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懐かしい曲

 金曜の夜は実はかなり披露している。体力の減退もあるが、いまの生活は毎日が全力で行かなければならないという思いが強く、心身ともに困憊してしまうのである。もっと余裕があったはずなのに。それを思うとさまざまな悪い付帯事項が惹起するので、すぐに打ち消すことにしている。

 疲れた夜にするのはなにか。いろいろ試してみるがどれも神経をかえってすり減らしてしまう。そのなかで成功率が高いのが若いころに聴いた曲を聴くことだ。昔夢中になって曲を聴き直してみると、その当時のことがほんの少し思い出される。当時の若く甘い人生観を思い出すとなぜかほほえましく感じてしまうのである。同じ自分であるのに。

 それを今を嘆く材料にしてしまっては逆効果だ。むしろ、忘れていたひたむきな気持ちを取り戻すことを思うのがいいと思う。そして大抵の場合、そういう方面に心は動くのである。懐かしい曲を聴くのは知らず知らずのうちに失われた何かを取り戻すためのきっかけなのである。

昔の流行歌

 レストランなどで昔流行っていた曲がインストルメンタルにアレンジされてかかっているのを聞くとき、あれは何の曲だったのかと考えることがある。楽しみなことである。

 すぐに思い出せることもあれば、断片的にしか分からないもの。ちょっと時間が経ってから分かるものなどがある。ようやく分かったときはかなり嬉しい。

 スマホには音楽検索のアプリがすでに入っており、それに聞かせればほぼ曲が特定できる。しかし、それはなるべく使わずに思い出すのが楽しみなのである。

楽器の仕組み

 音楽を奏でる道具である楽器の種類は数しれない。オーケストラでよく使われる楽器だけでもかなりの種類がある。私は個人的にギターやウクレレなどを弾くことがあるが、同じ名前の楽器の中でもかなりのバリエーションがある。

 楽器の仕組みが表現の幅を大抵決めてしまう。喜びの歌か、悲歌というべきものなのかは、演奏の直前に決まる。その楽器の表現できる幅が表現の仕方を規定しているといえる。もちろん、奏者の技巧によってその幅は大きく変わるのだが、そしてその技巧こそが芸術の核なのだが、大枠を決めているのは楽器の構造である。

 私はギターやウクレレを下手ながら時々演奏する。この2つは起源をともにし、奏法も似ているのでほとんど何も学ばずに両方の演奏が可能だ。だが、これらの楽器にはそれぞれの持ち分のようなものがあって、音色とか響きというものは独自のものがある。

 楽器が異なれば出せる音が異なる。その持ち味をそれにふさわしい楽曲で活かすのが音楽なのだ。これは楽器だけの話ではないだろう。

Words

 懐かしく思う楽曲に偶然接することがある。F. R. Davidが歌うWordsには最近出会った。誰もが共感しやすい純粋な気持ちを、透明感のあるボーカルで歌うこの曲は学生時代によく聴いた。当時、流行っていたギター関係の雑誌に楽譜が掲載されたのでコードも分かったので歌ってみたこともある。

 最近までこの曲の作者がユダヤ系フランス人であることを知らなかった。歌詞が分かりやすい英語であるのは母語ではなかったからなのか。分かりやすい歌詞は語学力のない私にも何とか理解できるのもだった。Words don’t come easy to me. How can l find a way to make you see I love you. Words don’t come easy. は繰り返されるフレーズだが若いころには切なさを実感できた。

 1982年のリリースというからもうかなり昔の曲だ。その頃は自分自身が歌詞のような思いにとらわれる瞬間が何度もあったが、いまはそれを懐かしく思い出すばかりだ。なんでも言語化して効率を上げるべきだと繰り返す言説を少々煩く感じることさえある。

昔覚えた曲のメロディは

 中高生のときは結構歌が好きだった。それもいわゆるニューミュージックといわれていたもので、ちょうどそのころ始めたフォークギターでへたくそな歌をよく歌った。今でもギターをときどき弾く。読書以外では長続きしている趣味の一つだ。不思議なことに全く上手くならないのは趣味以上のものを求めなかったからだろう。

 昔歌った歌を動画サイトなどで検索して再生してみると自分の覚えているのと微妙にメロディーが違うことに気づく。つまり、間違って覚えていたのだ。最近の曲はかなりオリジナルに近い形で歌えるのに、中高生時代に覚えた歌はしばしば間違っている。なぜだろう。

 おそらく昔覚えた曲はテレビやラジオで流れていたのを覚えたので、細かいメロディラインまでは覚えられなかったのだろう。ギターの練習で使った雑誌の付録は歌詞とコードしか書いていない。もっとも楽譜があっても譜読みができない私にとっては同じことだが。だから、なんとなく覚えたときに勝手にメロディを変えてしまっていたのだ。CD(当時はレコード)を買う小遣いもなかった私は耳コピだけが歌を覚える手段だったのだ。

 最近の歌は音楽配信サイトや動画サイトで繰り返し視聴できるので、複雑なメロディラインでも何となくそれふうに歌えることが多い。またギターコードを提供するサイトにもオリジナルの音を再生できる機能を付けたものもあり、それを何度か聞くことで原曲に近い歌唱ができるようになる。

 こういう風に書くといまは便利になってよかったということになるが、実は私が勝手に作り替えたメロディもなかなかいいのではないかと思ったりしている。原作者には申し訳ないが少ない資料の中で必死に覚えた分、なんというか愛着もあるのである。人前で歌う場合(そんなことはないが)は正しく直さねばならないが、自己満足の場合は間違えて覚えたままでいいのではないかと思っている。

芸術は長し

 フジコヘミングさんが亡くなられた。数年前、コンサートでその演奏を聴いたことがある。ラカンパネラなどの難曲を含む演奏に感動した。ピアノに辿り着くまでは歩行補助具を使っていたのに、演奏になると雰囲気が変わる。もちろんミスタッチもあったが、そんなことが気にならないほどの表現力とオーラがあふれていた。そのとき90歳であった。

 天国でも演奏を続けられるのだろうか。演奏の記録と記憶はこれからも長く残るはずだ。ご冥福をお祈りします。

卒業ソング

 3月9日というとこの名を持つ卒業ソングがある。2004年発売のレミオロメンの曲である。20年経った現在でも人気があるらしい。皆さんにとっては卒業の歌と言ったら何だろう。

 私はこの歌の世代よりはかなり上なのだが、素直な歌でありロックというよりフォーク調のこの歌は好きである。わかりやすいメロディであるがボーカルは自由な展開で同じように歌うのは意外に難しい。

 「学生時代」とか「青春時代」とか「卒業写真」といった懐かしい歌もなぜか覚えている。森山直太朗の「さくら」やRADWINPSの「正解」なども好きな卒業ソングだ。人生の節目を歌にすることで様々な思いが託されるのがいいのだろう。

 今年は何を歌おうか。

年齢とともに獲得したもの

 子どもの頃は演歌が嫌いだった。短調で恨み言や我慢することばかりが歌われ、どの曲を聞いても同じように聞こえた。昭和の歌謡番組は演歌もいまでいうJ-POPも同じ扱いだったので、若手のアイドル歌手の後で演歌の大御所が歌うことは普通にあった。

 歳を重ねるにうちに演歌の味わいも分かるようになってきた。そして今風と考えていた当時の言葉で言うニューミュージックも演歌的要素がメロディーや歌詞に多分にあることが分かってきた。これは現在のはやりの曲でも同じことが言える。

 少年時代に演歌がなぜ受け入れられなかったのか。語弊を恐れずに言えば日本人になりきれていなかったということになる。これは国籍の問題ではなく、心的傾向としての日本らしさといった意味である。生活がアメリカナイズされ、資本主義的な価値観で過ごす子どもはどうしても日本人が本来持っていた屈折した人生観を送らなくてはならない状況への健気な対応という心性への理解ができないのだ。

 演歌の精神が分かりかけたとき、かつての存在感はなく、もはや滅びつつあるものになりかけている。というのは言いすぎだが、少なくともかつての勢いはない。紅白歌合戦でも演歌のときには必ずおまけの余興が用意され歌を集中して聞くことができないものだった。

 年齢とともに理解できるものもある。いまの若者はシニアになったときに何に目覚めるのだろうか。

失恋のクリスマスソング

 このごろ巷間で流れるクリスマスソングで印象的なのはワムのラスト・クリスマスと山下達郎のクリスマス・イブだ。この曲がかかるとなぜか心が惹かれる。

 2つの曲に共通するのは優しくも感情のこもったメロディーラインに、失恋の歌詞が乗っていることだ。クリスマスの告白が見事に失敗するのに、未練が残ってあれこれ考える。そんな内容だ。切なさの中に歌うことで何とかしたいという気持ちが込められているようにも感じる。

 長い年月歌い継がれ、流され続けているのは多くの人に共通する感情を表現しえているからだろう。華やかなクリスマスという行事との対比もいいのかもしれない。また、恋を知らずに憧憬が先行していた年齢のときに感じたものと人生の第4コーナに差し掛かっているいまとでは印象もかなり異なる。

 この曲を今後どのように聞くようになるのだろう。

長崎は今日も

長崎は雨が多いところではない

 内山田洋とクールファイブのヒット曲「長崎は今日も雨だった」は昭和世代ならば知らない人はいない。歌詞は忘れても前川清の顔をしかめて熱唱する姿と「ワワワワー」のコーラスは記憶に焼き付いている。

 ところがいまの若い世代にはこの話は通じない。いい歌だから是非とも後世に伝えるべきだとは思うけれど詮方無い。でもどうして雨なのだろう。長崎は別に降水確率が高い地域ではない。たしかに水害はあるがそれはあくまで突発的なものだ。

 雨に感じる情緒を説明しなければ伝わらない。昭和という時代は価値観の変動がはげしく、同時代人でさえ戸惑うほどだ。雨に人情を感じるのか、生産活動の障害としかみない人もいる。現今は情緒を感じられない人が増えた。

 長崎でなくても雨の日には特別な思いになる。かすかな心の動きを感じ取ることを大切にしたい。おそらくいつかは寂しい雨に救われる日が来る。やさしさとはこういうところに表れるものである。