明日から連休で仕事が終わらないのに、強制的に退勤させられたあと、外はかなり強い雨が時折り通り過ぎていた。激しい雨は一部で交通機関に影響を及ぼしているようだ。
明日から何をしようか。そんなことを考えさせない雨の中で、そうだ最近読めていいない本でも読むか。短い話でも書いてみるか等といろいろ思いついては、そのまま流していつの間にかうやむやになっている。
昨年のこの時期もそんなことを考えながら何も出来なかった。特別なことはせずに過ごそうと考えている。
日々の思いを言葉にして
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若い人たちと話すとき、つい今の世代は恵まれている自分はこんなに苦労したという話をしたくなる。でも、止めておくことにしている。昔は昔の苦労はあったが現在の条件こそ異なれ大変なことには変わりない。比較することに意味はない。
ある時期まで、若い世代の苦労話というのが軽薄に聞こえて仕方なかった。何を甘いことを言っているんだと思った。この感覚は世代ごとに繰り返されるようで、昭和後半の私の経験は、先輩たちにはかなり甘いものに見えたことだろう。戦争の経験のない世代は同じ日本人とは思えないほど価値観が違ったはずだ。
その先輩たちも、明治の人々からは幸せ者と思われていたはずだ。時代は巡り、世の中が発達しても、それぞれの時代に苦労はあり、悩みがあったはずなのだ。
だから、現代の若者の感じている苦難を軽く見積もるのは止そう。彼らの生活の背景となっている時代というものは、登場人物を明るくも暗くも照らし出す。自分だけ過去の世界に逃避してあれこれ批判しても新次元は見えてこないだろう。
最近の命名は男女ともに2音節か3音節らしい。私の世代では女性は3音節、男性は4音節が多数派だった。日本人の名前は短くなっている。
親がつける名前について本人は拒むことが出来ない。いわゆるキラキラネームが人生の行く末に影響を及ぼしたとしても、本人はそれを克服するしかない。名前は所詮記号の一種であり、という一見正論に見える論理を展開してやり過ごすしかない。
でも、名前のもたらす影響は意外に深いのかもしれない。つよしと名付けられれば、心身根性のなにかは分からないが強靭であらねばならないと考えるのだろう。実態はどうであれ、心がけとして、強くありたいという気持ちが内包される。
最近の名前は意味よりも音声の方に興味関心があるようだ。漢字を取り合わせて外来語を表現するのはユニークだが、無理があるものもある。譲治や賢人はそれだけで英語のようだが、舞久や実希を男子の名として使うのは抵抗がある。日本語は外来語に寛容な言語であるから、人命に関してもさまざまな可能性があるのだ。
江戸時代の人の名前を奇妙に感じるように、未来の日本語話者は21世紀の人の名前をクラシックとして感じることになるのだろう。彼らはどんな名前になっているのかと想像すると少し楽しい。
今日は少し気温が下がったというが湿度が高く、体感的にはむしろ暑さを感じた。エルニーニョは終息して昨年のような猛暑にはならないという長期予報も出たが全く安心できない。暑さによる気力の減退、それに伴う間違い、失敗が続出しないか心配になっている。
失敗したら、それを教訓にやり直せばいい。人にはそういうが自身のこととなると臆病になってしまう。特に最近はちょっとしたことで体調や心理面での調子を崩しやすいから気をつけている。さしあたり、なんとかなると言い聞かせる自己暗示法が奏功している。あとは読書や音楽への現実逃避の手段もよく使う。
天候は誰にも変えられない。配られたカードで何とか切り抜けるしかない。大負けしなければ勝利したも同然、少しの後退なら必ずまた取り返す。いまはそんな強がりが自分を支えている。
公園と呼ばれる空間は共有地として機能している。有料の場所もあるが、多くは無料でその維持費は自治体の支出、つまりは税金である。この空間の意味は大きい。
土地が私有制になるとどうしても格差を生み出す。面積もそうだが、その土地の価値がいろいろな側面から決められ、地価となって表現される。土地を所有しているだけで一種のステータスとなり、それが財産として引き継がれる。もちろん相続には税がかかるが、所有が富のもとでとなることは揺るぎない。
持たざるものも出入を許されるのが公園だ。当然、モラルやルールは守らなくてはならず、勝手に居座ることはできない。ただ、法令を遵守している限りは追放されることはない。このような余裕を残しておくことは都市生活を送る上ではかなり大切だと思う。
公園の成立には様々な経緯があり、中にはかなり政治的な事情もあるようだ。それでも私有空間に一定の猶予を設けることはとても大切だと思う。
Excelの関数を少しずつ覚えたおかげでできることが広がった。かつては手作業でやっていたことの大半は関数の知識だけでもなんとかなる。プログラムを施せばもっとできることが増えるのだろうが、いまのところ人の作ったもののマイナーチェンジが関の山だ。ただ、これらを使って仕事の時間が減ったかといえば答えは否である。
私の仕事は対面的なものなので、結局人と付き合う時間は確保しなくてはならない。コンピュータ任せにした仕事で浮いた分を、個人とのコミュニケーションに費やすから、仕事時間はあまり変わらない。対人時間を増やした分だけ仕事のやり甲斐は向上した。単純作業に費やす時間は減らした方がいい。
働き方改革政策の影響で退勤時間は厳しく制限されるようになった。時間内に終わらせる為に自動化はやはり欠かせない。そして、その分直接対象者と話し合う時間を設けるべきだろう。私の職場の話なのだが、これは我が国の復活のためにも不可欠だと考える。
大阪で関西万博が始まった。大阪での万博といえば1970年の大阪万博が思い出される。私自身はまだ子供であり、親にも経済的な余裕がなかったのだろうか、連れて行ってはもらえなかった。父は仕事で訪れたらしくソ連館の記念メダルを土産として買って帰った(はずだ)。どうもこのあたりのいきさつはよく分からない。
1970年の時点では多くの家庭がモノクロのテレビを所有していた。カラーは高価であったし、放送そのものも完全にカラー化していなかったので切り替える家庭は少なかったのだろう。ただ、万博の中継を見るためにカラーテレビを買おうという動きはあった。我が家にもそんな話題が出ていたはずだが、おそらくすぐにはできなかったのだろう。ウルトラマンもウルトラセブンもモノクロテレビで見ていたことになる。再放送をカラーテレビで見たため記憶が更新されてしまってその当時の印象は分からない。
1972年の札幌オリンピックの頃にカラーテレビが我が家にやってきたのではないかと考えらえる。でも、覚えているのはダイヤルを回して色調整をしてみるというもので、今から考えるとかなりぼやけた感じのものだった。しかし、それでもリアルさが増して驚いたことをわずかに覚えている。高度経済成長期に入って、モノの価格があがり、人々の生活が派手になり、公害などの社会問題が取りざたされた。それらをカラーテレビで見ていたことになるが、子どもの自分にはよく分からないことばかりだった。
今回の万博でもさまざまな新技術が紹介されているらしい。また、これを機に民間に普及するものもあるのかもしれない。かつてのような勢いのない日本にSociety5.0は来るのか。行事の成否はもちろん、今後の生活について考えさせられている。
このところの天気はかなり大雑把だ先日は雷雨であったが今日は晴れて初夏の陽気、明日は雨で気温も下がるという。寒気と暖気のぶつかり合いが影響しているのだろうか。それと関係するのか分からないが、かなり体調がおかしく昨日は市販の風邪薬を飲んだ。暑さ寒さも彼岸までなどというような昔の言い伝えは現代には通じないようだ。10℃近い日格差、晴雨の繰り返し、気圧の変化など様々なものが私を苦しめる。
思うに少しずつ気温が変化するのは対応できるが、変化が激しいとどうしようもない。最高、最低気温よりもそこにどのように至るのかで身体へのダメージは変わる気がする。四季という概念が崩れ、とても長い夏と短い秋と少し長い冬、そしてまた春がものすごい速度で過ぎてしまう。最近はそんな感覚がしている。古今和歌集の四季の部立ては明らかに春秋が長い。それがどんどん痩せている。伝統的な季節感はいずれ消滅してしまうのではないか不安である。
世界情勢が不安要因で満ちている昨今、せめて天災だけは勘弁願いたい。そう思っても異常気象は続くことになりそうだ。克服できることを信じたい。
高校で学んだことを説明してください。
はるか昔の話になった高校時代。自由な校風といえば聞こえはよいが、少々緩すぎた生活だった。制服を着る義務はなく自由服だったが、なぜかクラスに何名かは制服を着ていた。
授業も教員の個性により様々で、受験勉強に特化してしているものも、自分の自慢話を長々と聞かせるものも、話は面白いが試験に出ることは少ないので(次のテストには出ないが結局重要な話が多かった、と後から気づいた)生徒受けがわるいものも、親や都民に感謝せよと何度となく言わせるものも実にさまざまだった。
一番学んだのは上には上がいるというちょっとした挫折と、それでもなんとか続けていれば幾分かの目標は達成できるということだろうか。自分に向いていないことは敢えて後回しにして、やりたいことに注力する方がいいということも知った。これは勉強のことだけでなく、普段の人間関係や部活動などで経験的に知ったことだ。
学校という場所は思い切り失望し、たくさんの夢を持つきっかけを与えてくれる。7勝8敗でも負け越しではない。