に雪をまき散らす候補者について非難の声が上がっているようだが、明らかにおかしな指摘である。候補者が何党か知らないが言いがかりをつけた人は雪国の現実と厳しさを理解していない無知としか言いようがない。
選挙活動中であるからだろう。除雪車が車道から除けた雪を、また車道にスコップで戻している候補者に対して非難しているソーシャルメディアの動画が拡散した。雪国に暮らしたことがある者にとっては当たり前の風景であり、そのようなコメントが多数ついてもどうも理解できない人が多いようだ。除雪車ができるのは道に車を通すことであり、人が歩けるようにすることではない。むしろ除雪車が通った後は歩行者の歩く場所はなくなり、車道を歩くしかなくなるのだ。
そこで雪国の住民のかなりの人は自主的に自宅近くの歩道を除雪し、その雪を車道に投げる。車道には融雪装置があり、しかも車両が通過するたびに雪片は踏まれて溶けていくので、車道に雪を投げることは公共の福祉に寄与する行為であったのである。
今回の動画批判は、現地の生活実態を知らない人のなしたものに違いない。同じ国に住んでいても、地方社会に、暮らす人々の生活を理解できない。これは日本人のありかたの一面であろう。警告の範疇に属するものである。