投稿者: Mitsuhiro

クリスマスチャンネル

 海外のラジオ局にいわゆるクリスマスチャンネルというのがある。一年中クリスマス関連の曲をひたすら流し続けるのである。実は私は個人的に嫌いではなく、時々インターネットを通して聴いている。

 クリスマスソングは実に多様であり、讃美歌からポップスまで幅広く年中流していても尽きることがない。有名なメロディは当然何度も出てくるが世界中のミュージシャンが様々なアレンジで歌うからレパートリーは無尽蔵なのだ。

 日本で同じようなことはできるだろうか。お正月の歌は意外にも多くはない。ポップスでも正月をテーマにした曲は少ない。できそうなのは桜関連の曲だ。サクラを歌った曲は結構ある。ただ年間を通して放送するだけの数はあるだろうか。

 盆などもそれを題材にした楽曲は少ない。行事と音楽の結びつきは日本では顕著ではないのだ。逆にいえば、例えば正月は楽曲の題材として発展しうる余地を残しているということになる。

 クリスマスの伝統の深さを知るとともに文化とは何かを考えるのである。

ショートショートの手触り

 掌編小説には言葉足らずを楽しむという読み方がある。短い作品なので細かな設定は書き込まれないことが多い。作品世界にとって必要な情報だけが述べられ、あとは読者の想像に任される。それが小説の魅力であり、味わいである。

 もちろん作品として完結している中長編小説の方が味わいが深い。いわゆる短編小説もまた魅力的だ。ショートショートは不完全なだけに破綻も起きやすいが、そのほころびのようなものを楽しむことができる。

 短歌のようには手軽には作れないがでもまず小説を書くのならばここからと思わせる。でも意外と難しいのは、俳句が始めると奥深いのと似ている。

交差点

 交差点を見下ろす席に座ると、いろいろな人間模様が見える。それは仕組まれていないドラマのようだ。多くの人がそれぞれの目的に向かって歩く。それぞれの速度とそれぞれの歩き方で。

 なかには信号を待ちきれず歩き出してしまう人もいる。速度が遅くわたり切れない人もいる。大きな荷物を担ぐ人も、ジョギング姿で駆け抜ける人も。それぞれがそれぞれの目的で交差点を通り過ぎる。

 彼らが10分前に何をしていたのか、2時間後には何があるのか、そういったことを妄想していると不思議な気持ちになる。そして自分もまたこの交差点を渡って今日の務めを果たす。

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心の瞳

 坂本九さんの事実上最後のヒット曲の「心の瞳」は私にとっての精神的清涼剤であり、栄養素でもある。合唱曲としてもよく歌われていたので幅広い世代に知られている。

 坂本九さんがこの歌の発表後間もなく航空機事故で亡くなってしまったため、絶唱と言うべきものになったのは残念というしかない。しかし、この歌は歌詞もメロディもそして歌唱も素晴らしく、後世に伝えたい楽曲だ。

坂本九 心の瞳

 心の瞳は愛することとは何かを考えさせるメッセージソングだ。その答えは簡単には決まらない。大切なのは考えることなのだ。

秋の冷たい雨

Photo by JACK REDGATE on Pexels.com

 今日は一日中秋の冷たい雨になった。おそらくつい最近まで続きすぎていた猛暑の反動で絶対的な温度よりも寒く感じるのだ。こういう雨に久しぶりに降られたので外出が億劫になっている。よく考えていれば手袋もマフラーもいらないのだから、冬の国から帰ってきたら快適そのものだろうに。

 雨が降ると精神的に落ち着くこともある。余計な選択肢を自ら捨てて家の中にこもってしまうのは、見方を変えれば集中するにはよいということになる。ただ、そうやって本などに向かっていると別の意味で違った悩みも発見する。やらなくてはならなかったのに無意識に、もしくは意図的に後回しにしていたことがどんどん浮かび上がってくる。

 それらを再び忘れようと気晴らしのことを始める。およそ非生産的なことのほうがこの手の対策には向いている。だから無為な一日が生まれやすい。結局何かを始めようとして、ある悩みに気が付き、それを隠匿しようとして別のことを始め、いつしか時間がたっている。そういうことなのだろう。こうしたことをこれまでもう何度も繰り返しているというのに一向に制御できないのはなぜなのだろう。

 冷たい雨に打たれるほうがやはりいいのかもしれない。

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地震なき津波

 本日(10月9日)の5時25分ごろ、鳥島近海を震源とすると想定される地震が発生し、津波注意報が発令された。気象庁の発表によると7時17分に八丈島八重根で60㎝の潮位変動を観測している。津波を観測したのは高知県の室戸岬や、鹿児島県の種子島にも及んだ。

 この地震は不思議なことに震度1以上の観測がなされておらず、マグニチュードも発表されなかった。これまでの地震と津波の関係とは別の概念でとらえなくてはならないようである。一部の専門家は海底での地殻変動か火山活動が影響しているのではという。現在関東や小笠原地域はまとまった雨が降っており、空撮からの確認は難しい状況だ。

 鳥島近海で今月に入ってから何度か地震を観測しており、5日の11:00にはマグニチュード6.6の地震が発生した。その時も津波注意報が出ていた。今回はそれより小さな地震でありながら、津波が広範囲で観測された。津波は数十センチであっても強大な力を持っており、人々の自由を奪うものらしい。通常はこうした地震は発生してから1週間は警戒期間だというが、今回は構造が分かっていないためより長期の注意がいるらしい。果たして南の海で何が起きているのだろうか。

ある枠組みの中で

 様々な人間の生き方を共通するある枠組みの中でとらえるという手法は文学などの創作の世界では常套的だ。たとえば同じホテルに宿泊した人たちの人間模様を描くグランド・ホテル形式はいろいろな作品にみられる。この変形としては建物や乗り物ではなく、特定の地点の話としたり、特定の祝祭や行事を枠とするものがある。

 この方式で描く群像劇はそれぞれの人の違いの書き分けが肝要だ。同じ場所にいても個人の属性やおかれた立場が異なれば行わることは大きく変わっていく。年齢、性別、職業、直前に起きた出来事、人間関係など、それらのどれか、または複数が変われば大きく結果が変わっていくことになる。

 私たちはこういった作品を見たときに、いかに人生は多様なものであるのかを知り、そこに感動のポイントを見出す。個々人に別の今日があることは当たり前なのだが、日常生活の中ではそれを意識できない。むしろ自分と同じような毎日を過ごしている人が大半なのではないかとなんとなく考えている。そう考えることで安心もする。自分が自分だけの生き方をしているという自覚は時に大変な緊張をもたらすものだ。

 枠組みを決めて世界をみることで見えなくなるものがたくさん増える。その一方、見えてくるものも生じる。気づかなかった要素が浮き上がってくるのだ。

分かりにくい説明

 何かを説明するときにどうしても自分本位になる。自分が言いたいことをいうのだから当たり前なのだが、それが相手にとって分かりやすいのかという点に関しては検討しなくてはならない。自分にとって分かりやすい説明が、必ずしも他者にもそうなのかは分からないのだ。

 筋道を立てて説明すればいいという人いる。たしか論理性は必要である。話術もあった方がいいに決まっている。ただ、こうしたテクニックだけでは説明の分かりやすさは生まれない。おそらく根本に触れていないからだろう。

 説明の有効性を高めるのは相手の視点なり立場なりを想像し、それに沿って話すことにある。どんなに立派な説明でもこの線を外れていれば十分に機能しない。相手のことを知るためには準備がいる。聞き手の立場で説明を組み立てるのは当然であるが、意外に忘れられていることがある。中には相手の理解度が低いなどと嘆くこともある。それは実は出発点を誤っている自分のミスであるということを認めなくてはなるまい。

時代劇の効用

 いわゆる江戸物の時代劇がほぼ全滅していることは残念だ。中学生に大岡越前や遠山金四郎について尋ねたところ、ほぼ全員が知らなかった。昭和世代にしてみれば大岡捌きや金さんの双肌脱ぎの場面は当たり前だが、今の世代にはそれが通用しない。

 時代劇の価値観は決して理想的ではない。むしろ現代社会では否定されるべき要素も多い。でも、過去のモラルを比較対照の方法にするべきものとすることはできた。生活の中の古典というレベルにおいて。

 それがいまは大衆の多数派の考えに翻弄され、ようやく出てきた独自意見は個人の感想と纏められる。明らかにおかしな現実に対処できずにいる。

 時代劇の非現実性はそうした行き詰まりを打開する方法にはなっていた。正確ではないが、今の私たちの在り方もまた正解とは限らないことを明かしてくれていた。そういう役割を果たしていた時代劇が消滅していることはかなり不幸な事態ではないのか。

秋らしく

 上着着用だが不快感はなくむしろ快適だ。周囲も上着着用者が増え、通勤電車の群衆は雰囲気が変わった。

 連休が終わったら、リュック生活もやめようかなどと考えている。やはり上着を着てさらに背嚢は合わないと思う。

 荷物を減らさなくてはならない。いまの私はそのまま避難生活ができるくらい色々なものを持っている。それもほどほどにしていこう。秋らしくするためには捨てなくてはならないものもある。