タグ: 植物

松葉菊

 愛する植物の一つに松葉菊がある。多肉植物の体をなすがサボテン類ではないらしい。原産地は南アフリカというから、完全な外来種である。

 園芸種としては定番の品種であり、花壇の脇役としてよく使われる。ただ、生命力は強く、野生化しているものもよく目にする。アスファルトの隙間に咲く例もあるから立派な雑草でもある。

 花の風情が菊に似ているからこの名がついているが、花期は春から夏で菊花とは別物である。小学校の先生がこの花が好きであったことを思い出す。もっともその先生はそれを芝桜と混同していたようだ。生命力の強さは松葉菊の方が数段上である。先生は踏まれてもみんなで助け合って強く生きるということを教えてくれたから、松葉菊に違いない。

 先生の思い違いを揶揄する気持ちは微塵もない。植物の持つ生命力、さらには過度な庇護を受けなくても子孫を残す潜在的な能力の大切さを小学生に分かりやすく伝えた功績に感服するのである。

十薬ではなく

ドクダミ

ドクダミはいまの時期ならどこにでも見られる雑草である。毒を矯めるというのが名の由来で薬草としても使われてきた。身近な民間薬である。

 花びらのように見える萼は漢字の十の文字に見えることから十薬の名もある。ところが写真のような5弁の花を見つけてしまった。生物のエラーであろうか。

 ドクダミには八重咲きのものもあり、近隣の住宅ではそれを植えている。雑草から園芸種に昇格しているのだ。植物の品種改良はこんな発見から生まれるのかもしれない。

つつじ

 ツツジが見ごろになっている。街路樹として植えられていることが多く、その鮮やかな色彩は桜とは違う派手な印象だ。英語ではazaleaと言うそうで、鮮やかなピンクの色のこともこの名で言う。韓国の진달래もこの仲間で春を告げる植物と言われているそうだ。躑躅とも表記されて、俳句の大切な季題の一つである。

 万葉集にもツツジが歌われた歌がある。

水伝ふ礒の浦廻の岩つつじ茂く咲く道をまたも見むかも(巻2)
風速の美穂の浦みの白つつじ見れどもさぶし亡き人思へば(巻3)

 これらはどちらも死者を悼む歌に詠まれている。ツツジには哀悼の意味を感じさせる何かがあったのだろうか。

物思はず 道行く行くも 青山を 振り放け見れば つつじ花 にほえ娘子 桜花  栄え娘子 汝れをぞも 我れに寄すといふ 我れをも 汝れに寄すといふ 荒山も 人し寄すれば 寄そるとぞいふ 汝が心ゆめ(巻13)

 愛しい女性の描写にツツジが使われているから、恋歌の表現にも使われていたのだろう。おそらく元首は古くから日本にあって様々な文学の材として使われてきたことがうかがえる。
 シャクナゲもツツジの仲間なのだそうだ。近隣の庭にさくシャクナゲもそろそろ見ごろになる。

ジャイアントコーン

 最近よく食べる酒のつまみにジャイアントコーンがある。トウモロコシの一種で粒が大きく食べ甲斐がある。それでいてカロリーはさほどではないらしい。腹持ちがいいので助かっている。

 このトウモロコシの変種はペルーの一部の山岳地域で栽培されている。他の地域では根づくことがないらしく、生産量は限られている。私が食べたのは油で揚げたものに塩などの調味料で味付けしたもので香ばしくあっさりとしている。

 この記事を書こうと思う前は、原産地のことはまったく関心がなかった。つくづく世界の各地といろいろなつながりがあることを思い知るのである。つまみの値段から考えて、恐らく原価は大変安いのだろう。ペルーがどんな国なのか、生産農家がどんな生活を送っているのか、全く分からない。私としては安価でおいしい食べ物を提供していただいていることに感謝するばかりだ。

路傍のスミレ

 アスファルトの僅かな隙間から鮮やかな紫の花をつけた草が固まっているのを見つけた。スミレであった。なかなか可憐な姿をしているのに、たくましい生命力である。

 スミレと呼ばれる草花はいくつもあって、パンジーもその仲間だというが、いわゆるスミレは東アジアにだけ分布するのだという。万葉集の山上憶良の歌にスミレを歌ったものがある。それにはスミレを摘みに来たとあり、採取されるべき植物であることが分かる。スミレの種の中には食用とされるものがあり、ネット上に調理法がいくらでも見つかる。憶良の歌にも食用説が古くからある。

 スミレはその他の文学の素材としてもしばしば取り上げられ、その多くは魅力的な存在として扱われている。だから、アスファルトの隙間に咲くものを見つけると何か場違いで意外な気持ちになるのだろう。ただ、他の雑草と違って容易に摘み取られない傾向にあるようだ。

花のリレー

街路樹のハナミズキが芽を出している。花に見える萼もでてきている。ほかの花とは咲くというイメージが異なるようだ。桜が散り急ぐ頃に花のリレーが行われている。ツツジもそれに続くはずだ。

花見の役割

 京都の今宮神社で行われるやすらい祭を見に行ったのは学生の頃だからはるか昔だ。民俗学で重要な祭礼の一つとされ、花鎮めの古例が残存したものと考えられている。桜花爛漫の頃は疫病の流行も多かったようで疫神を鎮撫するのが源流だったようだ。

 人によってはこの祭礼が形を変えて花見になったのだという。桜花の下での乱痴気騒ぎは最近あまり見られなくなったが、これが人が楽しむためのものではなく、神への供饌もしくは神人共食から変化したとすれば、花見で飲み過ぎて犯した過去の失態も少しは言い訳できるかもしれない。

 無意味な花見は止めた方がいいが、花見をする余裕を失っている現状は他の意味で残念だ。ゆとりのある生活を取り戻さなくてはならない。

桜咲き始める

桜が咲き始めた。こうなると次々に咲いてあっと言う間に満開になる。桜の時期はいつも忙しいので、落ち着いて味わうことが難しいが、この齢になるとそれも何とかできるようになる。

 いわゆる桜の名所より、何気なく見つけた町の中の木の方が感動する。ただ桜は思うより手がかかる。以前、借家の庭にあった桜は手入れをしなかったために、虫が湧いて大変だったことがある。

 花の咲くまでにいろいろなストーリーがあったことを想像するべきなのだろう。

桜咲き始める

 桜が咲き始めた。こうなると次々に咲いてあっと言う間に満開になる。桜の時期はいつも忙しいので、落ち着いて味わうことが難しいが、この齢になるとそれも何とかできるようになる。

 いわゆる桜の名所より、何気なく見つけた町の中の木の方が感動する。ただ桜は思うより手がかかる。以前、借家の庭にあった桜は手入れをしなかったために、虫が湧いて大変だったことがある。

 花の咲くまでにいろいろなストーリーがあったことを想像するべきなのだろう。

https://jpn01.safelinks.protection.outlook.com/?url=https%3A%2F%2Fr.rakuten.co.jp%2FeCd9eY7rX2Wmc713MieLQfdz%3Fmpe%3D1925942&data=05%7C02%7C%7Ce086f3dedda34cabf00108dd6dc4feea%7C84df9e7fe9f640afb435aaaaaaaaaaaa%7C1%7C0%7C638787415039870757%7CUnknown%7CTWFpbGZsb3d8eyJFbXB0eU1hcGkiOnRydWUsIlYiOiIwLjAuMDAwMCIsIlAiOiJXaW4zMiIsIkFOIjoiTWFpbCIsIldUIjoyfQ%3D%3D%7C0%7C%7C%7C&sdata=LBflTvonSCZz5o0E68Yql8LQXfc8J%2F%2BbnUFcy3%2FjVt0%3D&reserved=0

 先日、近隣の公園に梅の花を見に行った。降雪より前だったので穏やかな陽気だった。観梅客もそこそこ多く、いい雰囲気だった。鶯ではなく、メジロが飛来すると伝統的な風物が揃った。ウグイスよりもウグイス色なのはメジロなのだから。

 降り積もった雪の花を見たかった気もする。夜晴れて月でも出れば雪月花の完成だが、そんな役満は滅多にない。