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政権交代

 英仏ともに政治の流れが変わろうとしている。何がそうさせているのかといえば、現状に対する不満以外にない。

 フランスは変わるときは極端に変わる。オリンピックの直前というタイミングでの野党の大躍進は驚きだが、それだけ現政権に対する不満は大きいのかもしれない。今回行われているのはフランスの下院、国民議会の選挙である。フランスは2段階に分けて選挙を行っている。1人区の小選挙区制をとり、1回目の選挙で得票率の50%以上かつ、有権者の25%以上の得票をした候補者がいない場合は、有権者の12.5パーセント以上の得票率を得た候補による決選投票を行うというものである。フランスの選挙勢力は与党の中道派、それに左派、右派と3分されるそうで、1回目の選挙で躍進した右派が2回目の選挙で勝利を続けると、議会での安定多数を確保することになるそうだ。慌てた中道と左派は候補者の一本化を図り、右派の勝利を阻止しようとしている。これまでこの方法で右派の進出を阻止してきたが、今回はそう簡単にはいかないようだ。

 第1回目の選挙で躍進した極右勢力は、もともと国民戦線といっていた政党で、民族主義、反移民主義を標榜していた。その政党名からもうかがえるように過激な思想であり、現状に不満をもつ国民の一定数の指示を受けてきた。結党した父の後を受けた娘のマリーヌ・ル・ペンが党首になると、現実路線に変更しそれまでの反ユダヤ主義や民族主義のトーンを下げ、中小企業の保護を打ち出すなどの穏健な路線に進んでいる。ただし、移民に関しては否定的で人数の制限や社会保障の厳格化などを標榜している。また欧州連合との関係も距離をとるべきだという考え方のようだ。フランスも停滞する経済や、失業率などに不満を持つ人は多く、その受け口になっているようなのだ。

 決選投票次第であるが、マクロン大統領が今後厳しい政権運営を課せられることは間違いがなく、国際情勢に大きな影響力をもつ同国が今後には注目しなくてなるまい。

 イギリスは議院内閣制のため、今回の選挙で労働党が大勝利したことで政権交代が起きた。しばらく続いた保守党政権から14年ぶりに政権を奪取している。イギリスは前政権でプレグジットを国民投票で行ったが、EUからの離脱は決して英国に利をもたらしていないようだ。輸入のコストがかかるようになったことや、人手不足を原因とする景気の後退が続出した。次期首相になるはずのスターマー氏はおそらく欧州連合との協調を進めるだろう。日本との関係はその結果、少し低下する可能性もある。また移民政策に関しても見直しがあるのかもしれない。

 移民を拒否して国民を守ろうとする動きと、世界的な人間の動きに連動して国家を保とうとする国家が隣接していることは実に不思議なことである。ただ、両国に言えるのは現状に対する不満と次期政権に対する期待であることは変わりない。

 日本ではおかしな都知事選挙が行われている。経済の停滞は欧州の比ではないのにこの国の選挙はなんと的外れなのか。これを幸せというのか。愚かというのか。何があっても政権交代は起こらない、起こっても長続きしないこの国の政治の力の弱さを物語っている気がしてならない。

台湾救援

 台湾でまた大きな地震が起きた。天災においては日台共通の憂いがある。日本でも能登半島地震が起きたばかりだが、台湾も大地震を繰り返しておりプレート境界に住まう人間の共通の悩みである。

 台湾は政治的に複雑な立場にある。中華人民共和国との関係上、正式な国交はないが、自由主義経済圏の仲間であり、経済的にも文化的にも繋がりは深い。沖縄県の与那国島とは距離的には至近距離であり、隣国といえる。島国というのも共通点だ。かつて日本が占領した歴史があるのにもかかわらず親日家が多い。日本人も台湾に関する好感度はかなり高く、一度は訪れたい国の一つとして上げる日本人は多い。台湾風という料理はかなり人気がある。

 台湾有事を中台関係に見るのが一般的だが、今回は天災としての有事である。私ができることは少ないがせめて少額の募金でもしてみたい。私が利用したのはYAHOO!Japanネット募金だが他にもあるはずだ。政治的な問題は一度措いて地震という共通の災厄に立ち向かう仲間を応援したいと思う。

アメリカのふるまい

 中東におけるアメリカのふるまいが世界を動かそうとしている。伝統的に親イスラエル、反アラブの立場をとるアメリカが、ヨルダンにおいてイラン系の組織から無人攻撃機の攻撃でアメリカ兵が死亡した。これに対する報復が行われ、少なくとも45人が死んだと報道されている。

 これとは別に紅海などで民間の商船などに海賊行為を行っているイエメンのフーシ派の拠点に対し、米英および豪、バーレーンなどの陣営が攻撃を行っている。この方面に関しては日本郵船が運航する貨物船の拿捕、略奪されている事実があり、当事者になる。このフーシ派の後ろ盾がやはりイランであるようなので、話は複雑になる。

 アメリカは間接的ではあるがイランに対して敵対関係であることを世界中に表明したことになる。これまで様々な局面で対立してきた両国だが、オバマ大統領の融和政策以降表面的には対立を避けてきた。それがいままた民主党の大統領であるバイデン氏により覆されてしまったことになる。

 中東の問題に欧米が絡むとこじれるのは歴史上繰り返されている。今回もまた同じ結果になりそうだ。ロシア、中国や北朝鮮などの国々もこの対立を巧みに利用しようとしている。日本は資本主義陣営でありながら、中東とは独自の関係を築いてきた。油田の取引など経済的な利害関係は大きい。第3の立場として何か貢献できることはないのだろうか。国際平和に置いて我が国が果たせるのは軍事的なものではない。交渉の専門家を育てることが国としての責務といつも考えている。

気候変動対策で日本が低評価

 アラブ首長国連邦のドバイで開催中の国連世界気候変動枠組条約締約国会議で相変らず日本の評価が低い。この時期に合わせてNGOが発表する化石賞で2位に「表彰」されるなど、国際評価は厳しい。

 日本が低評価になる理由の一つとして化石燃料に水素やアンモニアを混焼する技術がごまかしと評価されていることがある。グリーンウォッシュというらしい。この技術を海外に輸出していることも評価を下げている。今のトレンドは化石燃料をいかに使わないようにするのかであり、使い方の工夫をするというのでは評価されないようだ。

 ただ、日本にとって再生可能エネルギーへの転換は容易ではない。原子力発電に関して慎重にならざるを得ない国土にあって、何ができるのかを考えなくてはならない。

内戦の国、シリア

 FIFAワールドカップ予選で日本はシリアに勝利した。この試合の中継は日本のメディアによってはなされなかった。法外な放映権を要求されたことが原因という。ネット上ではこの事態に関して日本のサッカー協会の判断をおおむね支持しているようだ。相手の言いなりにはならないということをピッチの外で示せたという評価だ。

シリア

 この放映権料がもし支払われたとしたら、何に使われたのだろう。想像に過ぎないが、シリアで今起きているのは内戦である。それも多極化したまさに戦国時代のような様相だ。追い打ちをかけるようにトルコ地震の被害もあった。放映権料はインフラ整備よりも軍事費に充てられたに違いない。その意味においても今回中継を断念したのは好判断だったといえるのかもしれない。

 シリアの国情は調べるほど複雑で、宗教、宗派、民族、外国政府、隣国の状況、歴史的ないきさつなどが複雑に絡み合っている。もつれた糸をほどくのはかなり困難で、むしろ米露仏などの介入で被害を拡大しているともいえる。パレスチナ問題もしかりだが、中東地域はさまざまな問題が多い。これをどのように治めるのかは世界の課題といえそうだ。

 サッカーは圧勝したが、相手の国情を知ると素直に喜べない。平和な状況で対戦すれば、そして自国で開催できたならもっと強かったのではないか。いろいろあるが日本がスポーツに専念できる人を持てていることには感謝しなければならない。そして、世界平和に貢献できる人材を輩出しなくてはならないとも思った。

多様性が大切ということは

 国連で活躍されていた方のお話を伺う機会があった。いろいろな話題の中で、多様性こそが大切であり、異質であることへの寛容な考え方が求められているというご意見が印象的だった。

 紛争当事国や貧困で苦しむ民族に、自分たちの成功体験に基づいた助言をしてもうまくいかない。例えば民主主義や男女平等の理想をすぐに実現させようとしても、旧来の社会制度や生活習慣との乖離が大きすぎればかえって混乱を招き、さらに悪い状況に陥るという。国や地域に応じたやり方があり、それを間違えれば良薬も毒薬と化すのは考えてみれば当たり前だ。

 世界には、身の回りには、様々な価値観があり、そのどれが優れているのかを判断するのは難しい。ある状況では絶対の真理と思えても、別の局面ではそうならないことも多い。物理学の世界でさえ、万事に通用する方法はないという。まして形而下の不規則な世界の中でこれこそが真実、正義と言えることは実際はない。その都度この場面では何が最適解なのかを考えるしかない。

 この多様な世界は厄介なだけかといえばそうでもないらしい。多様性の中で、次なる策を見つけることが新しい価値観を生み出し、現状を打開する方策を生み出す。生物学の世界で、ある環境に特化した種が絶滅しやすいことは証明されている。常に新種と接触することが次世代へと繋ぐことができる条件なのだ。

 多様性を推奨するのは容易い。ただそれには異質なものへの寛容さが裏打ちされていなくてはならない。自分の周囲に習慣も価値観も異なる存在がいたとき、それをどのくらい許せるだろうか。私自身のことを推し量ればかなり覚束ない。排除まではいかなくても、距離を置いたり無視したりしないか。その反省から始めなくてはならない問題なのだろう。

欧米も猛暑らしい

 報道によるとアメリカやヨーロッパの一部でも記録的な猛暑になっているという。アメリカではアスファルトで大火傷を負った人もいるらしい。ギリシャでは山火事が発生して問題になっている。まさに殺人的な暑さである。

 気候変動が短期的なものであるならばまだマシだが、どうもそういうものではないらしい。気象のメカニズムが変わってしまったということなのかもしれない。そうなると暑い夏は暫く続く。台風被害や農作物への影響などはかりしれない問題が発生する。

 夏が暑いと冬に大雪になりやすいという事も言われる。問題発生は夏だけの問題ではなく、年間を通して起こりうるのだ。それが世界規模でおきるならば物流の問題点も生まれる。戦争などしている余裕はないのだ。

 長期予報によると8月も9月も高温傾向になるようだ。どのようにこの気象を乗り切るか、できれば味方につけるのかが課題になる。

 

戦争の残すもの

 「戦争は女の顔をしていない」というドキュメンタリー作品を読んでいる。第二次世界大戦においてナチスドイツと戦ったソ連の女性たちの戦争体験を聞き書きしたものである。かなり大部であるが、惹きつけるものが大きすぎて非常に印象的だ。

 ソ連軍には多数の女性兵士やその支援部隊がいた。あまりにも多くの犠牲者がでたソ連軍は女性の動員もせざるを得なかったのだ。ただ、この作品を読む限りかなりの女性は自ら志願して戦地に赴き、中には最前線で戦ったという人もいる。多くは死に、生き残った人たちもその心身が傷ついた。悲惨さは文章からは完全にわからないはずだが、それでも心に迫るものがある。

 女性たちを戦地に向かわせたのは家族を殺された憎しみもあるが、当時の指導者の国民の洗脳も大きい。国家のために戦うことを子供の頃から教えられ続ければ、兵士になるのは当たり前だ。このあたり我が国の歴史に共通するものがある。

 生き残った女性たちの証言は様々でそれが戦争の悲劇を多方面から証すのである。男以上に戦果を上げた兵、同僚の命を何人も救いながらも、同時に多くの死を看取った衛生兵、敵に辱めを受けても屈しなかったパルチザンもいれば、敵兵を憎みながらも怪我の治療をした人もいた。

 戦争はさまざまな悲劇を同時多発的に発生させ、憎しみの連鎖を巻き起こす。敵国だけではなく同胞の仲間からも排除されることもある。だから、やはり戦争は避けなくてはならないのだ。

 この作品の当事国であるロシアがいまも戦争をしていることは大きな皮肉というしかない。現在も多くの悲劇を生産し続けている国があることを傍観するしかないのだろうか。

原発処理水問題

 韓国で福島第一原発の事故で発生した処理水の海洋放出について反対運動が起きている。塩の買い占めが起きるなど社会問題になっている。

 ただし、この問題で気をつけなくてはならないのは、有害物質と言われるトリチウムの推定排出量は現状でも世界各地で福島以上であり、そのなかには中国や韓国の原子力発電所での排出も含まれているという事実が報じられていることである。また大気中に拡散されたものが雨などの気象現象によって海洋に溶け込むことがあるとも言う。

 安全性を追及するならば、世界中の原子力発電事業に対して行わなければならないようだ。原子力はできれば避けたい選択だが、化石燃料のもたらす害悪の方が大きいとされている以上、捨てることはできない。今のところは主力になり得ない再生可能エネルギーの開発を期待するしかないのだろうか。

 韓国のような科学誤認はどこでも起こりうる。また、結果として福島の汚染水は処理水だと証明されたとしても、世界の原発の問題は解決できない。事故を起こさなくても原発は環境を変え続けている、しかし現状ではそれに頼らざるを得ないという事実を知らなくてはならないのだろう。

 

日本は先進国

 日本はすでに先進国ではないという論調に出会うことがある。今後ますます増えていくだろう。一人あたりのGNPが多くの非先進国に抜かれているいま、経済の物差しではすでに先進国とはいえまい。

 ただ、この話で注意しなくてはならないのは、もはや〜ではないという考え方だ。これはかつてはそうだったがいまでは違うというニュアンスがある。日本は世界有数の先進国だったのにその立場を失い落ちぶれたという。

 この感覚は実は世代によって異なるのかもしれない。果して先進国の仲間入りなどしたことがあったのか。そう考える世代もいる。経済成長に成功したがそれ以外はどうだろう。そもそも先進国というのは欧米の一部の存在感のある国のことであり、極東の日本はそれとは異なる。いろいろな事情でサミットには呼んでもらえるが明らかに違うのではないか。

 先進国の定義は実は曖昧であり、相対的なものに過ぎない。この国を国際社会の中で価値あるものに保つことこそ大切だ。