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半夏生

 今日は半夏生である。いわゆる雑節の一つで、農事としては田植えの終わりを示す日であるそうだ。






 東京のスーパーではこの日蛸(たこ)の売り出しがある。もともと関西の風習であった半夏生に蛸を食べるという習慣が、商機に利用されているようだ。稲が蛸の足のように根を張ってほしいという願いは、農家としては切実な願いであったはずだ。今年のように米不足で家政が圧迫されるときはなおさらである。蛸を食うくらいで悩みが解消されるのなら実行すべきである。

 今年の場合、懸念されるのは短い梅雨が齎さなかった水運と、灼熱の日々が食糧にもたらす弊害だ。節水なり何なりの環境配慮は不可欠になるだろう。半夏生という言葉が空しく聞こえる昨今の陽気だが、夏はこれからと覚悟を決めるにはいい日である。

六月尽

 半年が終わったことになる。毎日いろいろなことが起きて一喜一憂しているのに、それを一括りに纏める力をいつの間にか儲けてしまった。

かつて半年の消化は、節目と考えられ、水無月の祓えなどが行われた。今は単なる通過点で、今年のように猛暑が既に始まっているとなるとますます存在感がない。

自然と乖離する生活を続けるうちに何か大切なことを忘れそうである。

梅雨よ終わるな

 まだ6月が終わっていないのに梅雨明けした地域がある。降水量が著しく少なく、今後の水需要に耐えられるのか心配だ。

 九州地方や四国などの一部で梅雨明けした可能性が高いことが発表された。異例の早さである。関東地方の週間予報でも雨の降る日はありそうだが、梅雨と呼ぶには傘マークが並ばない。恐らく暑い日中と突然の豪雨という日々になるのだろう。気候変動と言われれば打ち消すことは難しい。

 恐らく若い世代の人たちに梅雨の情緒を理解してもらうことは難しい。霖雨が何をもたらしてきたのか。もうデータ上の出来事になっているのかもしれない。

 雨の季節は憂鬱なものだったはずだ。それがこうなると惜しく感じられてしまう。

燕の巣

 ときどき利用する駅には燕が営巣している。今年は3カ所あり、すべてがうまく雛が育っているようだ。

 巣のある場所の下には三角コーンが置かれ、頭上から落ちてくるものに注意するようにとの但し書きが付いている。誰もこの不自由さに不満を述べる者はなく、当たり前のこととしている。

 燕が人間と共生するようになったのはいつからなのだろう。この鳥が南方からの渡り鳥であり、その雛がまた戻って来ることを古人は知っていたのだろうか。燕が雛に与える餌の多くは昆虫であり、かつては農業を支える益鳥であったことをよしとしていたのだろう。都会の人間にもその記憶は残っているのかもしれない。

 燕が人のよく通行する場所に営巣するのは、天敵たちが近づけないことを見越しているからなのだろう。それを発見するまでの歴史に自然と惹かれてしまう。

暑い日々

 中期的な気象予報によればこれからの1か月は10年に一度のレベルの高温になるという。最近はこの種のニュースがありふれたものとなり、あまり刺激を感じなくなっていることも確かだ。

 隣接する市では、熱中症対策としていざというときに利用する避暑所というべきものを市民に示している。公立の施設が大半であるが、ショッピングセンターなどもある。買い物目的でなくても使ってよいと言っている訳だ。

 商業施設は入りやすいので改めてここにうたわなくてもよいのかも知れない。一部の人以外はあまり利用することが少ない文化施設や、庁舎などの開放は役に立つかもしれない。

 しばらく真夏日が続く。適度に避暑を忘れないようにしたい。

明日は夏至

 明日は夏至だ。年間で最も昼の長さが長い日である。これまでは夏至と言っても梅雨のさなかで、夏を感じることはなかった。それが昨今は文字通りの夏の至りとなっている。

 大気が熱されるのには時間がかかるらしく、年間の最も暑い季節が8月であるのもこのことが関係している。熱されにくく、冷めにくいのが大気の性質なのだ。

 それなのに、6月の時点でこれだけ暑くなっているのはやはり異常というしかない。原因が人類の生産活動にあるというのが科学上の定見である。そうでなくても両極の氷は確実に溶解し、海水面は上昇している。台風などの異常気象現象が増えて未曽有の脅威に晒されている。

 夏至を迎えて私が思うのは、この世の節目が少しずつずれていることだ。私が子どもの頃の基準とは異なる何かがある。伝統的な季節観によって成り立っている歳時記的な自然がいつまで通用するものなのか、それがとても気にかかる。

今日は酷暑か

今日の予想最高気温は34℃という。いわゆる酷暑まであと少ししかない。子どもの頃、30℃を越える日はそうそうなかったと記憶している。32℃ともなるとこの世の終わりではないかと何となく考えていた。今となっては懐かしい思い出だ。

最近は酷暑日なる範疇ができ、それも定着してきた。6月にしてこの気温なのだから、この先が思いやられる。

下旬

 6月も半分が終わった。やるべきことが終わらないまま、過ごしてしまったことになる。どうも来週はかなり暑い日々になるようだ。煮え切らないというより、湿り切らない梅雨が続くことになる。

 なんとかしなくてはならないと思うほど、何もつかめなくなると感じる。できなくて当たり前と割り切るようにしたい。他人に迷惑をかけない限り、オウンペースで切り抜けたい。

 

濡れた傘の持ち方

 雨が降ると傘のことが気にかかる。電車に乗って移動することが多い私にとって濡れた傘をどうするかは大きな問題だ。満員電車に乗ることが多いので一層困っている。

 傘は持ち方によっては他人を濡らしたり、先が当たってけがをさせるおそれがある。だから、私は折り畳みを利用するが、これだと今度はそれをどのように持つのかが問題になる。いまは傘についている袋を濡れたままでも無理やり入れてしまって、傘を小さく収納している。それでも雫は気になってしまう。

 おそらくすでにあると思うが、その袋に入れると速乾する素材のものがあればいいと考える。その都度、水を切ればいいと思われるかもしれないが、都会に住んでいるとそれもなかなか難しい。傘の持ち方の工夫はこれからも考えていきたい。

五月晴れというより

 今日はかなり暑くなりそうだ。東京でも真夏日になる可能性がある。先日梅雨入りしたばかりだが、早くも中断した。

 昔の言い方だと五月晴れなのかもしれない。今日は旧暦で言うと5月17日であり、皐月の只中なのである。ただ、伝統的季節感とは異なり、気温が高すぎる。五月猛暑なる言葉はないがそう言いたくなる。

 暑熱順化が整わない今頃の方が熱中症に罹りやすいと聞く。日々の気温差も身体にダメージを残しやすい。意識して給水、汗をかくことを厭わないことが必要だ。