投稿者: Mitsuhiro

生き残るのは

 非常事態宣言が今月いっぱい延長されることが決まり、いよいよ深刻な経済停滞が起きることが決定的になりました。この情勢で生き残るのはどうすればよいのか。すでにそんな議論が多くなされています。

 政府の発表によるよると非常事態宣言は地域により緩和策がとられます。北海道、東京・神奈川・千葉・茨城・埼玉、愛知・岐阜・石川、京都・大阪・兵庫、福岡は現状の継続が要請されますが、そのほかの県は上記の地域への出入を除いて外出制限をなしとしたり、イベントなども開催可能とすることとなりました。なお、講演や博物館、図書館、学校などは全国的に状況を見つつ再開可能となりましたので、今後は徐々に開いていくものと考えられます。

 今回の事態をうけて、大幅な損益を出している企業や個人は計り知れません。その中で生き残るのは本物だけだという人もいます。どんな事態でも求められる存在だけが生き残るというのです。これは言い方ですが、換言すれば厳しく余裕のない状態といえます。多様性が確保されない極めて危険な状況でもあります。本物と称されるものが挫折した時に多くは滅びてしまうわけですから。

 私は非常時こそ、大同につくだけではなく、常に他の選択肢を模索することが必要だと考えます。無駄なくやりたいという気持ちはもっともですが、それだけでは道は閉ざされてしまいます。人がやらない可能性も考えてみるべきではないでしょうか。

 行動制限が緩和された地域の皆さんはこれをチャンスと考えて、大都市の動向にとらわれない地域重視の活動をしてみてはいかがでしょうか。かつてはグローバルな考え方を重視しすぎて、日本で世界で通用しないものは意味がないなどと言われたこともありますが、どうでしょう。一週回ってローカルなものが他で受け入れられるという現象はこれまでいくつか見てきました。他に合わせて行動するだけではなく、自ら主導権をとって創作していくということが大事です。今はそのチャンスなのかもしれません。

陰謀

 コロナウイルスが人工的に拡散されたという陰謀説は根拠がありません。誰かのせいにしなければ収まらない気持ちの表れです。

 はたしてこの厄介なウイルスを誰が巻き起こしたのか。この答えは誰にも分かりません。起源をたどることほど困難なことはありません。それでは収まりがつかないという気持ちが陰謀論を作り出します。結果は出ているのですから原因を作るのは簡単です。ないのは確たる証拠だけです。単なる噂ですが、多くの人々が苦しめられていることの犯人を決めるのは負の喜びに繋がります。

 陰謀論に苦しめられる人がいるということを私たちは知らなくてはなりません。苦しみがさらなる苦しみを引き起こす悪循環の片棒を担いではならないのです。

晴れても

 連休は初夏を超えて夏のような暑さになっています。真夏日になる地方もあるのだとか。天気もほどほど良いのですが心から楽しめない毎日です。

 半袖を着ても普通にいられる陽気になったことを素直に喜びたいと思います。

囀り

 春の季語である囀(さえず)りがいま自宅の近くで盛んに起きています。

 在宅要請の中、多くの産業活動が停滞する中で事前の営みはかえって息を吹き返しているのかもしれません。今朝は様々な小鳥のさえずる声が聞こえてきました。少し山間部に行かなくては聞くことができないような鳥もいるようです。恐らく人出が減り、鳥たちの活動範囲が広がったことに関係がありそうです。

 私たちは日ごろいかに人工的な空間に生活しているのか。そしてそれをちょっと止めれば、自然の復元力が発揮されるのかということが分かってきたような気がします。

在宅勤務

 在宅勤務を始めて分かったことは「いつでもやれるはいつまでもやらない」ということだということです。これは結構大きな問題かもしれない。少なくとも私にとっては乗り越えなくてはならない課題です。

 在宅勤務の良いところは自分のペースで仕事ができることです。途中で別の仕事が入って仕事が中断するということがほとんどありません。メールが来てもある程度は放置できます。自分のペースでできるとなると、時間配分が自己本位になり、そしてついにはやれることもできなくなる。そういうことが発生しています。

 拙速を尊ぶという考え方は仕事の世界では重要です。満点でなくても合格点を取ればいいというのは日常生活の奥義ともいえるものです。芸術の世界だとそうはいかない。いくら時間をかけても究極の作品を目指すべきなのかもしれない。しかし私は芸術家ではなく、私も仕事の受け手も完璧な仕事を求めているわけではありません。むしろ停滞することなく、仕事を続けることが求められている。

 在宅をしているとどうもそういう基本が分からなくなるようなのです。周囲の人の姿を見て仕事のやり様を調節している不断の方法が通用しないのが最大の要因です。これはぜひ改善し克服しなくてはならない。それも一人でやらなくてはならないのが困難ではあります。

ヨーロッパは再開?

 ロックダウンを日本より厳重に行ったヨーロッパの一部の国は商業活動を再開する動きにあるのだとか。死者数が格段に多い圏域にも関わらずなぜそうできるのか不明です。

 対して日本は感染者数を指数関数的に増やしながら、死者の数はさほどではありません。ただ、いわゆるクラスタ内での致死率は高く恐ろしい病気であることは否めません。おそらく非常事態宣言は延長されることになります。

 感染者は検疫が進めばさらに増えていくのは間違いありません。対して我が国では死者の爆発的増加はいまのところ起きそうもありません。このバランスをどう考えるか。より細かい指示が必要です。

旅の案内

 駅前に大きな旅行会社のポスターが貼られていました。その横に小さく少しでも旅行気分を味わってほしいのでという意味の添え書きがありました。いまの時勢を物語るものです。

辻占

 偶然通りかかった道すがら、二人のご婦人の話し声が聞こえました。いわく、いまは日本が変わるチャンスだと。

 コロナウイルス感染予防による外出自粛は法的効力は弱いものの、国民の間にはかなり浸透しているようです。同調性の強い国民性は今回は奏功しているように感じます。ヨーロッパやアメリカの死者の数の多さを見せつけられるとそうせざるを得ませんが。

働き方改革という言葉が昨年は何度も繰り返されていました。労働時間を切り詰めても生産性を落とさないという無理難題に苦しめられていました。それがこのステイホームの状況でより難度の高い課題を突きつけられることになっています。その答えはいまだ見つからないものの労働時間短縮はもしかしたら可能ではないのかという予測ができるようになりました。

 そう考えるならば奥様方のおしゃべりはそれほど的を外してはいない。むしろこの機運を高めていく必要を感じています。ピンチはチャンス。制約は飛躍のための屈伸です。

ケーキ屋

 町田市の小さな個人営業のケーキ屋に行ってきました。地元では人気がある店なのですが、このところの外出自粛の傾向でやはり客足は減っています。主力商品はパウンドケーキなので比較的日持ちがするものが多いのですが、毎日の営業のためにケーキを作り続けています。こういう営みの意味が非常に尊く感じられるこの頃です。

学校が嫌いな人たち

 コロナウイルス感染予防のための自宅待機推奨がなされる中で、学校閉鎖が続いています。この事態で学力低下を懸念する人がいる一方で、むしろこの事態を歓迎している人もいます。

 日本の学校には一定数の不登校もしくはそれに類する人がいます。その原因は一律ではないために単純に語ることはできません。そのなかに集団生活への不適合が原因という生徒がかなり多く含まれていることは確かです。彼らはクラスに溶け込めず、自らの居場所を作り出せないために学校に行くことができません。彼らの中には学力的には問題がなく、学ぶ機会さえ与えられるならば好成績を上げることが期待できる生徒もいます。

 現在はいわば全員が不登校の状況にあります。生徒は分断され、不要な同調圧力に悩まされることはありません。時間の制約もなく、狭い空間に動きを制限されることもない。こういう状況の方が能力を発揮できる人はかなりいるはずです。学校閉鎖がかえってチャンスになったということになります。

 私は教員としてこの状況を大いに反省し、考え方を変えていかなくてはならないと感じています。学校には学力とともに社会性を涵養する役割もあります。異質なものに対する寛容性や思いやりの気持ちを育てる役割もあります。学力だけならばもしかしたらパソコンを使った遠隔授業でもある程度ならばできる。しかし、それならば学校はもはやいらないのではないか。学校ができるのは何なのか。それを考え直す機会を与えられているのではないかと痛感しているのです。