自炊を始めたのは単身赴任の父のもとに母が時々「救援」に行った期間のことであった。私は大学に入っていたが、弟は高校生だったと思う。自炊といっても、出来合いのものを温めるようなものであったが、弟などは魚屋でイワシを買ってきて刺身にしたりしていた。わが兄弟のサバイバル料理はこのころから始まったと言える。
私にとって本格的な自炊の始まりはひょんなことでいきなり地方生活になった私の境遇による。富山県魚津市に勤めることとなり、住まいは隣市の黒部市になった。その頃は市内にコンビニエンスストアがなく、大抵の店舗が夜8時には閉店した。それに間に合わないと酒も買えない。アルコールの自販機はなかったからだ。

最初に覚えたのはなぜか親子丼だ。料理の教則本のようなものを見ながら、作ってみると意外にいけた。調味料の配合比をその都度計量スプーンで正確に測っていたからだろう。だんだんいい加減になり、日によって少しずつ違う味付けになるようになったが。酒のつまみにこんにゃくを炒めたものをよく作った。これもなぜか手に入れた独身男性向けの料理の作り方ビデオで学んだものである。その大半は酒の肴の類で結果的に家で飲む酒も増えることになった。
富山は魚がうまい。いわゆる高級魚は都会の方がいいものが手に入るのかもしれない。いいのは下魚と呼ばれる魚だ。黒部市の生地の付近では「なんだ」という魚が切り身としてパックで売っていた。結構な量で100円足らずだ。いつも切り身で売っているので魚の正体は分からなかった。今調べてみるとタナカゲンゲというそうで、ナンダは黒部市付近での方言だという。深海魚らしくカニ漁での網にかかるのだそうだ。見た目はあまりよくないが鍋にするとかなりうまい。ひところはこればかり食べていたこともある。もっと有名なゲンゲも美味だったが、これらの魚は鮮度が落ちやすく県外には流通しない。地元でのみ食されたものであったようだ。いまはそのうまさが知られて、高級食材のように扱われているところもあると聞く。社会人になりたての私にとってはこうした格安の魚は実にありがたいものであった。
ほかにも卵が1パックで1円(ただし、他の物を500円以上買った場合のみ)とか、富山県の伝統野菜ともいえる赤かぶやかもり(賀茂瓜)なども試してみた。赤かぶは簡易漬物器で塩漬けにしてよく食べた。そのころは何でも自分で作ろうとしていたし、作れないものは食べられなかった。いまは外食をよく利用するが、その頃は入りやすい店がなかったのに加えて、一人暮らしを始めたばかりの気負いもあって、職場の飲み会(これが多かったが)がない日はすべて自炊であり、インスタント麺を使うことも少なかった。
外食産業が発達しておらず、閉店時間が早いというのは今では不便そのものとみなされるだろうが、いろいろな能力を育ててくれる大切な機会であったと思う。便利なことがいいわけではない。そんな当たり前の結論の話である。
