闇バイトの対義は

 闇バイトという困った事案がある。警察はこれに対抗するために仮想身分捜査という方法を検討しているという。これは捜査のために偽の身分証明書等を使い、犯人グループに潜入捜査とするというものだ。いわば悪を懲らしめるための悪である。最近の悪質な犯行から考えると仕方がないのかもしれない。少なくとも捜査官が入るかもしれないという事実が多少の抑止力になるかもしれない。捜査官は命がけということになる。心配だが職務には敬意を禁じ得ない。
 闇ボランティアの対義は何かという話題もある。光バイトという人がいるが、バイトの性質を金銭を得るための短期労働もしくは非正規雇用の形態と考えるならば、何が光なのかは分かりにくい。社会的に認められ、利他的な結果につながる公共性の強い労働に従事するアルバイトならばそれに該当するのだろうか。しかし、これは闇と光という対称しかみていない。バイトの対比としては金銭の獲得を目的としないボランティア活動が想起される。ならば光ボラが対義なのであろうか。
 ボランティア活動は無賃金労働かといえばこれも違う気がする。ボランティア活動には無償性のほかに、自発性と無償性が必要とされる。そしてある時には費用の一部を受益者が負担する場合もある。例えば遠隔地から来たボランティアに対し、宿泊所を用意したり、食事の提供をすることなどはボランティア活動の意味に抵触しないだろう。
 忍び寄る衰退基調の中で、少しずつ人々の心がすさんできている気もする。こういうときほど慈善の精神を考えることも必要であろう。それが光ボラの実践で果たせるならば社会は変わっていく。

今より不便だったころ

 今より不便だったことを思い出すことができるのか。それが現代を生きる鍵になるのかもしれない。

 いまは何でも効率的なことが求められる。少しでも無駄のないように徹底的に計算される。そうせざるを得ない現実があるから躊躇がない。

 でも、今に至る前の時代は必ずあり、その時代を生きていたはずなのに、すっかりと過去の思い出を忘れている。これは老化とか人生の問題とは違うようだ。加齢がもたらす記憶系の不思議な振る舞いである。

 いま私は時代の先端にいて、その流れに乗っていることになる。当然さまざまな矛盾を抱え、場合によっては崩壊し始めている要素もあるのだが、いちいち検証することはない。過去の経緯を思い出さないことに加えて、少し後のことも考えない癖がついている。それが恐らくいま求められている効率的に生きることなのだろう。何かが違うとしか言いようがないが。

 試みに10年前とか30年前のことを思い出してみる。インターネットが普及する以前のことを考えてみる。そのときに感じていた何かを忘れてはいないだろうか。いまを見つめ直すためにはこういう脳内作業も必要だと思う。

初雪予報

 これから気温がが下がっていくという予報が出ている。強い寒気が南下する影響で寒い季節に拍車がかかるようだ。東京でも明日、もしかしたら初雪になるかもしれないという。東京の降雪の条件は微妙な要素が多く予報が難しい。もしかしたらという覚悟でいたい。

 初雪を吉兆と見る精神は古代からあった。雪を豊作の予兆と考えるのは農耕民の経験知のなせるわざだろう。表土が雪に覆われることでかえって保温されるということを故人は理屈ではなく知っていたのであろう。

 東京人にとっては雪は年数回の珍事に過ぎない。その都度喜び、ちょっとしたことで事故を引き起こす厄介なものでもある。それでもやはり降雪はどちらかといえばポジティブにとらえられる。

 明日、雪を見ることができるのか分からない。降れば冬の到来を実感することだろう。それは嬉しい確認であり、覚悟を促す天象でもある。

印象操作

 最近、気になっている言葉に印象操作がある。マスメディアからソーシャルメディアまで、事実の一面を強調することにより、全体のイメージを変えてしまうことだろう。これを結果的に行って来たのがこれまでのメディア史だったが、最近は明らかに意図的に行っている気がする。

 例えばある出来事について、その賛成派を中心に取材すれば好意的報道になるが、反対派を中心に報ずれば批判的になる。マスメディアは一応公平性を配慮するが、それでもどこを切り取るかで受け手の印象はかなり変わる。ソーシャルメディアは元々発信者の個人的な意見なので偏向報道そのものだ。

 メディアリテラシーが意識されているうちは何とか見過ごすこともできる。ただし昨今のように目まぐるしく、大量の情報が流動する状況では何が中立で何が偏向しているのかなど考える余裕がなくなってしまっている。

SNSに流れた情報があたかも事実、もしくは多数意見のように振る舞い、多くの人がそれを信じてしまう。よく考えれば、雑踏の中の誰かの呟きに過ぎないのに、おかしな力を持ってしまうのだ。少し前の、インターネットなどなかった時代の人たちの感覚を取り戻したい。トイレの落書きをどれだけの人が信じただろうか。

 意図的に事実を歪曲しようとする印象操作はAIの力も借りてますます巧妙化している。どんな報道がなされても、そこにある映像がいかにももっともらしくとも、立ち止まって考えなければならない。それができれば、操作されない自由が獲得できる。

心配な韓国の政情

 韓国の尹大統領が弾劾された。政局悪化に非常戒厳を持ち出したのは悪手と言わざるを得ず、国民感情を逆なでしてしまった。ただ野党側の党首も汚職疑惑があり、自分への批判をそらすために国民の関心を反日運動に向けさせようとする手法をとるリーダーなのが気になる。この策を取っていた過去の大統領はいずれも失策して失脚している。

 韓国は日本以上の少子高齢化と格差拡大という厳しい現実にあって、安定的な政局が不可欠だ。国民の観点からすれば今の状況を何とかしたいと願っているのだろう。だが、彼の国もそれを実現してくれるリーダーがいないようだ。

 戒厳令は全斗煥大統領の起こした光州事件の記憶が先行し、政局の展開の手段としては間違っている。ただ、おそらく野党党首の李在明氏が次期大統領に適当かといえばかなり怪しい。つまり、未来を託せる指導者がいないのだ。今回は大手メディアも戒厳令の方に注目し、事態の背景を追いきれていない。韓国の若者層もソーシャルメディアを含めた報道に踊らされて冷静な判断力を失っている。

 これは日本も似たような状況にある。ただ、分断を嫌う国民性がようやく混乱を抑えているのかもしれない。容易に解決できない問題に直面しているとき、そしてそれを導く者がいないとき、民主主義はどのようになるのだろうか。それを考えさせられる。

近隣の未開地

 車のランプが切れたので隣市の自動車用品店に修理を依頼した。とても混んでいて1時間後に作業開始とのことだった。そこで急にできた時間で近隣の商店等や格安量販店、リサイクルショップなどを巡回することにした。

 いわゆるホームセンターを見つけたのでまずはそこに入る。聞いたことがない地元系の店だが、かなりにぎわっていた。売られていたのはいわゆる一流ブランドものではなく、価格を抑えた海外生産品がほとんどだった。保証がしっかりしていればものによってはお得かもしれない。問題は耐久性だが。

 次にリサイクルショップに行く、近隣に2軒もあり、物価高の現在、また環境問題への意識もあってか結構繁盛していた。最近、私も古着を買ったりするので、以前あった抵抗感はない。1軒目に入った店は全国展開しているので他の支店には時々行くが、地域によって売っているものが少しずつ違うことに気づいた。

 格安量販店もかなり賑わっていた。これも用途と使用の仕方を考えればいい買い物ができる。所有の満足感は高くはないが、むしろ遠慮なく使い込めるという点においては適合している。長期使用の前に中期使用という分類ができるとすれば、そういうものに向いている。使わないブランド品よりは実用的かもしれない。壊れることはよくあるのでそれを覚悟したうえで。

 そうこうしているうちに車の修理が終わったとメールがきた。この車こそ長期使用の最たるものだ。すでに骨董品の分類に入るだろう。あちこち修理しながら今に至る。

 空いた時間で近隣を散歩することになった。すぐ近くなのにこのような店があることを全く知らなかった。未開の地は実はすぐ近くにある。

 

雑種文化

 雑種文化というとかなり抵抗がある。ただし、それを独自の文化といえばかなり違った印象にになる。多くの識者が説くように日本の文化は複数の文化の融合からなる。これも言葉を変えれば雑種であり、少しかっこよくいえばハイブリッドである。

 純日本風という言葉は色々な意味で解釈が難しい。日本独自のものはないが、日本にしかないものはある。トートロジーのようだがそれが現実だ。日本の文化が先行する要素を取り入れながら、その本筋は変えず、したたかに現実に合うように変更していく。それがこの国の伝統であり、我が国独自の性質である。

 この事実は実は時代を先取りしていた。グローバルな時代では自分のアイデンティティは他国他民族との対比の中から芽生える。他国とは違う何かを見つけたとき、それが自国文化を語る物差しとなったのだ。それを在来の文物、制度の中に織り込んでゆくことで和風が常に生成されている。

 柔軟性を忘れると活力が失われる。これは本当の生物のあり方にも似ている。

味気ないサービス

 最近いろいろな店が機械化をして、人件費を節約しようとしているらしい。飲食店の配膳ロボットはすでに市民権を得ているが、掃除をしたり、公園保護の仕事をするのは機械の得意とするところだ。こうしたことの機械化は人口減少の未来の救いになるかもしれない。

 ただ、対人的な雰囲気を重視する人たちにとっては残念なことなのだろう。日本に訪れた外国人が日本の様々な優良なサービスを称賛したあと、飲食店の注文がタッチパネルなのは残念だという。世界有数の接客サービスと聞いていたのに、実際はむなしくタップやスワイプをするだけだったというのだ。接客を楽しみにしている人にとっては今の状況は期待を裏切るものであろう。

 経済効果とか効率化とかそういう言葉では測れない何かが客商売にはある。顧客に満足してもらうことが大事だ。そのためには熟練した従業員が必要であり、彼らを雇うことができるだけの資本力が要ることになる。価格に転嫁されれば格安店には勝てなくなる。安いが味気ない店か、高いが印象の良い店か。今は選べるだけ幸いだ。今の調子で人口減少が続き、移民を受入れず人手不足のままならば、味気なさが蔓延することになる。

天然の加湿器

 咳の出る風邪が流行っているようだ。発熱は少ないが喉の腫れが強く、咳き込むとなかなか止まらない。私もようやく峠を越えたがかなり長く咳に悩んでいた。

 そこで混雑した電車や雑踏を通過するときはマスクをつけることにした。コロナ禍時代の神経質な雰囲気はないが、それでも混雑の中で咳をするのには気を使う。予防効果がどれほどあるのかわからないが少なくとも気休めにはなる。

以前かかっていた町の医師からマスクは天然の加湿器ですと言われたことも思い出す。寒さと乾燥の季節を何とか乗り切りたい。

オリンピックプールでスケート

 渋谷に住んでいた頃、代々木オリンピックプールに時々泳ぎにいった。競技用なので水深が深く、あまり水泳が得意ではなかった私にとっては少々恐怖もあった。

そのプールが冬季にはスケートリンクになった。これもホッケーやフィギュアスケートの国際大会が出来る仕様なので広くアマチュアというか初心者には贅沢だった。よく考えると滅多にない体験をしていたことになる。

アイススケートも得意ではなく、何とか周回できる程度であったが、なぜか何度も行きたくなった。怪我しても筋肉痛になってもだ。

でも、今となっては相当な勇気が必要だ。イメージ上では華麗なターンを決めてみても、実際に身体が着いてゆくとは思えない。でも一度やってみたいとは密かに考えている。