学校が嫌いな人たち

 コロナウイルス感染予防のための自宅待機推奨がなされる中で、学校閉鎖が続いています。この事態で学力低下を懸念する人がいる一方で、むしろこの事態を歓迎している人もいます。

 日本の学校には一定数の不登校もしくはそれに類する人がいます。その原因は一律ではないために単純に語ることはできません。そのなかに集団生活への不適合が原因という生徒がかなり多く含まれていることは確かです。彼らはクラスに溶け込めず、自らの居場所を作り出せないために学校に行くことができません。彼らの中には学力的には問題がなく、学ぶ機会さえ与えられるならば好成績を上げることが期待できる生徒もいます。

 現在はいわば全員が不登校の状況にあります。生徒は分断され、不要な同調圧力に悩まされることはありません。時間の制約もなく、狭い空間に動きを制限されることもない。こういう状況の方が能力を発揮できる人はかなりいるはずです。学校閉鎖がかえってチャンスになったということになります。

 私は教員としてこの状況を大いに反省し、考え方を変えていかなくてはならないと感じています。学校には学力とともに社会性を涵養する役割もあります。異質なものに対する寛容性や思いやりの気持ちを育てる役割もあります。学力だけならばもしかしたらパソコンを使った遠隔授業でもある程度ならばできる。しかし、それならば学校はもはやいらないのではないか。学校ができるのは何なのか。それを考え直す機会を与えられているのではないかと痛感しているのです。

市街放送

 外出を控えてください。そういう内容の放送が定期的に聞こえてきます。市役所が防災放送を利用して注意喚起を促しています。都会ではビルなどの障害があるため、スピーカーがあちらこちらに設置され、時間差をおいて放送されるために同じことが何度も流れているのが聞こえます。

 放送は緊急事態宣言が発令されているので不要不急の外出を控えるようにという内容で、すでによく周知されているものと同じです。ただ、一部の観光地などでの人手が減っていないことを踏まえて、各自治体がさらなる勧告として行っているものと考えられます。

 日本では間もなく大型連休期間を迎えますが、このままであるとせっかくのレジャーもほとんどできません。毎日が停滞しているなかでどのように気分を高めていくのか、どうやって体力や気力を維持するのかは大きな課題となっています。パソコンやスマートフォンの画面の情報ではもう収まりがつかない。生の経験が必要になっているのです。

 例えば、入場制限をかけながら施設利用をみとめるとか、屋外施設に関しては指導員のもとで利用させるとかそういった手法も必要になるのではないかと考えています。このままさらに非常事態が長引くようであると想定外のトラブルが起きる可能性もあります。そのための対策を考えていかなくてはならないでしょう。

感触

  リモートワークにもっとも深刻な問題を与えるのが感覚が限定されることです。私たちは複数の感触を総合して物事を捉えています。だから、その何かが阻害されることは大きなハンディになります。

精神の安定

 ステイホームの政策ほ一定の効果は発揮できているように感じられます。爆発的な死者の増加は今のところはなく、医療崩壊は最低限に抑えられています。とはいえ、感染者数の増加は指数関数的であり、一部の病院ではトリアージを行わざるを得ない状況にあることも事実です。

 もっと恐ろしいのは分断生活で失うのものがある可能性があることです。集団の団結力、協調性といった日本人のある意味最後の財産とも呼べるものが失われれば大損失と言えるでしょう。恐怖心やそこから発せられる憎悪や異種知り捨てが起きることも不安要因です。小さな疑いが不寛容な人間そして社会を作り出していきます。

 ウイルス感染対策とともにいま大切なのは精神面の安定です。文化的な活動も止められている現在、何が支えになるのかを考えていかなくてはならないと感じています。

高くてもよいものを

 海外依存度の高い我が国の経済の弱点が顕在化しています。必要なものが自国で生産できないことからくるハンディは深刻です。

コロナウイルス流行によって産業が停滞するなかで、生活必需品も供給不足になる可能性があります。マスクなど医療品は海外依存度が特に高いようでこれが現今の混乱を招いています。

 この原因の一つに日本の企業が生産拠点を海外に移したことが挙げられます。人件費などのコスト削減を目的としたものでした。この動きは技術の流出に繋がり、ついには日本製品より安くてよいものを作るきっかけを与えてしまったことになります。

 安いものを買えることは消費者としては嬉しいことなのですが、これが国内産業を圧迫し、脱落させることに繋がっていることはなかなか実感できません。示されるのは少し品質が良さそうだけれども高価な品物です。私たちはこれをあえて選ばなくてはならない段階にあります。

 自分の共同体を守るためにあえて近くのものを買う。これがどれだけできるのかが将来を決めます。

マスク販売

 ネット上にマスク販売の予告が出るようになりました。安価なものから高価なものまで様々です。アベノマスクの影響で転売目的の人の目論見ははずれそうですが、いまだ需要に供給が追いついていない状況にあります。

 ネットでのマスク販売元のサイトを読むと、生産国が中国であると書かれていました。マスクやアルコール消毒液などの医療品を海外製品に依存している問題点が露呈しています。コスト削減のために安価な輸入品に任せていいものなのか。非常事態になると改めて考えさせられます。

 マスクの長期にわたる品不足はこの問題を考えるいいきっかけです。トイレットペーパーのように海外依存度の低いものはなんとかできても、拠点を外国にシフトしたものはいざとなるとなくなってしまう。消費者レベルで考えれば、高くても自分の安全のために国産を買うべきなのでしょう。

変化激しく

 このところの東京の天気は変動が激しく、今朝も強い雨が降っています。気温も低めです。

 昨日は初夏のような陽気でしたが、今朝は気温が上がらずやや強い雨もふり、まとこに変動が激しい日々です。自由に外出できない現状とあいまって体調管理がかなり難しくなっています。

 いままではウイルス感染予防以外の面にはあまり関心がなかったので、これからは軽度の運動をするなど健康面にも気をつけていかなくてはならないと自戒しています。

外出

 十分な距離をとり、密集を避けるならば外出は許されるというのがいまの状況です。運動不足を解消するためには他人に近づかずに公園を歩くことならばいいのではと考えています。

 空気感染がないとされているコロナウイルスですので、他人との距離を十分にとることさえできていれば外出は可能なはずなのです。大切なのは一人ひとりの自覚にかかっています。

おかげでパソコンのスキル上昇

 通常の仕事ができない毎日です。パソコンに向かってキーボードばかり叩いている日々が続いています。おかげで今まであいまいだったパソコンのスキルが急に上がっています。

 パソコンのショートカットはいままでなんとなく使っていましたが、ここにきていろいろなものを再学習しています。これまではパソコンの「言葉」を覚えなくても何とかやっていけたのですが、今はひたすら画面に向かう毎日なので、覚えておくと便利なことは何でも取り入れたいと考えますし、それを使う機会も増えています。

 Googleのオンラインアプリケーションの利用も増えました。いままで使わなかったものにも手を広げてみると、無料でできることが意外にも多いことが分かりました。またMicrosoftのオフィスソフトでないとできないことのありがたみも分かるようになっています。

 少々気になるのは読書量が増えていないことです。いろいろとやるうちに読書の時間がなくなってしまっているのは問題点です。週末は大雨になっているので晴耕雨読の実践をしたいと考えています。もっとも晴耕の方は自粛でできないのですが。

安心のもと

 リモートワークが進んでいる現状てはソーシャルディスタンスも致し方ありません。カタカナ語に惑わされているうちに私たちは大切なものを失いつつあるかもしれません。

 ウイルス感染予防のための密なる状態を避ける方策は予防医学的には有効であっても、生物としての人間のあり方とは大きくかけ離れています。集団で生き抜く戦略をとった人類にとって、根本的な行動様式を奪われたことは死活的問題といえます。

 インターネットという擬似的連帯を得る道具も、リアルでない以上様々な弊害を逃れることができません。大事なのは現実感、実態感のあるコミュニケーションです。ブロードキャストではなく、私だけに向けられた会話こそが失われた連帯を思い起こすきっかけになります。

 不安な時代の安心のもとは何かを考えていかなくてはならない。それがいまできることなのです。