
台風11号は西に向かっているが日本本土に接近した後の進路予想が難しいようだ。いろいろな予報が出ている。どうも予想しにくいようだ。
数年前、日本の南海上を西進した台風が、ほぼ折返して東に戻ってきたことがある。こうした迷走が近年多いように感じる。おそらく、海水温の上昇などの影響があるのではないだろうか。
この台風の関係か数日は涼しくなり、その後また残暑が戻るということだ。今朝は肌寒さを感じるほどだがしばらくは熱中症対策が要りそうだ。
日々の思いを言葉にして
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残暑が厳しいのは変わらないが、それでも日暮れの街を歩くと、方々から虫の音が聞こえてくるのが秋を感じさせる。気が付けば8月も最後の日曜となり、来週からは新学期にもなる。
時間の区切れというものはしょせん人為的なものであり、実際は不断の流れの一場面に過ぎない。それだと実感ができないので、いまは何時、季節はいつと命名しているだけだろう。いかなる分節をほどこすのか、そこにどのような意味づけをしていくのは文化による。極端に言えば個人の感性によるものともいえる。だから秋を悲愁の季節と考えるか豊穣の歓喜による季節とするのかは人間側の問題だ。
食欲の秋、読書の秋、スポーツの秋、芸術の秋、月見、紅葉狩りなどさまざまな秋の捉え方があるが、どれもいかに意味づけするかということになる。ならば、私は私なりに季節を捉えなおしてみようではないか。秋は衰退ではなく復活の季節ということにしたい。陽光は減り、気温は下がるのでマイナスのイメージを持ちやすいが、暑さの支配から逃れ、自分の行動が解放される季節として位置付けてみようと思う。
こう考えると虫の音が頼もしく聞こえてくる。要するに気の持ちようなのだろう。

今日は土用丑の日であった。この日にうなぎを食べるのは江戸時代の販促戦略であったと言われる。この季節にうなぎを食べるのには栄養学的にも根拠はあるらしい。実はこのうなぎという魚には様々な背景がある。
万葉集には武奈伎として登場するうなぎは、家持によって滋養豊富な夏の食材として奈良時代から認められていたことを知ることができる。ところがこのうなぎの生態には不明なことが多く、産卵は南洋の深海であり、稚魚は黒潮に乗って日本沿岸に漂着する。さらに大半は河川を遡り、淡水魚として過ごす。産卵期に再び海に戻り深海に次世代を産むというのである。泳ぎが決して上手いとは言えない魚がどうして地球規模の移動をするのか。分からないことが多いらしい。
養殖として知られるうなぎの卵からの育成はできないらしく、沿岸地域で稚魚を獲ることにかかっているという。乱獲と気候変動など複数の要因が重なり、ニホンウナギは絶滅危惧種とされている。ここまで述べてきて分かるようにニホンウナギという名称には自己矛盾があり、決して日本だけの魚ではない。
養殖されるうなぎの最近は輸入されるものが多い。養魚段階で問題のある餌や薬物の使用もあると言われ、食の安全性は確保できていない。何か昔と味が違うと感じるのはそのせいかも知れない。もっともこれには科学的根拠はない。
今年のような異常な暑さにあってはうなぎ料理は救いのような気がする。平賀源内の知恵の後に訪れたこの魚の境遇の劇的変化は、希少種となってやがては消えていく結末に至るのだろうか。暑気あたり気味の頭脳では上手くまとめることはできない。

かなりひかえめに蝉が鳴き始めた。今年は蝉が少ないと思ってしまうが、真実は蝉の鳴く季節の前に真夏の暑さが来てしまったということだ。
蝉が鳴くと生命の高まりを感じることもあるが、騒がしくもある。しかし、あるべき風景に蝉が鳴かないと何かおかしいと感じてしまうから不思議なものだ。ニイニイゼミは年々少なくなっている気がするし、アブラゼミやミンミンとともにクマゼミも増えてきたと言われている。そのどれもがいまのところほとんど鳴いていない。
昨日は近隣の市で出された洪水に関する避難勧告の警報音に驚かされた。被害は出ていないようだが、今後も豪雨が降る可能性はあるということなので気をつけねばなるまい。