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長崎忌

 1945年8月9日に長崎に原子爆弾が投下され、推定7万4千人が死亡した。そのほかにも多くの関連死・後遺症が今でも続いている。長崎原爆記念日は私にとっては特別な意味を持つ。

 長崎に原爆が投下された日、私の父は北九州の八幡の近くに住んでいたという。いまでも多くの親戚がこの地で暮らしていたのは、製鉄所の町として栄えていたからだろう。当時は軍需工場も数多く存在した北九州は実は原爆の目標地点であったという。テニアン島から飛び立ったB29は北九州の目標をめがけて飛んだが、天候が悪く急遽長崎に標的を変更した。大浦地区上空での炸裂が多くの犠牲者を出したことは日本の無条件降伏に大きな影響を及ぼしたといわれる。

 もし北九州が晴れていたとしたら、間違いなく私の父は爆死していたに違いない。私はこの世にはいないはずだ。その反対は長崎で起きた。今私と同じ時代を生きているはずだった人が生まれてこなかったのである。

 このような運命はいつでも起こりうる。それはもちろんそうだ。人生は偶然であり、何一つ決まったことなどない。ただ、その選択はあくまで人為とは別の次元で行われるべきだ。人の作り出したもので人生を変えてしまってはいけない。戦争というのはそれがいけないのだ。偶然を決めるのは決して人間であってはならない。8月9日になるといつもこのようなことを考える。

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東京大空襲

 1945年3月10日に東京東部の人口密集地に連続的な空爆が行われ、少なくとも10万人以上が死亡しました。いわゆる東京大空襲です。

 戦時中とはいえ、これほど大規模な殺戮がいわゆる通常兵器で行われたことや、被害者の大半が非戦闘員であること。意図的に一般市民が狙われたことなど、人類の戦争の歴史上特筆すべき出来事でした。

 ところがこの事実をすでに知らない日本人が多い。戦争という特殊な状況がもたらしたこととはいえ、冷静に考えて許されざる事実です。このことを考えるのを止めてしまうと同様のことを繰り返してしまう。

 被害者的な立場でだけではなく、人類の叡智として非戦闘員の無差別殺人は戦時中であっても絶対に避けなくてはならないことを忘れるべきではありません。

みんなで作る

 個人の幸福が尊重され過ぎた代償として私たちは公共の福祉についての価値を下げてしまいました。社会が縮小化するいま、改めて共同体の幸福を考え直す必要があります。

 個々人が幸福を追求することは現代社会の常識であり、条件でもあります。個人の幸福が保証されているからこそ、私たちは安心でき、明日を生きる活力が得られます。ただ、さまざまな閉塞感が漂う昨今の情勢においては、個人の利益追求だけでは立ちゆかなくなっていることも事実です。一人ではできない段階に入っています。

 誰かが成功してもそのために多数が不幸になるという悲しい現実も情報化社会にあってはすぐに顕在化します。それが環境問題など地球規模で影響を与えるものとなると一層深刻です。誰か一人が幸せになるということが難しいのです。

 このような現況にあって必要なのは人間が集団の生物であるという再認識です。一人では生きられない人間は幸福の基準を個ではなく集団に置くべきなのです。そしてその集団が成り立つためにはより大きな環境が保全されなくてはならない。そうした基本に立ち帰ることが不可欠なのでしょう。

 人のために何かをする尊さを先人は語り続けてきました。この話はそれを別の表現で述べているのに過ぎません。まずは自分の近くにいる人を幸福にするために何ができるのかを考えていくべきなのです。未来はみんなで作るものなのです。

終戦

第二次世界大戦の事実上の終戦の記念日です。74年目というのです。わたしの生きた時間より長い歳月の流れの中で日本は大きく変わりました。

戦争の犠牲者は日本人だけではなく、敵として戦った人や戦場で巻き添えになった第三国の人々や日本の占領下で苦しんだ人々など多様な在り方があります。その個々の記憶が風化したり変化したりしたものがあり複雑です。

戦争の犠牲者という面だけではなく、当事者としてこの問題をどのように捉えることが出来るのか。それが年々困難さを増しているような気がしてなりません。