この齢になると悔い多く悩みさらに多い。ただ、多くの先人がいうように反省するのは若い世代に任せればいいと思う。もちろん人様に迷惑をかけるのは論外だが、自分だけに収まるものであれば大いに縮小再生産で結構だ。大切なのは他人の評価ではなく、自分の矜持を保つこと。それも他人との比較ではなく、自分が今生きている世界を肯定できればそれでいい。
ただ、一方で今の持ち分で何か世のために残せることはないかという思いはずっとある。そう考え続けているうちに、自分の能力が漸減、あるいは急減していることに最近気づいている。今日できることが一ヶ月後にできることとは限らない。今の不摂生な毎日ではこの世からの退場がいつなのかも分からない。ならばやれることをやっておくべきだと思うのである。評価は後世に任せてやるべきことはやっておこうと。
いまはインターネットで検索すれば自分のやりたいことの上位互換の例はいくらでも見つかる。ただ、それが自分の理想かといえば少し違う。やはり自分のやりたいことは別にあり、自分の考える妄想には幾分かの価値があるのかもしれないということも同時に発見できるのだ。
ただ、自分でそういう考え方をまとめ、形にするのは手間とコスト、ときには犠牲も伴うから、既製品で満足しようと考えてしまう。大概はそれで何とかなるし、損得勘定からしてもその方が賢い。
でも、それでもこういうやり方もあるんだと無責任に言えるのがシニア世代なのではないか。多くの駄作の中に、現状打破の萌芽がある。最新のテクノロジーは若い技術者によって生み出されるかもしれないが、これからの世界に適切な哲学は世代に関係なく生み出されるだろう。私たちの世代はこのことを忘れてはならない。
経験知を言葉にし、さらに新しい知見を分かりやすく説明できるようにすることに私は今後の人生を費やそうと考えている。いろいろな衰えを感じている毎日で、それを断ち切るための精神的指針と言ってもいいだろう。
