投稿者: Mitsuhiro

脅威の価値

 北米大陸を中心にインフルエンザが大流行し多くの死者が発生しているようです。中国発の新型肺炎よりも致死率は高いようですが報道は控えめです。

 アメリカで流行しているインフルエンザはウイルスとしては新しいものではないようで、対策のワクチンも存在するようです。ただ皆保険制度が存在しないアメリカではインフルエンザにかかっても医療機関には行かない人が多いために流行が把握しにくく、対策が後手に回るようなのです。

 アメリカのインフルエンザは非常に脅威ではありますが、さほど報道されず、コロナウイルスばかりが注目されています。これはニュースの価値が実情以上に偏向しているといえます。事実をどのように伝えるのかはジャーナリストの責任でもあります。またそれを読み取る側の能力も試されています。

創造心

 何かを新しく作るということには様々な魅力があります。それは希望でもあり夢でもあります。

 まったく新しいものなどは作りようもありませんが、せめて自分なりのアレンジをして結果的に少しずつ変化させ結果的に新しいものにたどりつくということを考えています。そのためにはいつも現実に向き合って妥協をしないという態度がいるでしょう。

 何になるのか分からないけれど気になることは気にとめ、場合によっては記憶しておくという習慣が必要です。その意味でノートや手帳、このブログのようなデジタルデバイスを活用すべきでしょう。

 次のためにいろいろな下積みをしておくことは新しいものをつくるためには大切なのです。

誰もいない学校

 新型肺炎の感染に関する脅威は日々高まりつつあります。多くは過剰反応であると思うのですがあまりに世情が動くと虚も実になっていきます。

 感染が広まって様々な日常生活に支障が出たと仮定してみます。いわば思考実験です。外出が制限され、多くの企業が社員の出勤を制限し始めると、学校も閉じざるを得なくなります。これまでなら単なる休みになってしまうのですが、いまはネットで授業はできます。動画も交えた授業を行う学校もきっと現れるでしょう。

 感染が収まった後に授業はネットでもできるという実績が様々な変化をもたらします。これまで紙面で行ってきた資料配布やテストをネットで行う授業が残ることになるかもしれません。検索すれば答えが出るような問題やクラスメートの答案のコピーでは評価れない問題が出されるようになります。

 一方で授業ごとにある教員の雑談はなくなり、効率的で無駄のない授業になるはずです。誰がやっても変わらない授業が展開されます。残念ながら味わいは同時になくなります。

 などと考えているうちに時間になりました。

退勤後の学習

 休み方も改革しなくてはなりません。労働時間の短縮がトップダウンで行われている現況において、非労働時間が単に空白になってしまえば、自分としてはマイナスになります。

 就業規則で会社から放り出されても、給料が増えない限りは何もできない。その時間でやるべきなのは自己のグレードアップでしょう。地域の図書館が開いていてさらに座席も確保できるなら、そこで教養や資格につながる学習を1時間して帰るのも手です。そういった場所がなければコーヒーショップでもいい。

 本当はカルチャーセンターなどに通えればもっといい。趣味的なものでもいいので柔軟な頭を維持することが肝心なのです。少しやるべきことを怠けている己への反省文です。

雨

 雨の日曜となりました。少し乾燥していた空気を潤す恵みの雨と考えています。

 コロナウィルスのニュースが次第に過激化してきています。中国での死者が急速に増加したことに加え、その対策に不安があること。さらには日本でも死者が出てしまったことなどが不安を掻き立てているのです。

この病だけで死に至るのではないことはほぼ明らかになっています。ただ、他の疾病と併発したり、高齢者などの体力低下がある人は注意が必要ということです。

 東京ではすでにマスクが手に入らなくなっていますが、実際に電車に乗るとマスクなしの人もたくさんいます。マスクは予防効果よりも拡散防止の意味があるのだとか。動画サイトには手作りマスクの作り方が公開されています。私もそろそろ作ってみようかと考えています。

 雨はウイルス騒動を少しだけ忘れさせてくれます。その意味でも恵みです。

発車ベル

 駅の発車ベルの中にはその駅でしか使わないオリジナルメロディーがあります。もっと普及してもいいと考えます。

 電車の発車ベルには様々なメロディーがあり、中には駅のイメージにあったものや、民謡などのご当地メロディーのものもあります。地下鉄東京メトロ乃木坂駅のベルが「君の名は希望」という乃木坂46の歌の一部であることはその典型です。

 発車ベルにはかなりバラエティーがあるのですが、多くの場合汎用されています。できれば個性的な発車ベルがもっと増えてほしいと思います。

見え方

 自分の視覚や聴覚を真実の姿と考えるのかについては太古から議論があります。人によって感覚に微妙な差があることが証明されるようになると、この議論は様々に展開されました。

 たとえ物理的身体的な条件が同じでも対象をどのように捉えるのかは均一にはなりません。個人の経験に加えて文化的なバイアスも加わるために感覚は無垢ではありえないのです。

 そもそも私たちは過去の経験と照らし合わせて現実を認識しており、その時点で皆が同じものを見ることはほぼ不可能であるといえます。ことばの力によって、実は多様な現実をいくつかにまとめあげパン、小異を捨てて共通項を見る習慣を獲得したために混乱は起きません。

 ただ、見えているものが違っているという事実は忘れてはならないことであると常に思い返しているのです。

大麦

 コンビニで買うおにぎりの中にスーパー大麦が入っているものがあります。私はよく食します。

 スーパー大麦はオーストラリアで開発された大麦の品種です。食物繊維が豊富で悪玉コレステロール低減の効果が期待できるそうです。白米に混ぜて使われる。米飯のアクセント的な食材です。

 最近、この時期にありがちなのですが体重増加の傾向にあり、さしたる対策もできていないのでせめて食べるものだけでも考えてみなければなるまいと考えているのです。

交友

 調布市にある武者小路実篤記念館に行ってきました。住宅街の中に建つ小さな展示室は文学とは何かを考える素晴らしい空間でした。

 武者小路実篤といえは白樺派の穏やかな作風の小説家であることと、晩年に描いた野菜などの静物画とそこに付された人間味溢れる一言が有名です。この記念館を訪ねて知ったことは、彼が多くの人に支えられ、また支援していた人も多かったということです。残された書簡には友人からの助言や、編集者との交流など交友の中から作品が生まれていたことが伺えるものが多数ありました。

 文学作品が一人の卓越した能力によってのみ生み出されるのではなく、周囲の人たちとの相互作用によって醸成されるものであることが実感できる気がしました。

 実篤の生きた時代は価値観が激変していく難しいものであっただけに、かえって周囲の人々の支えが必要であったのかもしれません。

弱みなのか

 困った人がいたら手を差し伸べたくなるのは人間の弱みなのか。考えてみるといろいろな答えが見つかります。

 自分の周囲に何らかの問題を抱えている人がいると認識した場合、私たちにはなんとかしてあげたいという気持ちが起きることがあります。多くの場合、その気持ちを実行できず、できなかったことに様々な理由をつけます。ただ惻隠の情が起きること自体に意味があるのではないでしょうか。なぜそのような感情が立ち上がるのか。

 識者の説明でこれは人間の歴史と関係するという言説に触れたことがあります。集団で生き残る選択をした人類にとっては集団の維持が死活問題であり、その記憶がいまも作用するのだとか。証明不可能な意見ですが確かにそういう面もありそうです。

 一方で自己本位で利益を独占しようとする営みを私たちはし続けているのも確かです。歴史で学ぶ社会変化の主要因は富や権力の集中が影響しています。利己的な動機が格差を生み出し、混乱のもとになっています。

 相反する言動を繰り返しながら私たちは生きているのかもしれません。緊急事態では同情心が発動し、平時は利己的になることを考えるに、私たちは集団の生き物という意識を忘れたときに自己中心的になるといえるのかもしれません。これは人の弱みなのか。それとも強さなのか。考えていきたいです。