明日にも梅雨入りか

 今日は薄雲が一日中多い、夕刻には雨がぱらついた。天気の週間予報を見ると明日からおおむね雨か曇り、おそらく関東地方も明日には梅雨入りするのだろう。

 梅雨というのは梅雨前線と呼ばれる停滞前線がその地方に継続的にかかる状態をいうそうだ。今日の天気図をみると、本州の南海上に梅雨前線がつながっており、九州南部はそれが一部接している。これが北上すると本格的な梅雨が始まるということだろう。

 関東地方の梅雨入りの平均日は今日(6月8日)らしく、今年はほぼ平年並みの梅雨入りとなりそうだ。例年、梅雨末期に水害が発生する傾向にあるので、これから備えておく必要がある。といっても私のできることは限られている。雨に降られても何とかなるように着替えを職場に用意しておくこと、ズボンの上に穿くレインコートを用意しておくこと。折れない傘を用意しておくことなどがある。おそらく、そのどれかを忘れて慌てふためく自分の姿が思い浮かぶ。

 適量ならば恵みの雨だが、最近の天気は過激で変動が大きい。被害が出ないことを心より願う。

歌の力

 古典文学の世界のお約束に和歌は特別というものがある。現況の困難を歌が解決するという話は類型が多く、読解の鍵となる前提条件だ。

 地の文が理を述べるのなら、歌は情の表現であり、古人が何れを尊重していたのかを窺い知れる。

 現代では情的なメッセージは副次的なものであり、ときにはノイズの扱いを受ける。どちらがよいというわけではないが、現代社会の息苦しさの一因が情の軽視にあることは間違いないのではないだろうか。

李在明大統領に注目

 大韓民国の新しい大統領である李在明氏はなかなかの曲者であるようだ。恵まれない少年時代から、自ら進路を切り拓いた人であり、学歴社会の韓国にとってはそれだけでも英雄的存在だ。

ただ、こうした出自の人物が犯しがちなさまざまな人間関係上の問題も繰り返しており、司法上の問題となっている案件が複数あるらしい。日本ならばその時点で首長に就くのは難しいが、恐らくそれ以上に魅力のある人物なのだろう。

 韓国の政治家にほぼ共通する反日運動を求心力に利用するという手法がある。北朝鮮という脅威に直面しているのにも関わらず、かつて占領支配されたという過去を持ち出して敵国を仮想して、国民の意志をまとめようとする。この手法が使えるのは世代的に限界に近づいているのかもしれない。観光対象として日本を選ぶ人は多い。日本人も特に若い世代では韓国は憧れの対象である。日本に滞在すれば分かるが、韓国ドラマは毎日どこかの放送局で放映されている。

 新大統領がどのような振る舞いをするのか、いまは注視したい。

紫陽花

 紫陽花の花が咲き出した。梅雨時を象徴する花である。品種改良の末、さまざまなバリエーションがあり、梅雨空の下の楽しみの一つだ。

 この紫陽花は日本の固有種で、いまガクアジサイと読んでいるのがそれに近い。これが国内外で品種改良が行われて、さまざまな変種が存在する。

 梅雨時の花として親しみ深いが、実は毒を含む。カタツムリが葉を這う絵柄を思い浮かべるが、実際には毒のために虫は寄らないのだそうだ。

 梅雨どきの心やりとして紫陽花は大事な花である。

クールビズ開始宣言

 今日はかなり気温が上がった。明日も高温傾向だという。職場ではクールビズ解禁となったが、私のような年齢の者がクールに着こなすのは難しく、結果的に暑苦しく過ごすことになる。

 今年は思い切って、クールではないが上着を着ない生活を明日から始めようと思う。思い切り次第だ。他人からの評価は元から期待できないので、自己満足もしくは自己承認の問題である。

 やるべき仕事をこなすことの方が、見た目の問題より優先する。見た目はクールではないが、誰にも知られずクールに仕事をこなす。そんな自分を目指すことにする。

備蓄米を食べる

小泉農水相の備蓄米供出のアクションは批判もあるが私は評価すべきだと思う。異常な米価の高騰に一定の影響力を及ぼすはずだ。ただこれはあくまで緊急処置であり、恒常的な食糧自給のシステムを確立しなければ問題は解決しない。米作りがより魅力的な産業であり、国内のみならず海外にも訴求するものとして発展させる必要がある。

 古米、古古米といった過年度米の味についてはさまざまな意見がある。また調理法についても検索すればいくらでも見つかる。瞥見するに、水を多めに、また日本酒やみりんを使用料加えて炊くといいらしい。

炒飯やピラフなどの炒める料理や、釜飯などの出汁を吸収させる料理にも向いているようだ。何でも工夫次第ということになる。

かつて記録的冷害による不作となった年に、急遽カリフォルニア米やタイ米が輸入された。タイ米は品種的に別扱いされるものであるが、米国産米(よく考えてみれば矛盾する表現だ)は同種ということで期待されたが、日本のブランド米との差ばかりが指摘されて不評だった。

いまはそこまで米に味を求める層が減っている。米の食感にうるさかったはずなのに、いまはだいたい同じならば構わないくらいにセンサーが緩慢になっている。ファストフードチェーンで供給される米の多くは外国産という報道もあるが、食べてみるとさほどの違いはない。というより、高次元の区別をする気持ち自体が失われている。

備蓄米を食べて経済的危機を救うのは良策と思う。まずいと思う向きは買わなくていい。米が依然として日本人の主食である限り、それを確保する方策を固めるべきなのだ。

選挙ポスターの注意書き

7月20日に行われる参議院選挙のポスター掲示板が早くも設置されていた。少し早すぎる気もする。ただ今回の掲示板には興味深い注意書きがあるのを見つけてその意図を察したのである。

曰く商品の宣伝は罰金の対象となる。候補者の名前を明示せよ。風紀を乱すものは止めよなどいろいろ書いてある。先の都知事選で起きた変なポスターの羅列が法律的にもまた道義的にも抑制されることになった。こういう制限が増えていくのは良いことではない。法に触れなければしても構わないという輩が現れるからこういう事態になる。正義をいくら説いても結果的に社会の枷を増やしていることをかの自称政治家は考えるべきだ。

とは言え、付け加えたい注意がある。選挙はビジネスチャンスではない。本当に議員になりたくてなり、持論をあくまで主張し続ける気概のあるものだけが立候補して欲しい、という一条である。

AIに悩み相談してみた

 人工知能に悩みを相談すると必ず前向きの助言を返してくる。プログラムには相談相手を絶望の淵に沈めてしまえという選択はないようだ。ただ、そういう回答にはときにしらじらしさを感じてしまうのも事実だ。

 その背景にはどうせ人工知能にはこの苦しみを理解できない。過去の相談の履歴やネット上に残る類似の相談例の回答を組み合わせているのに過ぎないと思うからだ。恐らくこれは事実であり、人工知能にとっては相談者の悩みは他の検索と変わらないデータの一つに過ぎないはずだ。

 感嘆符付きで激励されるとそれでも嬉しいのは確かだ。実際にそれを人間に近い発音とイントネーションで読み上げ、ホログラムと連動したら、もっと説得力が増すかもしれない。相手に感情がなくても、こちら側がそれらのデジタル現象を有情なるものとみなすことは人間の能力の範囲にある。

 でも人工知能がたとえ特異点を超えたとしても、心の問題は残るのかもしれない。それこそが人間の存在意義の最後の砦になりそうだ。

ビジネスネーム

 仕事をしている時に名乗る名前を偽名にできるシステムが注目されている。本名を晒すとカスタマーズ•ハラスメントに巻き込まれる危険性に備える方策として有効視されている。

 言ってみれば仕事をする時の芸名を認めるような仕組みだ。面倒くさい世の中だと思いつつ、やはり必要なのだろうとも思う。

 業務上のやり取りに、自分の名を残さないことには抵抗がある。それが偽名でもいいというのは、自分に対する名付けが複数あることを許容するということで、自分を示す名がいくつかあるということに過ぎない。デジタル化社会においてはかような事実には何の煩雑さもなく済まされる。

 実は女性を中心にそのビジネスネームを使う習慣は既に以前から定着している。結婚後も旧姓のままで仕事をしている人が一定数いる。カスハラ対策とは異なるが、本人の利益のためにそうしているという点は共通する。

 私自身もこのブログでは本名を明かさず、芸名で登録している。こういうことはいくらでもあるのだろう。ただ、本当は本名を隠すことなくコミュニケーションができることが理想だと思う。問題なのは人類がそこまで進歩しておらず、プライバシー侵害にいちいち悩まなくてはならないという事実があるということだ。

松葉菊

 愛する植物の一つに松葉菊がある。多肉植物の体をなすがサボテン類ではないらしい。原産地は南アフリカというから、完全な外来種である。

 園芸種としては定番の品種であり、花壇の脇役としてよく使われる。ただ、生命力は強く、野生化しているものもよく目にする。アスファルトの隙間に咲く例もあるから立派な雑草でもある。

 花の風情が菊に似ているからこの名がついているが、花期は春から夏で菊花とは別物である。小学校の先生がこの花が好きであったことを思い出す。もっともその先生はそれを芝桜と混同していたようだ。生命力の強さは松葉菊の方が数段上である。先生は踏まれてもみんなで助け合って強く生きるということを教えてくれたから、松葉菊に違いない。

 先生の思い違いを揶揄する気持ちは微塵もない。植物の持つ生命力、さらには過度な庇護を受けなくても子孫を残す潜在的な能力の大切さを小学生に分かりやすく伝えた功績に感服するのである。