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個人レベルでのアップサイクル

 これまでは廃材扱いされていたものを製品として利用し、商品価値を見出していくことをアップサイクルというのだという。使用されたものを再利用することや、その素材を別の形にして利用するリサイクルとは別の概念だ。リサイクルの多くは、二次利用の方が商品価値が低い。これをダウンサイクルというのだそうだ。つまりアップサイクルは素材の価値の再評価を基にしている。

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 大量生産と大量消費、そして大量廃棄が私が生きてきた時代の主流であり、それこそが経済の成長の基本と教えられてきた。それが地球規模の環境破壊の進行が明らかになり、その影響があらわになっている状況下で見直しが余儀なくされているというのだ。究極的には使わないのが一番なのかもしれないが、それでは人間の文化的な生活は維持できない。そこで有限の資源を極力使いつくすという考え方が広まりつつあるのである。

 そうはいっても何をもってアップサイクルできるのかというのは知恵がいる。少しでも何かが欠ければすぐに新しいものを買い足すことを続けてきた私たちには、そもそも価値のあるものを見分けられる目が育っていない。これはこういうことにも使えるという発想力が必要なのだ。コピー用紙の余りを、計算やメモの用紙に使うのは先ほどの分類でいえばダウンサイクルである。メモ用紙は結局捨てることになるからだ。でも、その用紙で何か造形して芸術品として仕立てると話は変わる。結局いつかは捨てなければならないが、捨てるまでの日々に見る人の感情に何らかの形で働きかけるオブジェになることで、別の価値が与えられたからである。

 食品加工や建築素材の分野では様々な方法でアップサイクルを模索しているようである。素材観の見直しで新商品を開発することが急務のようなのである。私が考えるのは個人レベルでのアップサイクルには何が必要かということだ。そこには無価値と考えられてきたことに価値を見出す想像と創造の力が必要であるのは間違いない。そしてそれは意外なところにある。空き缶をペン立てとして利用しているのはささやかながらアップサイクルの一例であり、ふた付きの缶を様々な収納用に使っているのも捨てるよりはいい。そういうところから始めるべきなのだろう。

少し先のことを考える

 中学生のときの社会科の教科書に小さなコラムがあった。このままでは、地球の温度が少しずつ上昇するかもしれないというものだった。授業では扱わなかったし、そんなことが本当に起きるはずはないとほとんどの人が思っていた。

 それから続く気象データの異変は、温暖化や気候変動といつた言葉で説明されるようになった。15年以上前のテレビ番組で、もしかしたら将来は桜の開花が1月か2月まで前倒しするかもしれないという内容のことがコメントされていた。その時も大げさだ。SFだと思った。

 残念ながら、それらの予言のいくつかは当たり、あるいはその状態になる過程にあるといえる。気候の変化が災害をもたらし、農業や漁業などに大きな影響を与えている。予め知らされていてももはやどうしようもないと思えるほどになっている。

 より俯瞰的な視点を取れば、地球はこのあと寒冷期に入るともいう。だが、たかだか100年、それにも達しない寿命しかないヒトにとっては、数世代あとまでのことを考えるのが精一杯だ。その間の変動で幾つもの種が絶滅し、そうではなくても深刻な危機が訪れる。人間にとってはそれらがもたらす動揺が動乱やテロ、そして戦争を誘発し、自滅の道を進むきっかけになるかもしれない。

 少し先のことを考えることは大切である。地球規模の歴史を考えると我々は無力であり、いかに今ある世界を保全し後代に伝えるかを考える方がよい。気候変動はそれを気づかせるためのものなのかもしれない。

不安定な大気

 今日の午後は東京の各地で豪雨があり、一部障害が発生したところがあった。大気が不安定であり、一時竜巻注意情報も出されていた。大気が不安定になったのは異常な高温で加熱した地表と上空の温度差が広がったためと考えられる。東京のようにアスファルトで地表面が覆われた場所では特にその傾向が起きやすいのではないだろうか。

 加えて北関東のように周囲を産地に囲まれた場所では、東京などの都市部で暖められた気温と、山越えのいわゆるフェーン現象による高温が複合して異常な猛暑になる可能性があり、そこで発生した雨雲が時に豪雨となって被害をもたらすのかもしれない。

 様々な要因が複合して大気が不安定になっている。人間ができることは限られているが、せめてアスファルトやコンクリートなどの露出を少なくして、緑化したり熱量を吸収する何らかの仕組みを開発するべきだろう。今年のような夏が続けば必ず大きな被害が発生するはずだ。その前にできることは何があるのかを考えてほしい。

ペットボトル回収サービス

 コンビニエンスストアのセブン-イレブンはペットボトルの自動回収機を設置している店舗がある。同社のnanacoカードを登録すると5本ごとにポイントがつく。最近これをよく利用している。

 この回収機は500ミリリットルくらいまでの透明でフタ、ラベルをとり、洗浄後、潰していない状態のもののみを受け付ける。一部のお茶の容器は少し色がついているので引き取ってくれない。私の居住地域では隔週でペットボトル回収があるが、つい忘れてしまうこともあり、いつでも回収してくれるセブン-イレブンのサービスには感謝している。

 潰さないで持って行くというのが注意点である。容器の形で内容を判断しているようだ。だから、キャップの口が狭くなっていない容器は受け付けないことがある。

 マイクロプラスチック問題が認知されてから容器の回収については関係企業では重大問題となっている。リサイクルの方法は色々あっていいと思う。分別がある程度できているほうがコストが下がるらしい。このような取り組みが評価されてよいと考える。

すずめ続報

 この前すずめを見かけなくなったという記事を書いてから、ずっと気になっている。やはり、私の生活圏にはすずめがいなくなった。一度だけ10羽ほどの群れを見たときは実に嬉しい気持ちになった。

 恐らく私のようなアスファルトに囲まれた空間にお住まいでない方々には何のことか分からないだろう、確かにすずめに出会う機会が激減したのである。カラスやハトはいくらでもいる。ヒヨドリやムクドリもいるのになぜかすずめだけが消えてしまったのである。

 様々な環境要因を考えなくてはなるまい。いまは小さな鳥の問題だが、この延長に人間がある。何が原因なのかを明確にしてその対策を考えなくてはなるまい。

海の異変

 最近、漁業関係者から海に異変が起きていることが相次いで報告されニュースになっている。先日はアラスカ近海でズワイガニの収穫量が激減していることが報じられていた。原因は海水温の上昇によってカニの新陳代謝に異変が起き、より多くの餌を必要とするようになり、結果として餓死したことらしい。

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 日本近海でも大量のイワシが沿岸に押し寄せたり、イカが不漁になったり、南方にしか生息しないはずの魚類がとれるようになったりするなど、数多くの異変が起きている。これらの原因は一つではないのだろうが、そのなかにやはり海水の温暖化があると考えられている。

 気象庁によると「日本近海における、2022年までのおよそ100年間にわたる海域平均海面水温(年平均)の上昇率は、+1.24℃/100年です。 この上昇率は、世界全体で平均した海面水温の上昇率(+0.60℃/100年)よりも大きく、日本の気温の上昇率(+1.30℃/100年)と同程度の値です。」とあり、日本近海の海水温の上昇が特に大きいことが指摘されている。

 海の温暖化にともなうリスクには、海水からの蒸発量の増加にともなって台風、低気圧の発生が増え、天災の発生率を上げること、大気中の二酸化炭素が海水に溶け込むことにより、海水が酸性化し生態系に影響を及ぼすこと、などの実害をもたらすという。漁業大国である日本にとって海水の変化は産業面でも大きな影響をもたらす。将来すしネタの大半は日本近海ではとれなくなるという人もいる。

 海の変化を知らせるニュースはその意味で大きな懸念材料だ。空と海はつながり、その中に陸がある。陸で暮らす生き物が空と海に悪影響を及ぼしているのなら、それは制限していかなくてならない。

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秋冷

 最低気温の方に関心が出ている。今朝などは12℃の予報で実際にもそれに近いところまで下がった。今後も10℃台の前半で推移するようだ。かなりの肌寒さを感じる。

 さかんに鳴いていた虫たちも心なしか力弱くなっている。もう10月も前半が終わる。秋は夏に削られて身を細くしているのだ。気象庁によれば1898年から2019年の間に日本の観測点の平均気温は1.24℃上昇しているという。もっとも近藤純正東北大学名誉教授の研究では過去のデータには測量機器の精度の問題や、観測環境の変化による誤差が大きいため、いくつかの補正を加えたうえで0.77℃の上昇と結論している。数字にしてみればわずかだが、この小数点以下の違いでも気候の変動の影響は大変大きいのである。

 2015年の国連気候変動枠組条約締約国会議で決まったパリ議定書によれば、産業革命以来、2030年までの気温上昇を2℃以下、できれば1.5℃以下にする努力をするというものだった。算定の基準があいまいなので数値的な説得力があるかが議論されなくてはならない。昨年のニュースでは昨年の世界気象機関の発表では産業革命前からすでに1.15℃上昇しており、近年上昇率が加速しているという。果たして約束は果たせるのか。

 一日や一年の寒暖だけでは判断ができないのがこの問題の深さだ。今朝は肌寒いが温暖化が事実だとすればこれでは物足りないということになる。

第2球場が消えている

 渋谷に住んでいた頃、近くの神宮外苑にはよくでかけた。中高生の頃は自転車で周回道路を走ったり、芝生の広場で野球をしている人たちを眺めたりしていた。当時は全く人気がなかったスワローズの神宮球場の試合を新聞社の景品でもらったチケットで観に行くようになって少し付き合いが深まった。学生になって野球部の試合も観戦するようになった。当時から気になっていたのが第2球場の存在だった。

 神宮球場に隣接する第2球場はおそらく練習用に作られたのだろうが、私がこの地に通っていた頃にはすでにゴルフ練習場となっており、不思議な存在だった。時々突然大学野球が行われたりしていた。ただ、その時点で野球以外の使われた方が優先されていたようで、神宮球場で大学野球とプロ野球が同日開催のとき、スワローズの選手は近接する芝生のグラウンドで肩慣らしをしていた。当時の主力打者の広沢選手は球場から明治大学の得点を意味する応援歌が流れるたびに喜んでいたのを思い出す。

 第2球場に入ったことはおそらく2度ある。一つは高校野球の大会で、もう一つは東都大学野球の試合だったと思う。どちらも観客は少なく閑散としていたが試合はかなりレベルの高いものだったと記憶している。ゴルファーが立つ場所が設置された特殊なスタンドが印象的だった。

 この第2球場が現在解体されている。再開発によりラグビー場が建設されるらしい。今の秩父宮ラグビー場は解体されることになっている。神宮外苑の再開発に関してはさまざまな意見があり、特に植栽の変更がもたらす環境問題が注目されている。都心のなかにある緑地であり、戦時には学徒出陣の聖地となったこともあるらしい。自然の保全と、歴史的な記憶の保護は重要な問題だ。第2球場という存在の意味が分かりにくかった施設も実は意味あるものだったはずだ。結局この地を離れることになったため、縁が失くなってしまったが、取り壊されたと聞くと残念でならない。

原発処理水問題

 韓国で福島第一原発の事故で発生した処理水の海洋放出について反対運動が起きている。塩の買い占めが起きるなど社会問題になっている。

 ただし、この問題で気をつけなくてはならないのは、有害物質と言われるトリチウムの推定排出量は現状でも世界各地で福島以上であり、そのなかには中国や韓国の原子力発電所での排出も含まれているという事実が報じられていることである。また大気中に拡散されたものが雨などの気象現象によって海洋に溶け込むことがあるとも言う。

 安全性を追及するならば、世界中の原子力発電事業に対して行わなければならないようだ。原子力はできれば避けたい選択だが、化石燃料のもたらす害悪の方が大きいとされている以上、捨てることはできない。今のところは主力になり得ない再生可能エネルギーの開発を期待するしかないのだろうか。

 韓国のような科学誤認はどこでも起こりうる。また、結果として福島の汚染水は処理水だと証明されたとしても、世界の原発の問題は解決できない。事故を起こさなくても原発は環境を変え続けている、しかし現状ではそれに頼らざるを得ないという事実を知らなくてはならないのだろう。