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価値観は変わり果てる

 終戦の日のことを考えると、社会的な価値観は実に移ろいやすいということを考えさせられる。戦争をしていたころの日本の上層部はなんと愚かなのかと思い、庶民はそれに躍らせれて悲惨な毎日を過ごしていたというのが単純化した社会観であるが、本当はそんなに単純なものではない。日本が戦争をしなくてはならないと真剣に考えていた人たちにはそれが間違っていたとしてもそれなりの正義があり、それを支える世論というものがあったことを考えなくてはならない。

 戦前の日本が現在からみて異常であるのと同じように、おそらく80年後の日本に住む人々にとって21世紀前半の日本の社会は極めて奇妙に映るかもしれない。多くの人々を犠牲にした戦前の日本指導者を批判するのと同様に、現代社会の様々な問題を指摘して、自分たちの世代になぜこんなにも厄介なものを残したのかと不満に思うのかもしれない。

 毎日の生活にあくせくしているうちに、その問題点とか課題とかを見失い。大切なことを忘れてしまう。歴史から学べとはよく聞く話だが、何をどう学ぶのか分からないうちに時間が過ぎてしまう。その繰り返しが続いているのである。同世代の人々もすでにいろいろなことが分からなくなっている。我々の子孫も同じ繰り返しをしていくのだろうか。表層的な価値観は時代とともに変わり果てる。それを俯瞰するために必要なのはもっと深いところにある視点である。

戦争体験を語れない

 あすは終戦記念日である。戦後80年ということは、高齢者の中にも戦争を知らない世代がたくさんいらっしゃるということである。亡父は終戦時小学6年であったので、戦争の記憶は残っていたようだが、かろうじて記憶が残るのはやはり5~6歳になってからであろう。だから直接戦争の体験を語れる世代は90代に近いことになる。

 ニュースによると最新のVR技術を使って、戦争の一場面を疑似体験できる施設があるそうである。戦場の中や、爆弾の投下された町の悲惨な様子を映像や音声とともに体験できるそうだ。それを直接見たわけではないので評することはできないが、やはり生死の際に直面している場面と、仮想現実とでは全く異なるのだろう。それでも疑似的に戦闘するゲームよりははるかに有益であろう。

 私自身も戦争は資料の向こうの世界であり、本当のことは何も分かっていない。多くの戦争を扱った文学や映画などに接するとそのたびにその恐怖や、戦争を起こした者への憤りを感じるが、それも長続きしない。最近の政治家は私よりも若い世代も増えているが、彼らの中には兵器を自国の防衛のために増やすべきだとか、原爆を所有することが国防上は安上がりだなどといってその虚偽をまき散らかす者がある。本当に分かっていないのかもしれない。彼らは自分が戦場に行くことを全く想定していないのだから。

 戦争体験を語れないことは今後この国の行く末をかなり危ういものにするはずだ。この国を亡ぼすのは他国ではなく、自分たち自身なのかもしれないなどと考えてしまう。

長崎のために

 何度も書いているが、今年も繰り返すことにする。1945年8月9日、私の父は現在の北九州市にある八幡で暮らしていた。この地がテニアン島から発進したB29爆撃機がプルトニウム型原子爆弾の第一投下目標であつた。目標地点上空まで来たところ、煙霧で目視ができず、長崎に移動したという。霞や煙は米軍の空襲によるものとも、八幡の市民が意図的に煙を焚いていたとも言われている。

 長崎でも雲が多く、投下目標が定まらなかったが、わずかな雲の切れ間から投下された。当初目標としていた地点からは外れたものの7万4千人を超える人命を奪うことになる。広島型よりも威力が大きいプルトニウム原爆をどうしても実戦で使っておきたかったのだろう。実戦で使用された原子爆弾はこれが今のところ最後である。

第一目標に原子爆弾が投下されていたら、恐らく私は存在しないはずであり、運命の苛酷さを痛感する。長崎には公私を含めて何度も訪れているが、いつもそこに行くたびになんともやりきれない思いになる。その日に亡くなった方や、被爆後遺症で苦しみ続けた人たちの代わりに生かされていると勝手に考え、いただいた命を大切にしなくてはならないと思う。

 それにしては大したことはできていないことを恥じるが、せめてこの思いを折に触れて繰り返し、若い世代にも伝えていきたい。だから、この話はこれからも何度も書いたり話したりすることになるだろう。

戦争経験のない世代にとって

私たちの脳は都合のいいものを優先的に記憶し、そうでないものは無視する機能が備わっているようだ。それは進化の過程で身につけたものであり、これがあるためにどんな悲劇からも回復し、次の段階へ進むことができたのだろう。

もし戦争の悲惨さを実感し、それが次の世代にも伝えたいものと考えられるのならば、かなりの時間を割いてそれを実行しなくてはならない。私たちにはそこまでの覚悟はない。ただ、自分の要求を主張し、それが損なわれると怒るのみだ。

戦争経験のない世代にとって非戦の主張は理念的であり、実感が伴わない。一種の自己主張でしかない。恐らくこの制約が人類の戦争史を不断のものにしてきたのだろう。

結果的に実感の伴わない反戦主義が空虚なものと捉えられ、時の集団ヒステリーに押し切られる。私たちはその時、踏み応えられるのか。平和の鍵はそこにある。

憎しみの連鎖

 停戦中のガザ地区でイスラエル軍の空爆が始まったという。悲しい憎しみの連鎖はとどまることを知らず、また新たな憎悪を生み出している。アラブの歴史をかじっても、理解することはかなり難しい。複数の民族、宗教が錯綜するこの地域の特性を理解するのは容易ではない。

 中東の複雑な民族感情を解決するのはどうすればいいのか。これまで欧米の列強が口を挟む度にかえって悪影響を及ぼしてきた。むしろ悪の根源と言っても良い過言ではない。それは結局、自国の利益のために行動してきたからだ。いまトランプ政権のアメリカが行っていることも同様である。停戦が目的なのか、アメリカの利益を得るための取り引きなのか、世界中の人が真意を見透かしている。

 中東の歴史について私たちはもっと関心を持っていい。この困難な問題を考えることができれば、さまざまな国際問題を理解する糸口が見えるはずだ。逆に欧米諸国のように自国の利益ために利用することしか考えなければ、困難な状況を一層高い難度にしてしまうことになる。

 中東戦争はいつまでも終わらない。欧米の周辺地域でそれが続けているという事実を見つめ直さなくてはなるまい。隣人の苦しみを知るためにはまず隣人がどういう人なのかを知らなくてはならない。

東京大空襲の日

 1945年3月10日に東京の現在の墨田区や江東区、墨田区を中心に広域にわたる空襲が行われた。何度かあった東京への空襲の中でこの日を大空襲と呼ぶことが多い。死者数は10万人を超え、その多くは非戦闘員であった。交戦中の国への攻撃とは言え明らかに戦争法違反の行為である。このことを忘れてはならない。

 戦争という事態は人々を異常な精神状況にさせるらしい。いま、日本は暫く戦争とは無関係な日を送っている。戦争の恐ろしさも抽象的なものとなってしまった。何が本当で何が嘘なのかも分かりにくくなった。

 空襲にしても死傷者の数や被害のあった土地の面積といった数で表現され、その当時の人々の感情は伺い知れない。これでは戦争の恐怖は十分に理解できないのだろう。

 人々が戦争の害悪を知りながら、繰り返してしまうのは実感の保存が完全にはできないからという原因もあるに相違ない。せめて今何ができるのかを考えるべきなのだ。

強者の論理

 アメリカの最近の政策を見るに強者の論理がまかり通っているように思えてならない。アメリカが世界の中で政治的経済的に抜群の位置にあるのは周知のとおりである。しかし、昨今の情勢をみるにその威力にはかなり陰りが見えている。それを知るアメリカの上層部は必至で対面を保とうとしている。それでも止まらないのは強者の理論である。

 強いものは弱いものを統治すべきであるという基本的な論理はアメリカの歴史そのものである。アメリカ国内でそれが伝説となるのはよいが、それを他国にも無理に当てはめると様々な問題が生じる。結局は価値観の押し付けだ。相手が中国のときはそうした声が出やすいのだが、アメリカになると黙してしまう人が多い。

 例えばアラブ地域の歴史をみるに、古代から他地域の干渉を受け、そのたびに歪みが生じている。ローマが衰退すると中世のヨーロッパ諸国が介入し、モンゴル帝国の影響も受け、近代になると英仏に支配される。冷戦注文も、東西の影響を受け続け、その後アメリカがイスラエル支援や対イラクなどで関与した。

 ヨーロッパに近く、民族や宗教は違う。なおかつ、統一的な権力を持ち得なかった地域の運命と言えばそれまでだ。しかし、それを他の地域の大国が自分の利益のために恣にしてきたことは間違いない。

 その大国がいまはアメリカである。自国の利益を最優先し、自らの利権のために振る舞うことが正義のように自認する大国が、自らの論理を振りかざす現実に強い危惧を禁じ得ない。同盟国であっても意見すべきときはするべきではないか。

 

停戦協定

 イスラエル、ハマスの間で停戦協定が結ばれる運びになった。第2段階として終戦への道筋も考えられているというがいかがだろう。

 ガザの戦いはハマスの越境攻撃に端を発したという。ただそれに対するイスラエル側の反撃は執拗で多くの非戦闘員が死傷している。街の大半が破壊され、復興の糸口すら見つからない。

 停戦にはアメリカ大統領の交替などの外部要因もあると言われている。中東は常に外国からの干渉に影響され、分断を繰り返してきた。今回の停戦が究極的な解決にはならないという見方が大半だが、何とか平和の道を模索してもらいたい。人類の限界をまざまざと見せつけてくるこの地区の動向に注目している。

人間の限界

 イスラエルやパレスチナの問題に触れるたびに、人間の限界を痛感してしまう。相容れない民族が近接するときにいかに危機を逃れるのか。それが現生人類には解決できないのである。

 理解できない相手がいる場合、戦いを選択するのは非常に愚かな手段だ。双方が傷つき、禍根を残し末代まで争うことになる。争うことを生き甲斐にし、同胞の死をも快感とするのなら話は別だ。そんな民族は実はいないはずだ。でも、主義、宗教、信念などの違いで簡単に争いが始まり、勝敗を決めることが自己集団の目的であるかのように振る舞ってしまう。争いは争いを呼び、その間に起きた憎しみは新たな憎しみを呼び出す。

 そのような闘争を目にすると、戦わないことがあたかも悪のように思えてくる。結果として無駄な殺戮を繰り返し、多くの悲劇を生み出す。戦わずして自らの利益を守る方法を人類はまだ獲得できていない。ために結果的に同乗する船を傷つけ合い。やがてその船そのものを沈め、全体の死を迎えることになってしまう。こうした見通しは誰にもできるのに、結果として避けることができない。

 中東だけの問題ではない。人類の知恵の段階として、こうした不幸は今のところ避けられないようだ。民族の利益のために人類全体の運命を想像できるほど進化はしていないのだ。それを思い知らされることに痛切な悲しみを感じざるを得ない。

 私の人生のスパンでこの問題は解決しそうもない。未来はどうなのだろう。未開な21世紀は無駄な争いをしていたと後生に嘲笑されるならばよいが、この愚を繰り返し、全体の終焉に近づいていくシナリオが待っているとしたら残念でならない。

終戦記念日に思うこと、今何ができるのか

 終戦記念日である。79年も前に日本が連合国との戦争に降伏した。人の一生涯ほどの長さの年月が流れ、戦争を体験した人は年々少なくなっている。亡父でさえ終戦時には小学生であり、その時の体験はあまり話さなかった。目前で焼夷弾が炸裂したときの恐怖を何度か聞いたことがある。原爆の標的候補だった町で育った父が生き残ったのはある意味偶然であった。

平和への祈り

 私も当時の感覚で言えば老齢の域にあるというのに、戦争体験という点においては皆無であり、父以上に戦争について語れることは少ない。日本が平和である限り今後ますます戦争とは何かが分からなくなり、観念的になっていくはずだ。それは当然のことであり、そうでなければならないことでもある。ただ、戦争が実感のないものになると誤った道に進む確率も上がる。国際摩擦を武力によって解決しようとする者が必ず出てくる。現に世界中の各地でそれが起きている。

 戦争の恐怖と悲惨さ、無意味さをどのように伝えていけばいいのだろうか。核兵器はいうに及ばず、それ以外の手段でも戦争において多数の人を殺害する技術は年々高まっている。遠方からミサイルを撃ち合い、無人機でピンポイントの攻撃をする。病原菌を拡散し、地雷を瞬時に敷設して人の住めない大地にしてしまう。それらがリアルに起きる可能性がある時代になってしまった。

 戦争で勝ち取った領土や資源は、侵略された側からすれば恨みの対象となり、いつか再び所有権の強奪がなされることになる。その時、その場所に住むわずかな人々の利益のために、広範の地域の住民が犠牲になる。場合によっては地球そのものが傷ついてしまう。

 終戦記念日があることがせめてもの救いかもしれない。この国が経験した悲惨な経験や、加害者として多くの人たちを傷つけ、自らも傷ついてきたことを思い返すきっかけにはなる。焼夷弾を怖がった父の話だけでも伝えることができたなら、私が曇天のため原爆を投下されなかった町に住んでいた小学生の子どもであることを伝えられたら、少しは役に立つのかもしれない。