中国で行われたというロボットの運動会の映像を見て、いろいろ考えることがあった。そこに可能性をみるのか恐怖を感じるのかは立場による。人間より速く走れたり、高く遠く飛ぶことができるのは当たり前だろう。人間には進化の末の肉体の限界があるが、機械はそれを超えるように設計できる。運動能力が超越するのは容易だ。技術力の向上は肉体の進化とは比べものにならないほど急速だ。
ロボットの行進を見て、誰もが脳裏に浮かんだのが軍事利用される危険性だろう。ドローンが国境を超えて正確に標的を攻撃している現在、二足歩行をし、しかも人間より速く移動するロボット兵士が、人工知能を積んで前線に送り込まれたならばという恐怖が浮かんだはずだ。これからの戦争はロボット同士が戦い、最終的には人間が支配されることになりそうな気がする。子どものころ見たSFがノンフィクションになりつつある。
軍事利用は絶対に避けたいが、例えばこんなことを考えた人も多いのではないか。東日本大震災で福島第一原子力発電所の廃炉作業が強い放射線のために滞っているが、ここにロボット作業員を投入すれば解決に近づくのではないか。細かく正確な作業は人型ロボットが代替してくれるのではないかと。これが実現すれば世界中の危険箇所へのアクセスが向上し、救われる人が増えるのではないかと。
平和利用の方法はいくらでもある。高齢化と、人口減少が進む我が国にとっては機械の労働力は不可欠だ。今でも工業用ロボットが活躍し、それに愛称までつけてしまう日本の精神風土は、ロボットを受け入れる環境がある。というよりも受け入れなくては立ち行かなくなる未来を多くの人が予見している。
アイザック・アシモフが1942年に提唱したロボット三原則、すなわち人間にとって安全であること、人間に服従することと、その二つに抵触しない限り自己防衛が許されること、ということは当時としては絵空事だったのかもしれないが、今は真剣に考えるべき問題になっている。ロボットの運動会を見てますますその思いを強くした。
