投稿者: Mitsuhiro

エッセンシャルワーカー

 コロナウイルス感染者が急増して再び世間は自粛モードに戻ろうとしている。オミクロン株の影響なのか今回は感染力が強いらしく、医療機関従事者の感染も多いと報じられている。最近のキーワードにエッセンシャルワーカーというのがある。どうも社会インフラの基盤を動かす人たちのことをいうらしい。

 医療や福祉、衛生関係の仕事についてはこの定義があてはめやすい。警察、消防なども同様だ。他にも運輸、流通なども含まれる。世の中は相互依存の関係にあるので何がエッセンシャルなのかは実は分かりにくい。

 教員も含まれるらしい。確かに教員の罹患はいろいろ面倒なことになる。特に真面目に教育している教員ほど他に替えがたい。学校が止まれば、家庭にも影響するから、社会にも多大な影響がある。

 誰もがエッセンシャルワーカーだとは思うが、教育関係者である以上、健康管理には留意しようと考えている。

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雪の次の日の注意

 予想以上の積雪になった。といっても雪国経験者に言わせれば大したものではない。ただ、除雪のインフラや住民の経験がない関東南部の住民にとって今朝はかなり危険だ。降雪が一部解けて放射冷却現象のために凍結している。うっかりいつものように歩くと転倒する可能性が高い。

 靴底にグリップがないものは今日はやめた方がいい。またあっても過信はできない。坂道などが凍結している場合は最大限の注意が必要だ。歩くときには少々不格好でも重心を落として小股で歩くのが鉄則だ。歩道橋などはできれば避けて遠回りをした方がいい。自転車、バイクも今日はやめた方がいい。あなたの運転がうまくても周りに巻き込まれる可能性がある。

 冬に札幌の町を歩いた時、凍結した路上をヒールの高い靴で歩いている女性を多数見た。信号が変わりがけに小走りになることもあったが実に自然だった。滑り止めをつけているのかもしれないが、むしろスケートのようにわずかにエッジを効かせていたのかもしれない。そういう達人になれば別だが我々はまねしないほうがいい。

 今日の午前中こそ不要不急の外出はやめた方がいい。でもそうもいかないという人は手袋を忘れずに。そして転倒しても落ち着く。他人が転倒しても笑わない。次は自分の可能性が高い。

降雪か

 関東地方でも雪が積もるかもしれないとの予報が出ている。今朝の冷え込みや湿度、やや厚い雲などを見れば当たるかもしれない。ただし、儚い雪になるだろう。

 北陸に住んでいた頃は雪が降るとなるとちょっとした覚悟と決意がいった。朝の雪掻きは結構な重労働だし下手をすれば腰を痛めたりする。転倒すれば怪我の可能性もある。しかし、やらねば生活がまわらない。雪国ネイティブではない私はその都度緊張した。

 東京に戻って雪国生活のことは年々忘れている。今日も靴の底はかなり滑りやすいものを履いている。ただ、降雪の予報を知ったときのそこはかとない焦燥はまだ残っている。

第6波到来

 コロナ感染者が増えだした。世界的にはすでに多くの国々で感染者が激増していたのに日本は異常なほどの低水準であったが、ここにきてその波に飲まれつつある。多くの人が予想していた通り、年末年始の人々の移動も要因になるはずで全国的に広まる可能性が高い。感染予防には万全を尽くさなくてはなるまい。

 オミクロン株感染者もすでに1200名近くに達し、市中感染としか考えられない事例も増えている。報じられているようにこの新種は感染力は強いが重症化の率は低いようだ。とはいえ確率の話であり、個々の状態はそれでは計れない。警戒は欠かせない。

 ただ、私たちはなんどもの流行を経験し、単に閉じこもるだけでは立ち行かなくなることを悟りつつある。動けるものは動かなくてならない。動かせるものは動かさなくてはならない。こうするとまた別の意味の格差が生まれるという可能性もある。条件が悪い人を助ける方法も確立しなくてはならないのだろう。

 分配という言葉は先の選挙での争点になっていた。一見理想的な話のようだが、経済の専門家に言わせればそうでもないらしい。格差ができるのは資本主義の宿命であり、格差がないことは資本主義がうまく機能していないことなのだという。なんとも残念なことだが、そもそも貨幣経済そのものが差を生み出すことで利益をもたらす仕組みであるのだからある意味当然ともいえる。

 だから、首相が一時固執したような金融課税のような方策は資本主義国としては要注意なのだそうだ。富裕層が見切りをつけるとその国の経済が立ち行かなくなる。むしろビジネスチャンスが多い方がいいというのである。政府も最近その方向に転換しようとしているようだ。

 富裕層が増えれば経済活動が活性化するのかといえばそうでもないような気がする。格差が拡張すれば結局大きな社会問題になる。等しく豊かにという社会主義的方策を続ける中国も、どうやら資本主義の軛からは逃れられそうもない。

 制度的な分配策よりも自主的な篤志を促す方策の方が結局はいいのかもしれない。自主的に困っている人や頑張ろうとしている人に援助できるシステムを作るのはどうだろうか。寄付に対するより大きな減税や褒賞をより分かりやすい形に示すのもいい。昔の日本はかなりのムラ社会ではあったが、同一集団に対しては相互扶助の機能も働いていたようだ。その長所は生かすべきでないか。

 コロナウイルスが大流行するたびに思うのは、人間は支えあわなくては無力だということだ。嵐が吹くときは助け合わなくてはならない。

仕事始め

 今日から仕事を再開する。年が変わっただけのことであるが、時間に区切りをつけて気分を変えるのは人類の叡智と考え、それにあやかることにしたい。

 やるべきことを書き出してから始めることにしようということは、昨年も途中までやっていた。いわゆるバレットジャーナル風ノートに書いていたのだがどうも続かなかったので、今年はスマホやタブレットのタスク管理アプリで行う。自分もこうしてデジタルの世界に取り込まれていくのだと実感している。

 毎年思うが今年も自己改革したいと考えている。挫折するまでは。

数学的思考

 ある人のインタビュー記事を読んでいたら、多くの人には数学的思考がなさすぎるという。そのために事実誤認が生まれ、さまざまな悪影響に繋がるというのだ。

 確かに私は物事を経験的な感覚でしか捉えていない。そしてその多くは間違っている。だか、私以外の人も同じような間違いをおかしているので困らないのだろう。

 日常些事ならばそれで済む。ただしこれが累積し、継続性を持つようになると大きな問題になる。科学的思考がとれなくなると、思い違いで酷い結果が増幅してしまう。それは損失以外の何者でもない。

 不利益を受けるのが自分だけならば自業自得だ。それが他者に影響するとなると問題は別次元になる。後生に課題を残すならばさらに問題だ。SDGsよりも大切なのはまずは思い込みによるエラーを減らすことにあるのかもしれない。

 数学の理論を学び直すのは容易ではない。ただ、単純な算術でもよいから、理をもって考える癖をつけなくてはならないと痛感する。

今年の目標

 このブログは主に自分を励ますために使っている。読者の皆さんにもこの自己暗示が何らかの役に立つのではないかと考えて公開を続けている。お付き合いいただいて本当にありがたく感謝に堪えない。

 今年の目標を書いておこう。言ってしまった限りやらざるを得ない。そういう状況に追い込むのが目的だ。

 まずは古典文学の紹介サイトを作りたい。長年、国語の教員をやってきたが最近はその場しのぎの消耗する授業ばかりになっている。このあたりで受け手の心に訴える話を残さなくてはならないと考えたのだ。さしあたっては大人向けの古典文学再入門のコンテンツにしたいと考えている。もちろん最終的には有料サイトにすることを目指したいが、とりあえずは多くの方に見ていただけるものにする。いまご覧になっているブログにもリンクをはる。

 次にボランティア活動の開始だ。多忙を理由に地域との繋がりがまったく築けていない。私のようなシニア予備軍世代でもできることを少しずつ始めよう。何をするのかは具体的には決まっていない。少しでも私の経験を活かせるものがあればやってみよう。

 そして、最後は健康の維持だ。これが他人に迷惑をかけない最善の策かもしれない。何もしないと衰えてくる身体のあちこちを健全に保つためにやるべきことを続けよう。ブログでもこの点を話題にしていこうと考えている。

 ほかにもいろいろあるが風呂敷を広げ過ぎるのもなんだと思う。この記事の読者の皆様には願わくはこれらの記事が空しくならぬよう少しだけ関心をお持ちいただければ幸いである。

年頭のごあいさつ

 2022年が始まりました。新年明けましておめでとうございます。

 おめでとうというのは予祝の呪術と学びました。まだ何も祝福すべきことは起きていなくても、めでたいと言うことで周囲にそのような状態をもたらすというのです。これが正しいのなら私は何度も言いたいと考えます。

 パンデミックが始まってから2年が経過しいまだ安心のできない日々が続いています。真夏のマスクを2回もしなければならないとは思いだによらなかった。それでもなんとか耐えてここまできたのです。この事実だけでもめでたいと言うべきかもしれません。

 予祝の意味を込めて、さらなる幸せが皆様の周りで重ねて起こりますように。

 明けましておめでとうございます。

2021年を振り返って 12月まで

9月は岸田文雄氏が自民党の総裁選挙に勝利し、時期首相になることが決まった。総裁選の一次投票では一位ではなかったことから、旧体制の問題点を指摘する声も上がった。コロナウイルスの感染者数がピークアウトして再び希望が見え始めた。ワクチン接種者が増えたことが原因ではないかと言われるようになったが市中でマスクを外す人はいなかった。

10月は衆院選があり、自民党の安定多数は確保され、日本の株価があがった。しかし、その後の発言から日本市場は苦境に陥ることになる。分配ということばがキーワードになっていた。

11月はオミクロン株の話題で持ちきりになった。海外では激増した感染者が日本では不思議なほど沈静化していた。プロ野球ではスワローズが日本シリーズで優勝したが、コロナ時代によく頑張った。職場ではコロナシフトがかなり改善されてきたが、オミクロン株のニュースに一喜一憂だ。

そして、12月は慌ただしく始まっている。欧米での感染者数の激増が連日報じられ、韓国も方針転換を余儀なくされている。相変わらずなにが正解なのかわからないまま毎日が過ぎていく。街には人がもどり、深夜の営業も再開されている。しかし、どうなのかはまだわからない。

2021年を振り返って 8月まで

 5月は緊急事態宣言下のひと月となった。オリンピックを控えての処置だと誰もが考え、少しずつ警戒の気持ちが緩み始めていたと思う。近隣の飲食店に廃業するところが散見されるようになり寂しく思った。

 6月は、生活保護を申請する人は増え始めているという報道が続いた。生活の格差が拡大しつつあることを実感した。すでに真夏日になることもあり、今年も暑い夏になると思われた。また激しい雨が降った日もあった。職場でコロナ感染者がでたのではないかという騒ぎがあり、結局は陰性と分かったが休業になった日があった。

 7月は熱海で大規模な土石流災害があり、多くの犠牲者が出た。土石流の原因が人災ではないかという議論があったがその後どうなったのであろう。メジャーリーグの大谷翔平選手が活躍し、東京オリンピックが賛否両論ある中、無観客開催を敢行した。東京にいながらもテレビでしか競技を見られないという大きな矛盾を味わった。海外の選手団にはおおむね好評だったようだ。それだけが救いの感があった。私はこの月に一回目のワクチン接種をした。

 8月は小田急線内の無差別刺傷事件が発生した。この後も同様な事件が相次ぎ、社会が病みつつあることを懸念している。東京オリンピック、パラリンピックは何とか行えたが、これと関係は不明ながらコロナ感染者が爆増してしまった。政府の対応が問題視された。それ以外の要因も含めて菅首相が退陣する方針が決まった。2回目のワクチン接種を済ませたが副反応は全くなかった。