投稿者: Mitsuhiro

アウトプット

 脳の機能を低下させないためにはアウトプットも必要だといわれています。ただ受け入れるだけではなく、自分の言葉で表現することが大切だというのです。

 テレビを見続けるよりも読書の方がいいとは昔から言われていることです。読書の方が文字からイメージを作るまでの過程で脳がはたらく機能が多いからのようです。書いてあることから意味を構築するまでには抽象化や具体化、映像化、音声化などの作業が入っているので脳の様々な機能を使うのでしょう。

 自分の見たこと聞いたことを言葉にすることはさらに脳の別の機能を使います。本来ものごとは言葉ではなく個々の現象が総合的に起きているのであって、そこにある道筋を立てて表現することが言葉にするという作業です。筆舌に尽くしがたいという表現がありますが、本来すべての現象は話したり書いたりすることが難しい。それをある方法で表現していくことこそが人間の営みだといえます。

 アウトプットに力を置くことはとても重要です。そして、その過程には様々な失敗もある。言ってみたけれどうまく言えない。誤解を与えてしまう。上手に書き表せない、などといった葛藤の連続の中でも継続する習慣が必要です。それは努力もいりますし、周囲にそれを許す環境も必要なのでしょう。

 言いたいこと考えていることをとりあえず表現してみるという試みを私はこのブログを通して実践してみたいと考えています。

顔のない人物像

 先日、美術館で見た展覧会の絵の人物像にはなぜか顔の表情がはっきりと描かれていないものが大半でした。全体的に幻想的な画風であり、抽象絵画の趣さえ漂う筆致のため、さほど不自然ではありませんでした。顔のない人物像の持つ可能性を考えました。

 私たちは他人の感情、精神状態を視覚を通して判断することが多いのですが、そのかなりの部分に顔の表情という情報があります。喜怒哀楽は全身に表れますが、やはり表情ほど雄弁な部分はありません。その表情という重要な要素を敢えて省略することは画家にとっては大きなハンディのはずです。微笑んでいるひとを表情なしで表現することの難しさを考えるだけでもそれが察せられます。

 しかし、その負荷を敢えて負うことで拓けてくる可能性もあります。表情がない人物像を描くためにはボディランゲージに敏感にならなくてはなりません。また人物以外の要素、背景とか構図とかその他の要素に鋭敏になる必要性があります。そこで磨かれる表現力は大きな芸術性をもたらします。

 さらに、絵を鑑賞する側にも同様の効果があるはずです。不完全な描写の中に何を感じとることができるのかは見る側の想像力によります。その裏付けとなる人生経験そのものが問われることになります。

 表情を敢えて描かないという選択は画家にも鑑賞者にも大きな挑戦であり、可能性を秘めているのです。

ふるやのもり

 昔話のふるやのもりは笑い話に属するものですが、ある意味真実の教訓でもあります。

 盗賊という人災は何とか防ごうと思えばできないこともありませんが、天災はなかなかそうもいかない。人智を超えた災禍に見舞われればどうしようもなくなる。そんなことをいっているとも解せるのです。

 そして何よりも怖いのは、そんなふるやのもりの存在を簡単に忘れてしまうことなのかもしれません。日常に潜む脅威は突然牙をむきます。老夫婦のふるやのもりほど怖いものはないという言葉を私たちも肝に銘じるべきなのです。

エスカレーター歩行改革

 都市部ではエスカレーターに乗る場合、片側を開けて立つことが慣行となっています。なぜか関東と関西では開ける側が異なるのですが、空いた側は歩行したり駆け上がる人のために開けるのです。この習慣は止めるべきでしょう。

 エスカレーターのこうした使い方については以前から批判があり、誰もそのようにしなければならないと指示している訳ではないようです。片側を歩くのは急いでいる人にはよいように見えますが、ある一定の条件を満たさない限り、一段に二人ずつ立った方が効率がよいといいます。

 なによりもエスカレーターが歩行しながら乗ることを前提に造られていないことは明らかです。また身体条件により特定の側には立ちにくい人や、荷物の形や大きさによっては片側を開けること自体に無理があります。

 私と同様に感じている人はたくさんいるはずですが、慣行となっているものを変えるには個人の力では及ばないところもあります。設置者側からの積極的な呼びかけや関係省庁の啓蒙活動をもっと積極的に行うべきです。

危機感を

 成長に必要な前提として、現状に満足できないという心の持ち方が必要です。

 私たちは何かをしようと思うときには大前提として現状を何らかの形で変えたいと考えています。現状を維持したいと考えることも実は大きな現実改変の動機です。現状を保つためには様々な働きかけが要ります。何もしなければ、現態は保たれません。

 この何とかしなければならないという気持ちが失せると、自然に衰退に向かうことになります。何もしなければ先はないという危機感が新しい局面を拓くのでしょう。そういう考えは誰にも浮かぶはずですが、すぐに忘れてしまう。それこそが現代人の課題です。

英語のアナウンス

 東京の私鉄やJRの車内アナウンスに英語を混ぜることが多くなりました。予め録音したものではなく、車掌が肉声でアナウンスするようになったのです。

 東京オリンピック効果の一つなのでしょう。話しているのは定型に乗っ取ったものだけですが、それでも大きな前進です。国際観光都市を目指すといいながら外国人には難しい言葉の障壁を抱えたままの現実が変わりつつあります。中国語や韓国語もそれができると利益が上がると知りわたるならば、学習者は増えます。

 車掌が英語を使うようになれば若い世代の学習上のハードルは一気に下がることになるでしょう。一時期のことに終わらないことを期待したいと思います。

韓国語が聞こえない

大阪に旅行に来ています。観光地はどこでも外国人にたくさん出会いますがこれまで韓国語は一度も耳にしていません。

政治的な対立が報じられている日韓関係ですが、日本国内では韓国を非難したり、それに関する運動はありません。一部の人がネット上に過激な書き込みをしていますが、匿名の壁の中でしか発言できない輩ばかりです。

日本は元々辺境の島国であり、変化をもたらす外的要素に対して寛容です。韓国からもたらされた文物にも伝統的に敬意を払っています。ここ数年の指導者のミスコンダクトにとらわれ過ぎないようにしなければ損をするのは市民ばかりということになります。

市民間の交流が途絶えることのないよう祈るばかりです。

青春18きっぷ

 かつては1万円で5日間普通列車に一日中乗車できた青春18きっぷは今でもあるようです。ただし消費税導入後はその時々の値段に値上がりしていったようですが。

 この切符は日付が変わるまで乗り続けられるということなので、私も東京と関西を往復する際に使ったことがあります。朝出ると普通を乗り継いで目的地に行くことができました。

 最近はJRの多くの地方路線が第3セクター化されてしまった影響で、かつてのような一筆書き旅行は難しくいろいろな工夫や例外措置利用などの知識が必要になっているとか。

 いまでもそういうたびをしてみたいと思うのですが、時間とそれよりも体力とがない現況を悔やむしかありません。

交流は別次元で

 韓国が日韓軍事情報包括保護協定を破棄した報道は極東の軍事情勢に詳しい人たちの間では相当な衝撃であったようです。まるで韓国が別陣営に組してしまったかのように考える人もいるようですが、ここは冷静に処すべきです。日韓の国民のうち冷静になれるのは日本の方です。

 韓国では慰安婦問題や徴用工への補償をめぐって日本への責任追及をする動きがあったところに、日本が半導体素材などを輸出規制したことに端を発して、一気に反日の機運が高まりました。日本製品の不買運動や日本への旅行自粛なども起きています。親日家を非国民的に扱う歴史的な経緯をもっている韓国においては、このような時流においては付和雷同する国民運動が起きているといえます。そのようにふるまわないといけないという同調圧力も強く働いているように察します。また、韓国政府も反日運動を政権支持に利用しているかのような様子もうかがえます。韓国の国民がこの対立に冷静に対処するのはかなり難しい状況にあることを推し量るべきでしょう。

 日本ではいわゆる嫌韓の人々がネットなどに次々に書き込みをしていますが、実はリアルな政治集会や抗議運動はほとんど報じられていません。きわめて過激な小さな団体が何かをしているのかもしれませんが、社会を動かすほどの組織的な韓国への抗議運動は行われていないのです。韓国の製品や、テレビドラマ、タレントなどの文化的なコンテンツに関する拒否の動きもありません。むしろ若者はそれらを好んで使っていることはほとんど変わりがありません。

 NHKを含めて韓国のドラマは多くの放送局で放映されています。またK-popの話題は絶えることはなく、韓国料理の店もにぎわっています。嫌韓の人よりもはるかに多い韓国文化愛好者がいることは紛れもない事実です。私たちは政治家たちの手練手管に便乗する必要はありません。よいものはよいと認め合うことを続けていかなくてはならないでしょう。

 政治的な、というより両国政権の対立として映る今回の混迷を国民は冷静にとらえるべきです。本当に利するのはだれか、喧嘩の野次馬をしているうちに自分自身の立場を悪くしていかないか。メタな認識をすることがいま最も必要なことだと思うのです。