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初詣の意味

 日本人は無宗教だという錯覚を見事に打ち消す習慣が初詣です。ただ、多神教の民族は一つの神だけに祈りをささげることはなく、すべての神が信仰の対象になります。私もすでに二柱の神に祈りをささげています。

 さて、初詣をすることには副次的な意味があります。それは地域の連帯を確認することです。遠方の名刹を訪れることもありますが、初詣の基本は産土の神への参拝です。そこには地域の住民が集まります。村社会でない限り、同じ地域に住んでいてもほとんどつながりがないのが現状ですが、同じ神社や寺に参拝するということで何らかのつながりを感じることができます。これは教会に通う一部の宗教ほどではないにしても、またかつての檀家のような集団にははるかに及ばないものの一定の意味があります。

 同じ地域に住む者同士が共同体の中で生活しているということを初詣を通して感じることができることは昨今の人間関係の希薄化のなかでは有意義です。同様の働きをするものとして他には地域の祭りもありますが、実施できるところとそうでないところがあるのが実態です。参拝は無意味と考えるのは合理的のようで実は大切な効用を見失っているのかもしれません。

初詣には意味がある

年賀状

 年賀状を年内に出す習慣がなくなりました。昔はそれなりに書いていたのですが、今は年が明けてから投函する始末です。

 新年のあいさつは本来自ら赴いて行うべきものであったはずです。それが郵便の発達によって書面で行うようになり、さらにはがきという便利なツールができたために挨拶は一枚の紙になりました。いまはそれが電子媒体となり、もはや物でさえなくなっている。液晶の点滅の仕方で挨拶を済ませるようになっているといえます。

 私はその点滅すらもさせない。でも年賀状を出すことの意味はあると思っています。とても少ないのですが賀状は出します。私の書く年賀状は結構文字が多いので、普通の手紙と変わりありません。だから書ける枚数も少ないのです。

 年賀状は私にとっては自分の抱負や計画を公開するための手段になっています。人に行ってしまうとやらなくてはならなくなるという作戦です。結果として毎年、多少嘘つきになっていることも事実なのですが。

イブ

 クリスマスイブです。キリスト教徒でもない人がこの行事に右往左往するのはおかしいなどという人はほとんどいません。八百万の神々を容認する我が国においてはさまざまな点で寛容です。

 クリスマスが冬至の祭祀と何らかの関連があったことは容易に想像できます。太陽のエネルギーの復活を祈る祭りは、神の誕生と結びつくのは明白です。続日本紀にも冬至の祭を行った記録があります。東アジアにもこの辺りの日を特別に考えていたことが伺えます。

 かつて冬は過酷な季節だったはずです。その中での切実な願いが発露される祭祀だったはずです。今日のように大量消費の日になったことを古人はどのように思うのでしょうか。

 朝、扉を開けると雨が降っているようでした。路面が濡れ始めています。ただ周囲に響く音がいつもとは違う。どこか硬質で細かい音が響いていました。

 それが霙と霰の中間に当たるようなものであることにはその後すぐに気づきました。傘をさして歩き出すと、その上にもいつもとは違う感触があります。

 その後、ネットニュースで横浜で初雪が観測されたとのことを知りました。今日は最高気温が一桁止まりになるとか。師走に入ってやはり急速に季節は進んだようです。

 関東の冬は乾いた晴天が大半ですが、やはりこういう日の方が季節を実感できます。

師走始まる

 今年も最後の月に入りました。最近、身の回りにいろいろな変化があって体調が今ひとつなのですが、やるべきことを少しでもやっていくしかありません。師走はある意味、総括の期間であり振り返り、前を向く時期です。私なりにやっていくつもりです。

寒さ加速

 今朝は氷点近くまで気温が下がっています。放射冷却の朝が始まりました。

 久しぶりの日射しは乾いて冷たい空気を照らしています。その眩しさの割りにはエネルギーが足りないのか温もりは限定的です。コートを着けても寒さがしみ通る感じがする体感です。

 この寒さのせいか私は少し体調を崩してしまいました。風邪でもなく咳も出ないのにとても不思議です。ここは確実に回復しなければと考えています。

曇止め

 今朝はかなりの冷え込みです。これから気温は上がらないようで、ほぼこのまま夜を迎えそうだということです。風邪やインフルエンザの流行も間近でしょう。

 マスクを着けると眼鏡が曇るのが厄介です。曇りにくいマスクというものも売っているようですが、いつも用意できるとは限らない。そこでネット検索してみると警視庁の推薦する方法がヒットしました。

 マスクの上辺の折り込むかティッシュを挟むという簡単なものです。折り込み式は曇りの度合いを軽減しますが完全には防げません。ティッシュを使う方法はものぐさの私には向いていません。いずれにしても大切なのはうつむかないことです。水滴となった吐息を眼鏡のレンズが受け止めないようにすることが肝要なのです。

 昨年までは眼鏡をかけなかったので気にならなかったのですが、これからの季節はちょっとした対策と姿勢を正すことが必要だと分かりました。

初外套

 冷え込みが激しくなりました。今朝は今季初めてコートを着て出勤しています。1月並みの寒さだとか。

 気温が低いのは結構耐えられるのですが、問題は乾燥です。喉の渇きはすぐに風邪を導きます。インフルエンザも流行り始めているらしい。いろいろ用心がいります。

 コートを着ると服の重さを感じます。これだけのものを着て歩かなくてはならないのかと少し憂鬱になっています。でも慣れてしまうのも早いはず、毎年の繰り返しですから。

秋になると

 朝晩の冷え込みが強く感じられるようになりました。あの暑く長かった夏が嘘のように感じます。秋になると感傷的になるという人がいます。もののあはれは秋こそまされ。伝統的な考え方なのかもしれません。

 日照時間の減少が体内物質の変化をもたらすという意見もあります。そうなるとすべての人に共通する現象となるはずですが、どうもそうではなさそうでもあり、難しいところです。

朝日の影

 朝日の影が伸びて見えることに気づきました。冬が近いことを実感します。

 職場に向かう道は東に進むために、朝日を正面に受けます。恐らく夏はすでに上った太陽の下を歩くので気にならなかったのでしょう。日の出の方向も変わったせいなのか最近はかなり眩しく目が開けていられないほどです。

 さらに前を歩く人の影が長く後方に伸びていることに気づきました。夕陽を見る時に見た風景が朝にもあったのです。当たり前ですが季節ならではの発見です。