投稿者: Mitsuhiro

七夕伝説

 新暦の七夕は梅雨のただなかで雲に覆われて何も見えない。子どもころはそういう風に言われてきた。しかし、今年の天気では今日も猛暑であり、天の川を見ることもできるかもしれない。ただし、七夕の星が見やすくなるのは少し夜更けて後である。旧暦の七夕は今年は8月10日らしい。1か月後には牽牛織女星はかなり高い位置になり見えやすくなる。

 よく言われるように七夕は古代中国の伝説に乞巧奠という習慣が融合し、さらに日本にわたって神に捧げる衣を織る聖なる機織りの女(これを「棚機たなばた」といった)ものが融合して今の形になったといわれている。日本の神の衣を織る女の姿は古事記の中にすでに見える。スサノヲとアマテラスがウケヒによる争いをしたあと、スサノヲが行った暴挙で機織りが陰部をついて死んだという伝説があるが、神の近くにそういう女性が使えていたことの反映かもしれない。「たな」は水辺に設けられた舞台のようなものであったという説を聞いたことがある。神を迎える神聖な場所だったのだろう。

かささぎ

 笹に短冊をつけて飾る習慣は江戸時代に広まったとされる。主に字の上達を願うことが多かったようだ。笹は使用後に河川などに流された。他の節句行事と同様に本来は禊祓の意味が強かったらしい。今日では願い事を書くという行事となっているが、むしろうまくいかない何かを笹に託して流し去ることの意味を故人は感じていたのかもしれない。

 さて現代の七夕は短冊という小さな面積の紙片に願い事を書くということに主眼が置かれている。七夕の伝説を正確に言える人は少ないし、空を見上げてどれがベガでアルタイルなのかを示せる人も少ない。中国の伝説では白鳥ではなくカササギであることを知る人も少ないし、カササギがどんな鳥なのか、実は日本にもいる鳥なのだということもあまり知られていない。

 まさに大陸と日本の伝説が融合した行事の典型である七夕をもっと大切にしていいのかもしれない。韓国では칠석、台湾では情人節、ベトナムではLễ Hội Thất Tịchというそうで(旧暦で行うが)、いわゆる漢字文化圏で共有される行事としてもっと尊重していいのではないか。

不安定な大気

 今日の午後は東京の各地で豪雨があり、一部障害が発生したところがあった。大気が不安定であり、一時竜巻注意情報も出されていた。大気が不安定になったのは異常な高温で加熱した地表と上空の温度差が広がったためと考えられる。東京のようにアスファルトで地表面が覆われた場所では特にその傾向が起きやすいのではないだろうか。

 加えて北関東のように周囲を産地に囲まれた場所では、東京などの都市部で暖められた気温と、山越えのいわゆるフェーン現象による高温が複合して異常な猛暑になる可能性があり、そこで発生した雨雲が時に豪雨となって被害をもたらすのかもしれない。

 様々な要因が複合して大気が不安定になっている。人間ができることは限られているが、せめてアスファルトやコンクリートなどの露出を少なくして、緑化したり熱量を吸収する何らかの仕組みを開発するべきだろう。今年のような夏が続けば必ず大きな被害が発生するはずだ。その前にできることは何があるのかを考えてほしい。

政権交代

 英仏ともに政治の流れが変わろうとしている。何がそうさせているのかといえば、現状に対する不満以外にない。

 フランスは変わるときは極端に変わる。オリンピックの直前というタイミングでの野党の大躍進は驚きだが、それだけ現政権に対する不満は大きいのかもしれない。今回行われているのはフランスの下院、国民議会の選挙である。フランスは2段階に分けて選挙を行っている。1人区の小選挙区制をとり、1回目の選挙で得票率の50%以上かつ、有権者の25%以上の得票をした候補者がいない場合は、有権者の12.5パーセント以上の得票率を得た候補による決選投票を行うというものである。フランスの選挙勢力は与党の中道派、それに左派、右派と3分されるそうで、1回目の選挙で躍進した右派が2回目の選挙で勝利を続けると、議会での安定多数を確保することになるそうだ。慌てた中道と左派は候補者の一本化を図り、右派の勝利を阻止しようとしている。これまでこの方法で右派の進出を阻止してきたが、今回はそう簡単にはいかないようだ。

 第1回目の選挙で躍進した極右勢力は、もともと国民戦線といっていた政党で、民族主義、反移民主義を標榜していた。その政党名からもうかがえるように過激な思想であり、現状に不満をもつ国民の一定数の指示を受けてきた。結党した父の後を受けた娘のマリーヌ・ル・ペンが党首になると、現実路線に変更しそれまでの反ユダヤ主義や民族主義のトーンを下げ、中小企業の保護を打ち出すなどの穏健な路線に進んでいる。ただし、移民に関しては否定的で人数の制限や社会保障の厳格化などを標榜している。また欧州連合との関係も距離をとるべきだという考え方のようだ。フランスも停滞する経済や、失業率などに不満を持つ人は多く、その受け口になっているようなのだ。

 決選投票次第であるが、マクロン大統領が今後厳しい政権運営を課せられることは間違いがなく、国際情勢に大きな影響力をもつ同国が今後には注目しなくてなるまい。

 イギリスは議院内閣制のため、今回の選挙で労働党が大勝利したことで政権交代が起きた。しばらく続いた保守党政権から14年ぶりに政権を奪取している。イギリスは前政権でプレグジットを国民投票で行ったが、EUからの離脱は決して英国に利をもたらしていないようだ。輸入のコストがかかるようになったことや、人手不足を原因とする景気の後退が続出した。次期首相になるはずのスターマー氏はおそらく欧州連合との協調を進めるだろう。日本との関係はその結果、少し低下する可能性もある。また移民政策に関しても見直しがあるのかもしれない。

 移民を拒否して国民を守ろうとする動きと、世界的な人間の動きに連動して国家を保とうとする国家が隣接していることは実に不思議なことである。ただ、両国に言えるのは現状に対する不満と次期政権に対する期待であることは変わりない。

 日本ではおかしな都知事選挙が行われている。経済の停滞は欧州の比ではないのにこの国の選挙はなんと的外れなのか。これを幸せというのか。愚かというのか。何があっても政権交代は起こらない、起こっても長続きしないこの国の政治の力の弱さを物語っている気がしてならない。

暫く高温傾向

 梅雨はどこに行ったのか。これから暫く高温の日が続く。体力の消耗が懸念される。今後1週間の予報では降水確率が多い日でも30%である。集中豪雨があるのかもしれないが梅雨の只中とは思えない。

 最低気温も高くいわゆる熱帯夜の可能性も高い。Windowsの通知に過去最高気温の可能性ありとのアイコンが表示されている。近隣の明日の過去最高気温は32℃らしいから記録更新の可能性はかなり高い。湿度も高く健康状態の維持には過酷な条件だ。

 昔は夏が好きだった。夏休みのイメージが強かったからだろうか。それだけではない。服を着なくても過ごせるような開放感が単純に嬉しかったのだろう。それがいま苦しい季節になってしまった。とにかく負けないこと。そして十分に休むこと。それが私の処し方である。

ボール競技好調

 バレーボールやバスケットボールなど長らく低迷していた競技の国際試合の成果が最近素晴らしい。こうした競技は体格差が勝敗に反映されやすいので日本チームは不利だと言われてきた。最近の好調にはどんな要因があるのだろうか。

 一つには東京オリンピックを見据えた選手強化の遺産がある。こうした競技は主に実業団のチームが中心だったが、いまはプロ契約をするクラブチームに変わりつつある。極めて狭き道ながら、競技で身を立てることが可能になったことは士気を固める効果になっている。

 二つ目には野球やサッカーなどに比べてマイナー競技とされていたのが、格上げされつつあることにあると思う。それにはこれらの競技を扱った漫画が幅広く認知されたのも無関係ではない。サッカー選手が「キャプテン翼」に影響されたように、「SLAM DUNK」や「ハイキュー」の影響は少なからずある。もっともこれはこれからの世代に関わるのかもしれない。

 プロ化、大衆化は競技ごとの強化には基盤となるものだ。もちろん一番は選手の奮闘努力であり、他には替えがたい。それを支える環境をどのように作るのかと国際試合の成績は深い相関があるように思う。

ペットボトル回収サービス

 コンビニエンスストアのセブン-イレブンはペットボトルの自動回収機を設置している店舗がある。同社のnanacoカードを登録すると5本ごとにポイントがつく。最近これをよく利用している。

 この回収機は500ミリリットルくらいまでの透明でフタ、ラベルをとり、洗浄後、潰していない状態のもののみを受け付ける。一部のお茶の容器は少し色がついているので引き取ってくれない。私の居住地域では隔週でペットボトル回収があるが、つい忘れてしまうこともあり、いつでも回収してくれるセブン-イレブンのサービスには感謝している。

 潰さないで持って行くというのが注意点である。容器の形で内容を判断しているようだ。だから、キャップの口が狭くなっていない容器は受け付けないことがある。

 マイクロプラスチック問題が認知されてから容器の回収については関係企業では重大問題となっている。リサイクルの方法は色々あっていいと思う。分別がある程度できているほうがコストが下がるらしい。このような取り組みが評価されてよいと考える。

物足りない豊かさ

 逆説的だが少々物足りない方が豊かさを感じられるということはある。必要以上に満たされているとそれを幸福とは考えられず、むしろ害悪のように感じられる。私たちは少し物足りない方が幸福感を覚えるものらしい。

 物足りない状態に魅力を感じるというのは、そこに想像が働く余地が残されていることを意味する。そこでは無限の可能性が輝いている。こんなこともできるのかという驚きと達成感が得られるのに対して、習慣化し、無批判に繰り返しているものには私たちは冷淡であり、印象すら残らない。

 物足りないことに魅力を感じる文化は実は日本では一般的なものである。侘び寂の価値観などはその例であろう。モノやサービスに満たされた現代人があえて物足りないものに身を任せるのは大切な体験である。

悪意なき中傷

 自分自身への反省として書く。悪意がないのに人を傷つけてしまったことが何度もある。たとえば話の流れで特定の年齢や立場の人のことを悪くいってしまったことがある。言ってしまった後にそれに気づいてもどうしようもない。大変申し訳ない思いになる。

 それならばまだいいが、より深刻なのは誰かを傷つけたことを自覚できないときだ。悪意がないのだからそれは罪ではないともいえるのかもしれない。しかし、言われたほうの立場を慮るにそれでは済まされない気がする。そんなことを気にしていたら何も言えなくなるという声も聞こえてくるが本当にそれでいいのだろうか。

 最近自分が年配者になり、若い人の発言を聞いているとしばしば加齢に対する衰えを嘆いたり、あるいはできることができない人に対して一概に非難したりすることを聞く。彼らには悪意はないし、特定の人に向けて発言しているのではないことは明らかだ。しかし、例えば私のような年齢の人がいる前でそれを口に出してしまったり、相槌をうって談笑するのはやはり配慮が足りないというしかないのではないか。

 最初に述べたように私も先輩のいる前で高齢者の批判をしたり、能力の衰えを揶揄する一般論を展開したことがある。もちろん、その先輩は微笑んでいて特に不快な様子はなかったが、果たして本心はどうだったのだろう。私は今自分がその立場になって過去の自分の軽率な振る舞いに恥じ入るのだ。

 ソーシャルメディアが普及して自分の未整理の考えを公開してしまうことが当たり前になった。読者を想定せずに発信してしまうことに抵抗がなくなった。というよりどんな読者がいるのかの想像力を失ってしまっている。そんな時代の中にあってリアルなコミュニケーションでも相手に対する配慮がなくなってはいまいかと心配になるのだ。

水無月尽

 2024年も半分終わることになる。私にとっては下降傾向の期間で辛いことが多かった。自分の衰えを痛感することは痛恨の極みであった。

 それとともにデクレッシェンドの中で何ができるのかを学んだ期間でもあった。老兵の戦い方を少しだけ理解できた。

 ただ現実はそれほど甘くはない。この厳しい現実の中で自分の最適化を図ることは不可欠だ。次のステップをいま必死に模索しなくてはならない。

 自分を安売りしたくはないが、他者からどう見えるのかに目配せもいる。今年の下半期は自分を冷静に評価し、次のステップに進むために使いたい。

アンケートの読み方

 何が人気か、どれが優れているのかなどのアンケート調査がある。様々なものがあって世間での評価を知る一助にはなるようだ。ただ、その結果が真実なのかは慎重に考えなくてはならない。アンケートに対するリテラシーが必要だ。

 新聞社や放送局が行っているアンケートもよく見ると調査方法や調査母体に偏りがあることが多い。そもそも標本数が少ないのにそれが現実であるかのように語られるのは間違いである。そんなことはわかっているはずなのに数字となって示されるとうっかり信じてしまうものである。

 よく言われるように質問の仕方や順番によっても結果は変わる。どのように問われ、何を答えさせようとしたのか。調査の現場まで遡って考えなくてはアンケートの数字は鵜呑みにできない。好きなラーメンの味くらいなら罪がないが、政治的な判断や、信条、経済的な判断にかかわるものなどならば、偏向した情報は大きな問題になる。

 インターネットによる投票をアンケートで使うときも同じことがいえる。そもそもネットのアンケートに回答しようとする行為自体に行動的な偏向がある。さらに、強い関心があるか不満があるといった極端な意見が反映しやすい。現状に満足していたり、どちらでもないといった考えを持つ人は回答のためにわざわざ時間と手間をかけないだろう。

 だから、アンケートを読むときには様々なバイアスがあることを前提に読まなくてはなるまい。それが真実に近づくための方法である。