タグ: 植物

桜開花予想

 実家の最寄り駅前の桜が咲いていた。早咲きの品種である。東京のソメイヨシノの開花は気象関係機関や企業の予報では3月20日〜24日ごろであり、あと数日後のことである。

img_4135

 桜が咲くには気温と日照時間のみならず、冬季の寒さも必要らしい。気温の変化によって休眠期間がおわり、開花が促されるそうだ。今年のように暖冬傾向が長々と続くとこの切り替えが顕著ではなく、開花が遅れることになるのだという。

 とはいえ、大方の開花予想日は平年よりは早く、満開になるのも28日ごろらしい。東京の標準木は靖国神社境内にある。都心の気温は高めで、周囲に比べて早く花期が経過する。それにしても入学式のころには散り急ぐ花を見ることになるのだろう。

 かつては農業の指針であり、伝統的な美意識の対象ともなったこの花は、現代では人間の生活に翻弄され生態を変えつつある。いつまでも桜花爛漫を寿ぐ文化が続いてほしいと願う。

梅の花

梅花

 実家から散歩をすることにした。田園の中を歩くと時々梅花に出会う。恐らく地主の趣味なのであろう。通りすがりの私にとっては嬉しい偶然である。

万葉時代は梅花は舶来の花という感覚が強く、海外の植物という感覚があったようだ。令和の元号の由来となった大宰府の梅花の宴の歌のようにどこか構えた作品が作られたのが当時の梅に対する思いなのだろう。

 現代人は梅をむしろ和風のシンボルのように考えている。梅花を愛する気持ちは恐らく世界一ではないかとも思う。梅鉢の模様は天満宮のみならず、日本人の多くを説得できるものとなっている。

 いま田舎道を歩いて気づいたことがある。私はいかに知識の上だけでものごとを見ているかということである。実際の風景は変化にとんでおり、理想とはかけ離れている。それをありのままに認めることで、つぎの発見があるのだ。最近の私の生活に欠けていることに実体験というものがある。体験を通して知識が得られることを理想とするのなら、今の生活は極めて低調なものだ。経験より知識が先行している。

 私の日常がいかに記号化され、実体験から遠ざかっているか。今日の散歩はそれを痛感させてくれた。

花見は早まりそう

 気象関係者によればこれから高温傾向となり、梅や桜の見頃が早まりそうだということだ。花粉の飛散も始まりそうである。

 最近はマスクをせずに外出しているがそろそろ花粉症対策を始めなくてはなるまい。対策薬も服用を検討しよう。

 東京は雪のが日陰ではわずかに解け残っているが、もう次の季節だ。これから体調を崩さないようにしたい。

ホームページを作るなら ロリポップレンタルサーバー

取り扱い400種類以上のドメイン取得サービス─ムームードメイン─

【GOM Mix】初心者でも簡単な動画編集ソフト

WiMAX +5GをはじめるならBIGLOBE

紅葉から思うこと

 紅葉が進んでいる。これまでに何度か取り上げたショッピングモールの植樹であるムサシノケヤキが色づき始めた。

 猛暑から激変した季節に間に合わせるかのように紅葉する速度も非常に速い。日々様子が変わっている。すぐに落葉してしまいそうで切なく感じる。衰退を感じるからだろう。

紅葉の季節

 しかし、落葉樹が葉を落とすのは決して死に向うためではない。むしろ厳しい季節を生き抜くための手段である。落とした葉は自らの養分として再利用するし、そこに至るまで分解者たちの命の糧となるものだ。

 紅葉とその後の落葉は逞しくもしたたかな命の営みの風景の一つであることを思い出しておきたい。

学者という生き方

 牧野富太郎の人生を調べると実に興味深い。日本植物学の父としての名声の裏にはさまざまなドラマがある。それは朝の連続テレビ小説で描かれるようなさわやかなものだけではなかった。

Photo by cottonbro studio on Pexels.com

 牧野は裕福な商家に生まれたため、経済的な問題は当初はなかった。ただ高知県の山間部では植物学を学ぶ環境がなく、かつ、一つの研究に専念できるような環境が地方にはなかったのが難点であった。彼はその難関を家族からの資金援助で切り抜けている。ただそのために家業が傾き、果てには廃業に追い込まれている。それでも植物学に熱中できたのは生まれながらの気質と研究への情熱の深さである。

 だから必ずしも周りの人物に幸福をもたらしていたとは言えない。むしろ周囲の献身、もしくは犠牲のもとに成り立っていたともいえる。そのような環境にあることを自ら受け入れ、研究を続けたのが牧野の才能といえる。一歩間違えば独りよがりな危険人物であった。

 学者という生き方にあこがれたことがある。学問に身を捧げ他を顧みないという生き方をした人に素晴らしい成果を残した人は多い。世事にとらわれず自らの知的好奇心の思うがままに研究を続けられることには羨望する。ただ、それは思うより易しいことではない。周囲ことを考えず熱中できることはもはやその人物の才能であり、それができない人は突き抜けることはできないということなのだろう。

 牧野富太郎だけではないが、優れた業績を残した人物の周囲にはそれを支える人たちの並々ならぬ努力が隠されている。

エノコログサ

 小さな子どもがエノコログサを何本も摘んで束にして持っていた。猫じゃらしにするのだという。そんなにたくさんの猫を相手にできるのだろうか。微笑ましい姿ではあった。

エノコログサ

 植物名はエノコログサであり、実は犬の方なのだ。犬ころからの変化という。猫じゃらしとして確かに使えそうだが、先祖は犬の方を連想した。

 この植物は粟の近縁であり、その気になれば食べることもできるらしい。食料危機のために調理法を知っておいた方がいいのかもしれない。そのときは犬猫にはかまっていられないだろう。

宵待草

 亡き恩師が好んで歌った歌に宵待草があった。竹久夢二の詩に哀調のある楽曲がつけられたものである。「待てど暮せど来ぬ人を宵待草のやるせなさ」から始まる歌の意味を中学生の私は語彙のレベルでも経験のレベルでも理解できなかった。ただかなり歌いこまれていた事だけは伝わった。

マツヨイグサ

 宵待草は月見草のことだという説もある。月見草とはマツヨイグサの仲間であり、ツキミソウという種もあるが、大抵はメマツヨイグサかオオマツヨイグサに比定される。これらは黄色い花で道端に生えている。いわゆる雑草の類だ。元は北米の植物で近代に帰化したと考えられている。太宰治の『富嶽百景』には月見草が出てくる。オオマツヨイグサのことではないかとされている。

 月見草といえば野村克也氏が生前自身の存在を長嶋茂雄氏と比較して例えていた。実際のマツヨイグサはかなり生命力が強く、生存競争にも勝ち残りやすい。これも氏の望むことだったのだろうか。

 夢二が宵待草に何を見たのか。太宰治が富士に似合うと考えたのはなぜか。恩師がなぜ宵待草を愛唱し生徒に聞かせたのか。先人は答えない。せめて自ら花を見て考えて見るしかない。

百日紅

 猛暑続きでうんざりしている。ただ、その中でもきれいな花を咲かせる百日紅は夏を彩る心の救いの一つだ。サルスベリの名の通り、樹皮が剥げ落ちたような姿をしているのだが、この暑い中でも勢いは衰えていない。南国を思わせる花も今の季節には向いている。別に夏だけの花ではないが、今年に限っては酷暑に立ち向かう樹木として考えることにした。

ワルナスビ

ワルナスビ

 近々の公園を散歩していたら、茄子のような紫色の花と葉をもった植物が群生しているのを見つけた。よく見ると白い花もある。花自体はそれなりに美しい。実はかなり前からこの植物のことが気になっていた。どうして茄子がこんなにもたくさん植えてあるのだろうかと。こぼれ咲きにしては多すぎる。

 そこで例のGoogleレンズで検索をかけたところこれがワルナスビということを知った。北米原産の外来種で全国各地に分布しているのだという。ワルナスビは悪茄子という意味である。その悪とはこの植物に含まれる毒性のことを意味している。葉も実も食用にならないどころか中毒死の可能性すらあるという。ジャガイモの芽にも含まれるソラニンという物質がそれを引き起こすらしい。プチトマトにも似た実をつけるが口にしてはならない。

 さらに悪であることに、ナス科の植物であるためこれがはびこると本当のナスやジャガイモなどに連作障害をもたらすという。またニジュウヤホシテントウなどの害虫を呼び寄せることも問題になる。この意味でも食えない植物なのだ。4、5年前から私はこの植物を認知してたものの、実はもっと昔からあった。1906年に牧野富太郎が発見して命名していたという。20世紀の終わりごろには問題化されており、すでに積年の悩みであったということになる。鍬や耕運機ですきこんでも分断した根からまた発芽するというたくましさもこの植物の厄介なところだ。農薬なども効きにくく、根まで影響力のある除草剤をまく必要があるそうだ。

 身近な雑草にもさまさざまな物語があり、それがまたいろいろな影響を他に及ぼしている。ワルナスビの名を知ってしまった以上、この花を見かけると気になって仕方がないことになる。

ノカンゾウ

 百合に似たオレンジの花が固まって咲いていた。ノカンゾウの名は以前調べたことがあったので知っていた。鮮やかな色の割には地味な花だ。

 この花には別名がある。忘れ草という。嫌なことをはやく忘れたいときにこの花を身に着けたらしい。

忘れ草 垣も繁みに植えたれど 醜の醜草 なお恋にけり

 万葉集のこの歌がノカンゾウのことだとしたら、その時代から園芸の対象になっていたことが分かる。忘れたくても忘れられない恋心への対策には役不足だということになる。

 この植物は薬効があることも古くから知られていた。貧血や不眠症などに効果があるらしい。この手の苦しみを忘れることはできるようだ。

 私もこの花を植えてみたい気がする。忘れたいのは恋心ではないが。