電車の車内の動画で伝言板を話の中心に置く話が毎日映写されている。男女のすれ違いを描く純愛ドラマの風で、音声がないのにもかかわらずひきつけられてしまう。ふと気づいたのだが、駅の改札付近にあった伝言板は最近はほとんど見かけない。どこに行ってしまったのだろうか。
「シティーハンター」ではこの伝言板が話の発端として利用されていた。新宿駅にあったことになっている。いまは個々人の連絡は携帯電話などで連絡できるし、公共の看板ならいたずらや、プライバシーの問題も出てくる。だから、シティーハンターを呼び出すことも現在ではそう簡単にはできない。ソーシャルメディアに書いたならば、発信者の特定は黒板以上に正確にできてしまう。
私自身が駅の伝言板を使ったのは一度だけだ。待ち合わせの相手が遅刻してきたときに、「先に行く」といった内容を書いたことある。たいてい私の方が遅刻していたので、伝言板を使う必要がなかった。いつ来るか分からない、途中で何かあったのかもしれない、そもそも約束自体を忘れているのかも。そういった疑問は今では相手へのメールで確認できるだろうが、昔はそうはいかなかった。それでもコミュニケーションは成り立っていたし、許しあえるゆとりはあった。
駅に伝言板があった時代の方がもしかしたら豊かな人間関係があったのかもしれない。そんな幻想を思い浮かべてしまうのである。
