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気晴らしのための創作

 高校生からしばらくの間、へたくそな小説を書いていたことがある。いま少しだけ残っているものを読み返すと多くは設定が甘かったり、破綻していたりする。当時はもちろん投稿してみたいと考えたこともあったが、それも本気ではなくほとんどが自分のための憂さ晴らしであった。

 その小説の多くはもし~だったらという内容のものが多い。もし、ある日特殊な能力を身につけたらというモチーフが多いのはおそらく当時似たような小説があったからだろう。その二番もしくは三番煎じなのである。当時の作品の人の顔を限りなく覚えることができたらという内容の小説はそのなかではまだましな方であった。誰もが顔見知りになったら世の中は窮屈かもしれないが、でも悲惨で非人道的な事件は減るのかもしれないという仮定の話である。ただし、それには全人類がこの能力を身につけることが必要で一部の人間の能力なら悲劇にしかならないということを書こうとした。

 いまはなかなか小説は書けない。書いてもショートショートの類である。でも、昔のように気晴らしのために書くのは意味があるのでは思いなおしている。もしできたら、寛容な気持ちがある方に読んでいただくとする。

雨の朝

 今朝はまとまった雨になっている。そのせいもあって気温は低く久しぶりに普通の朝を迎えた気がしている。

 このところの台風の連続発生は日本の南海上の海水温が高くなっていることと関係があるらしい。気象学的にはかなり高めだと聞く。過去には9月に大きな台風が上陸して被害をもたらしたことが多い。これからどのような天災が訪れるのか危惧される。

 露出する空間についてはシンプルにまた防災の工夫を施すことが必要だ。植木鉢が飛ばない工夫くらいしか私にはできないが。

冷房サウナ

 暑い毎日を過ごしていると段々身体感覚がおかしくなる。自宅の冷房はあまり効かないのでそれほどではないが、近隣の商業施設の空調は効きすぎていて、出入りする毎に気温差に驚かされる。まるでサウナのようだなどと考えてしまう。冷暖が逆なのだが。

境川散歩

 残暑というにはあまりに暑い日々だ。しかし、さすがに身体が適応してきたせいなのか午後に散歩に出かけた。かつてはジョギングしていた境川べりの歩道を少し歩いた。

境川

この川は両岸とも護岸が施されており、一部を除いて水辺に近づくことができない。だからかえって魚や鳥にとっては安全地帯になっている。小鷺や鴨の類、そして羽根の美しい翡翠もみることができた。水は澄み、夏の暑さを瞬時忘却し得たのである。

水管橋

 変わった光景としてこれまで何度も紹介してきた水管橋がある。道志川と相模湖の水を東京に送る設備だ。川の上を他の川の水が渡る不思議な風景である。

 グランベリーパークに吸収された鶴間公園に着くと文字通りの蝉時雨だ。桜並木の下のベンチでこの記事を書くことにした。木陰はやはり涼しい。

鶴間公園

 まもなく夏休みも終わりだ。何もしない時間を大切にしよう。

雨後立ち上がる

 台風の接近で間歇的な大雨が降り出すようだ。早朝に降った雨がすでに酷暑続きのアスファルトと戦っていた。

 雨に溶かされた様々な塵埃や有機物が臭いを立ち上がらせる。違う街に来たかのような感覚がする。悪臭と片付けられない。本来のこの街の体臭が戻っただけなのだろう。

今回も借りてきた画像です

 スマホにまもなく強い雨が降るとの通知が来た。さあ、この後どうしよう。色々悩んでいる暇はない。雲が覆う前にプラスチック容器の中に入ったあまり美味くないコーヒーを出す店に入ろう。

台風の先触れ

 南から近づいて来る台風の影響で目まぐるしく移り変わる天気になっている。猛暑の日差しを時々遮る雲が、次第に大きく、黒みを帯びてきている。これから台風が近づくにつれてより一層激しくなるのかもしれない。

 今日から夏休みに入る。毎日を大切にして十分に休養したい。台風にはどうか大人しくしていただきたい。いましか休めない者の細やかな楽しみを奪わないでいただきたい。

 言っても詮無きことながら。

変わらぬ場所

 毎年同じ日に同じ場所を訪ねると懐かしさとともにいろいろ思うことがある。無常観といえばそれまでだが、話はもう少し複雑だ。

 日常的な生活空間は常に印象が更新されるので、その変化に気づくことは少ない。建物が建築されたり、取り壊されたりするとその瞬間は変化を感じるが、すぐに時間の流れの渦に飲み込まれ印象が薄くなる。自分自身も常に変化しているのにそれに気づくことはできない。今日の私と昨日の私は細胞レベルでは別の存在だ。それが1年前とか10年前とか期間を長くとればかなり変わってしまう。ベクトルを未来に向けても同じだ。1年後、10年後の自分は今の自分とは異なるはずだ。もっともその時に生きているかどうかは誰もわからない。

 こういうことを思い出すのは、同じ時期に同じ場所に旅をしたときだ。同じ風景に同じ空気に触れたとき、自分は変わったのにと思う。実際はその風景も変化している。その変化よりも己の変化の自覚の方が大きいからなのだろう。自分の変化を知ることは辛くもあり、厳しいことも多い。ただそれを知ることで救われることもある。その意味で日常を抜け出すことには意味がある。

梅雨明けの可能性も

 連日暑い日が続いている。雲の多い蒸し暑い天候は身体にこたえる。天気予報によれば来週は猛暑日になる可能性もあり、場合によっては梅雨明けになる可能性もあるらしい。

梅雨末期は大雨に警戒

 梅雨末期の大雨はこの時期にもっとも警戒しなくてはならないものである。過去も多くの被害をもたらしている。7月中旬が多かったと思うが、このところ前倒しになっている。いま西日本を中心に豪雨の地域があるらしい。これが、次第に東に及ぶ。

 周囲の人たちの体調が軒並み落ちている。中にはひどい咳をする人もいいる。コロナウイルスかその変形かもしれない。数年前と違って大騒ぎしないだけで、感染が広がっている可能性は大きい。でも、やや強めのインフルエンザといった感じなのでこれは通り過ぎるのをまたなくてはなるまい。

 天候の不順はいろいろな不都合をもたらす。それをいかにやり過ごすのかが肝要である。

ねむの木

 合歓木が咲いていた。ドライブの途中で信号で停止したとき、そこから見える住宅の庭木として確かに合歓木があった。

 ただ、その名前がどうしても思い出せなかった。初めに思いついたのがマンサクだった。しかしこれは春に咲く花で、今の季節には合わない。夏先のトキワマンサクなるものを検索したが全く違う。

 検索という方法は便利だが思考を邪魔することもある。春、ピンク、筋のような花びら、庭木などいろいろなキーワードを試してみた。志賀直哉の短編小説に出てきたのを覚えていたので、それを検索しようと思ったが却ってわからなくなってしまった。

 検索するのをやめてしばらく考えたらふと思い出した。ねむの木だ。合歓木と書く植物だった。思い出したらもうそれ以外には考えられなくなった。実物を見たのは久しぶりだったので忘れていた。夜は花が閉じるのでねむの木というらしい。でも、よく考えてみれば夜の木の姿を見たことがない。今度見てみたいと思った。ただ困ったことにどこで見たのかを思い出せない。

昨日の大雨

 台風を動力源とする梅雨前線のために昨日は猛烈な雨になった。退社時間が早まったのは良いがわずか10分あまりの駅までの道で文字通りずぶ濡れになってしまった。雨が真横からふり傘がまったく役に立たなかったのだ。

 結果としてシャツとスラックス、そして通勤用の靴が使い物にならなくなった。乾くまでは使えない。靴は適当な予備がないから今日は少しカジュアルなデザインのものだ。仕方がない。

 6月早々の大雨に驚くばかりだが、このあともこんなことがあるのだろうか。心配になる。