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たわわ

みかん

 以前も書いた隣家の蜜柑の木が豊作の果樹のために大きく撓んでいる。中には地面に付きそうな枝まである。

 道に面したこの木は手を伸ばせば誰でも取ることができる。にもかかわらず誰も手を付けず、鳥たちも餌にしていない。まるでもう少し甘くなるのを待っているかのようだ。

 木には言葉がないのでこの状態をどう考えているのか分からない。実の中に仕込まれた種を遠くの適地に運ばれることを期待しているのだろうか。多大なエネルギーを消費して自らの生命を危険にさらしてまで結実させようとする命の営みに感服する。

オミナエシ

 万葉集にも秋の七種として数えられているオミナエシは、秋の風景の基本的な色合いを見せる。原風景の中にある野草だ。

 ところが私のすみかの周囲からはほとんど見えない。黄色い花はあるがその多くが外来種だ。中にはブタクサのような厄介なものも含まれている。オミナエシは繁殖において劣勢らしく私の生活圏から消えつつあるということだ。

 オミナエシには女郎花という漢字が当てられる。ここでいう女郎はお嬢様というくらいの意味だろう。万葉時代から優美な女性の姿にたとえられている。そう思うと愛おしくも感じる。

 外来種による植生の変化には人間の歴史が大きく関与している。今見る風景も今後はどうなるか分からない。オミナエシの咲く風景が古典の風景であることは伝えていかなくてはならないことなのだろう。

ハナミズキの実

赤い実

 よく通る道の街路樹が紅葉し始めた。赤い実をたくさんつけている。晩春初夏の頃、白や桃色の花で華やかだったハナミズキが結実したのだ。

 花とは色が違うが実もかなり人目を引きつける鮮やかさがある。この目立つ実は残念ながら食用にはならないようだ。ただし小鳥たちにとっては冬に向かう前の栄養源の一つらしい。味覚が違うのだろうか。

 ところで、私が見たハナミズキの実は今のところ鳥からはまったく見向きもされていない。ほぼ無傷で樹上にある。あるいはまだ熟していないのだろうか。やがて落葉して実だけが残るようになると、鳥がついばみ始める。その時を待っているのかもしれない。

蜜柑色づく

 急に寒くなり、冷たい雨も降って驚く身体を如何に御していくか。大事な局面である。マスクを外していいと言われても、別のウイルスも心配になる。そんな微かな不安をしばし忘れさせてくれる風景に出会った。

 通勤途上の道に植えられている蜜柑の木に鈴生りに実っている蜜柑が色づき始めているのを見つけた。毎年なるのだが今年は特に豊作のようだ。誰の所有物なのか分からず、持ち主も摘果しないので大抵カラスたちのごちそうになるのだが、今年はカラスだけでは処理できないかもしれない。

 すぐ近くにゴミの集積所があるので、それこそカラスか何かがあさってこぼれた中に蜜柑の種があり、それが育ったのだというストーリーを考えてみた。やや無理があるけれども。

 この蜜柑の立っている位置は道路の建設予定地の近くであり、今後の運命は分からない。まだやったことはないが、一度くらい蜜柑泥棒をしてみようか。

撫子

カワラナデシコ

 なでしこは万葉集でも詠まれている。大伴家持は恋人をこの花に例え、特に大切にしたようだ。

 日本人女性はこの花に例えられることが多い。ナデシコと呼ばれる花は幾つかある。日本の在来種はカワラナデシコとかヤマトナデシコとも呼ばれるもので、鮮やかなピンク色が印象的だ。白に近い花もある。細く分かれた繊細な花びらもいい。山野に自生するが、園芸店でも売っており、鉢植えする人も多い。先に述べた家持には自分の庭に播種したという歌があり、園芸の伝統は古い。

 万葉集の秋の七種にも詠みこまれている。伝統的な秋の花ということになる。繊細そうな花だが、意外に強い。また、完全な自然林には咲きにくく、里山のような環境の方が繁殖しやすい。そういうことも含めて日本女性に例えられているのだろうか。

金木犀

金木犀

 芳香のする樹木として有名な金木犀は庭木としてもよく使われる。この写真は近隣の市の公園に植えられていたもので、かなりの群生になっていた。この花のことを知らない人がいい香りがすると呟くたびに、名前を教えたくなる。この楽しみも今の季節ならではだ。

萩は秋を代表する花

 『万葉集』でもっとも多く詠み込まれている植物は桜ではない。桜は5番目であり、4番目は橘、3番目は松、2番目は梅、そして一番多いのは萩なのだ。もっとも万葉仮名では「芽子」などと表記され、これをハギと読むことにしている。

 ちなみに日本では「萩」といえば写真のようなマメ科の植物を指すが、本来古代中国の「萩」はヨモギ科の植物を指すらしい。秋の植物といえばハギということで「萩」がハギと読まれるようになったのだろう。その意味で「国字」として使われているということになる。

 萩が多く詠まれたのはこの植物がかなり古くから日本列島に自生していたことに加え、何らかの信仰的な要素があったからかもしれない。実りの秋に豊富な花をつけるこの植物に何らかの意味を感じたのかもしれない。やせた土地でも繁茂することに生命力を感じたのも知れない。

 このように秋の植物の主人公であった萩だが、若い人に道端に咲くこの花を指さし、その名を訪ねても答えられる人は少ない。文化の基本は自然との関係である。もっと関心を持ってもらってもいいのではないか。

 

彼岸花

 秋の彼岸であるがその名をもった鮮やかな花をつけている。隣家の狭い庭にもこの花が並んでいる。おそらく家主の趣味なのであろう。

 かつて俳句を習った先生がこの花は土の中の赤を吹き上げたものだと句にしていたのを思い出す。鮮やかで生命力を感じさせるのはこの花の力だろう。曼珠沙華ともいうらしい。ほかにも地獄花とか死人花とかいう不吉な別名もあるようだ。聖なるものは俗にも振れやすい。鮮やかな赤は生命力にも悪魔の色にも見えたはずなのだ。

 植物自体には何の功罪もないが、歴代のこれにどのような思いを重ねてきたのかを考えることには意味がある。

ムクゲ

ムクゲ

 夏から秋にかけての花木としてムクゲは存在感を示す。実は一つ一つの花は1日しか持たないというが、群生しているからかその印象はない。

 中国が原産地というが、大韓民国では国花として扱われ、日本でもかなり古くから鑑賞用に輸入されていたようだ。中世までは短い花の命を扱い兼ねていたようだが近世になると華道の花材として利用されるようになる。庭木としても好んで植えられるようになると、季節の花として定着した。

 猛暑が明けて漸く花を見る余裕ができたということなのだろう。気がつけばすすきの穂もたなびき始めている。

さるすべり

百日紅

最近、よくサルスベリの花を見る。猿も滑ってしまうほどの幹の様子がその名の由来だという。夏から秋にかけて赤や紫の花が咲く。小さな小花が群生し、次々に開花することから百日紅とも呼ばれる。

サルスベリのことを意識するようになったのはここ数年のことだ。それまでは名前は知っていたし、図鑑の映像は見たことがあった。気づいてみるとあちこちに植えられていた。

赤や紫のあざやかないろあいは異国を感じさせる。