自分という存在

 自分を調整することは難しい。私という存在が自分の中心にいるとは思いながら、どこか思い通りにならない。そうすると実は自分は誰かに操られているのではないかという疑問すら浮かぶ。自分の存在が社会や共同体によって規定されているという考え方は哲学の世界では長らく議論されている。実際、私という存在は社会の中である程度決められており、それを逸脱することは様々な苦難を生じる。世間の常識という言葉で納得する様々な決まりごとは、よく考えれば自分の存在をガチガチに縛り付けている。

 ならば好き勝手に生きるのがよいかといえばそうでもない。好き勝手といっても何をしていいのか実はよく分からない。束縛されず自由に生きるというのは聞こえはよいが、この表現の前提には束縛されているという現実がある。そもそも束縛されていなければ自由を感じることもできないし、そもそも束縛とは何かも分からないかもしれない。

 人間が社会的な生き物であることは誰もが理解している。ある種の動物のように、ほとんど個体で一生暮らし、たまたま巡り合った異性と交尾して子孫を残すだけに生きるといった一生をほとんどの人間は受け入れられない。私たちは集団の中で生き、その中で自分の存在を認められ、あるいはほかのだれかを評価するという繰り返しの中に生きがいを感じるのだ。ただ生きていればいいとか、死ぬまで一人だけで好きなことをするというのは空しい妄想であり、実際にそんな機会を与えられたら大抵の人は耐えられなくなる。

だから、自分という存在をどのように扱うのかは実はとても大きな問題なのだ。社会的に生きる選択をするならば、自分の所属する社会の利益にかなった行動をとることが求められる。それが個人の欲望と齟齬があったとしても枉げられない。人間の長い歴史の中で自分という存在がどのように考えられてきたのかを知ることは、今を生きる私たちの息苦しさを解消するきっかけになるのだ。

パークに通う理由

 テーマパークに行くと楽しいのはなぜか。それは好きなキャラクターなり、それらが織りなす架空の世界が実現されているかのように思わせるからなのだろう。明らかに実質より高価なイベントなりグッズなりを遠慮なく買いあさるのは、その世界への没入がなせる業だ。

 見方を変えれば現実社会はそうではないということである。自分の好きなもの、好ましいと思うものばかりがある訳ではなく、むしろその反対のものの方が多く、取り囲まれていると感じることが多い。その中で不本意に毎日を送り、わずかに許せるものを第2、第3の代替品として使っている。人間関係も現実社会のそれは決して心地よいものばかりではない。善意に囲まれた(ように見える)テーマパークの中の人々とはかなり異なる。

 日常生活に活気を取り戻すためにはどうすればいいのか。まずはこの世界をテーマパークのように考え直すというやり方がある。「人生」というテーマを実現したものであり、そこには仲間もいるがそれ以上にライバルも敵もいる。そのすべてが人生に深みを感じさせるためのスタッフなのである。という風に無理やり考えてしまうことである。こう考えられる人はおそらく人生に悩みを感じることはないのかもしれない。

 逆に自分の扱う範囲を実人生の中でも狭めてしまうという手もある。付き合いやすいものだけを取り上げて、それ以外は流す。選択的な処世術である。これは適度であれば推奨されるはずだ。誰とでも仲良く、価値観が乖離している人にも配慮するというのは理想だがかなり疲れる。場合によっては無理がある。だから、付き合い方に濃淡をつけて、濃い人たち、社会とのつながりを深め、薄い方はなるべく関わらないようにする。それで無駄な軋轢が生まれないのならいいのかもしれない。

 ただ、この濃淡論は一歩間違えば分断の素になる。気に食わないものとは付き合わない。それが自分の利益を損なう場合は対立し、場合によっては実力行使を行う。このやり方こそ現代社会そのものではないか。この後に続くより悲惨な結果が透けて見えるのは私だけではないだろう。

 テーマパークは収益という分かりやすい目的を持っている。プラスティックでできた100円ショップでも売ってそうなものを、その100倍近くで買っても満足してしまうのは、日常生活で満たされない何かを自分で出せるくらいの出費で一時的にでも解消できるからだ。家に帰りついてもそのグッズは一定の効果を持ち続ける。そのキャラクターなり、世界観を感じられる何かがある限り一種の幸福感があるのだ。金銭だけで何とかなるのなら、日常の不条理よりはるかにいい。

 人生をパークにしてしまう覚悟がない限り、商業的テーマパークの需要はなくならないのだろう。

落語の思い出

 落語は昔から好きだった。高校生の頃は寄席に行くことはできないので、NHKやTBSのラジオで放送されていた落語の番組をよく聞いた。それが始めであったせいか、いまでも音声のみで落語を味わうことが多い。

 大学生になって時間ができた私は、TBSの公開録音の応募にはがきを出して赤坂の放送局によく聞きに行った。その後は国立劇場の寄席に行き、新宿末広亭にも行った。その当時はほとんどが年配の客ばかりであったが、私のような学生風情も時折混じっていた。

 私が好きだったのがいわゆる古典落語だったこともあり、同じものを何度も聞くことが多かった。結末を知っていてもそこに至るまで展開が噺家によって違いがあり、その差異を楽しむのが面白かった。寄席の雰囲気も話の内容にかなり影響することも感じられた。

 落語は単純な所作がついても、ほとんどは話芸である。噺家が繰り出す話をじっくりと聞き、心の中で味わうということが、何よりも大事だ。様々な娯楽がある中で、落語の果たす役割は年々減退しているのかもしれないが、話だけで観客に喜怒哀楽の感情を引き起こすという話芸の理想を体現していることを称えたい。

送り火

 盆の送り火の日である。京都の五山の送り火は有名だが、先祖を死者の国に送り返すための行事は全国にある。新暦月遅れの場合は今日だが、旧暦の場合7月16日は新暦の9月8日にあたり、まだ先だ。先祖を送る行事はとても大切だったらしく、いろいろな形がある。

 日本の祖霊は歓待すべき対象と考えられる一方で祭りの終わりとともに帰還してもらわなくてはならない存在でもあった。祖霊がいる間は日常の生活はできないのだから、帰っていただかなくては困るのである。そこで盛大な見送り行事が行わる。送り火の巨大化もそうだが、あるいは祭りの際に使った祭器等を片付けることや、場合によっては破壊することを強調した儀礼もあるという。盂蘭盆会のみならず、神や祖先神を招来したときはその終わりにはっきりとした終了のための行動をする事例を見たことがある。

 ハレの日が終わり、再びケの日に戻るためにはそれなりのけじめが必要なのだろう。これは今日の私の生活にも言えるのかもしれない。生活の局面を変える時には何か大きなことを、目に見える形でしておかなくてはならないのだろう。毎日がお祭りのようになっているのが現代人の生活だが、一度冷静に戻るために浮ついた精神はどこかにお帰りいただく必要がある。

価値観は変わり果てる

 終戦の日のことを考えると、社会的な価値観は実に移ろいやすいということを考えさせられる。戦争をしていたころの日本の上層部はなんと愚かなのかと思い、庶民はそれに躍らせれて悲惨な毎日を過ごしていたというのが単純化した社会観であるが、本当はそんなに単純なものではない。日本が戦争をしなくてはならないと真剣に考えていた人たちにはそれが間違っていたとしてもそれなりの正義があり、それを支える世論というものがあったことを考えなくてはならない。

 戦前の日本が現在からみて異常であるのと同じように、おそらく80年後の日本に住む人々にとって21世紀前半の日本の社会は極めて奇妙に映るかもしれない。多くの人々を犠牲にした戦前の日本指導者を批判するのと同様に、現代社会の様々な問題を指摘して、自分たちの世代になぜこんなにも厄介なものを残したのかと不満に思うのかもしれない。

 毎日の生活にあくせくしているうちに、その問題点とか課題とかを見失い。大切なことを忘れてしまう。歴史から学べとはよく聞く話だが、何をどう学ぶのか分からないうちに時間が過ぎてしまう。その繰り返しが続いているのである。同世代の人々もすでにいろいろなことが分からなくなっている。我々の子孫も同じ繰り返しをしていくのだろうか。表層的な価値観は時代とともに変わり果てる。それを俯瞰するために必要なのはもっと深いところにある視点である。

戦争体験を語れない

 あすは終戦記念日である。戦後80年ということは、高齢者の中にも戦争を知らない世代がたくさんいらっしゃるということである。亡父は終戦時小学6年であったので、戦争の記憶は残っていたようだが、かろうじて記憶が残るのはやはり5~6歳になってからであろう。だから直接戦争の体験を語れる世代は90代に近いことになる。

 ニュースによると最新のVR技術を使って、戦争の一場面を疑似体験できる施設があるそうである。戦場の中や、爆弾の投下された町の悲惨な様子を映像や音声とともに体験できるそうだ。それを直接見たわけではないので評することはできないが、やはり生死の際に直面している場面と、仮想現実とでは全く異なるのだろう。それでも疑似的に戦闘するゲームよりははるかに有益であろう。

 私自身も戦争は資料の向こうの世界であり、本当のことは何も分かっていない。多くの戦争を扱った文学や映画などに接するとそのたびにその恐怖や、戦争を起こした者への憤りを感じるが、それも長続きしない。最近の政治家は私よりも若い世代も増えているが、彼らの中には兵器を自国の防衛のために増やすべきだとか、原爆を所有することが国防上は安上がりだなどといってその虚偽をまき散らかす者がある。本当に分かっていないのかもしれない。彼らは自分が戦場に行くことを全く想定していないのだから。

 戦争体験を語れないことは今後この国の行く末をかなり危ういものにするはずだ。この国を亡ぼすのは他国ではなく、自分たち自身なのかもしれないなどと考えてしまう。

駅の伝言板

 電車の車内の動画で伝言板を話の中心に置く話が毎日映写されている。男女のすれ違いを描く純愛ドラマの風で、音声がないのにもかかわらずひきつけられてしまう。ふと気づいたのだが、駅の改札付近にあった伝言板は最近はほとんど見かけない。どこに行ってしまったのだろうか。

 「シティーハンター」ではこの伝言板が話の発端として利用されていた。新宿駅にあったことになっている。いまは個々人の連絡は携帯電話などで連絡できるし、公共の看板ならいたずらや、プライバシーの問題も出てくる。だから、シティーハンターを呼び出すことも現在ではそう簡単にはできない。ソーシャルメディアに書いたならば、発信者の特定は黒板以上に正確にできてしまう。

 私自身が駅の伝言板を使ったのは一度だけだ。待ち合わせの相手が遅刻してきたときに、「先に行く」といった内容を書いたことある。たいてい私の方が遅刻していたので、伝言板を使う必要がなかった。いつ来るか分からない、途中で何かあったのかもしれない、そもそも約束自体を忘れているのかも。そういった疑問は今では相手へのメールで確認できるだろうが、昔はそうはいかなかった。それでもコミュニケーションは成り立っていたし、許しあえるゆとりはあった。

 駅に伝言板があった時代の方がもしかしたら豊かな人間関係があったのかもしれない。そんな幻想を思い浮かべてしまうのである。

ピークは過ぎても

 こんなこともできないのか。そういう叱責は幾度も受けてきた。できることのピークは人生のどこかにある。いまはやりたくてもできない。ただそれを認めたくないこら、無理をして結局敗北する。そんな悔しさを積み重ねた私のいま思うことを書いておこう。

 数年前、草野球に駆り出されて、自分の投げた球があまりにも相手の手前に落ちたことを嘆かしく思った。自分が思う身体能力と実際のそれとがはるかに乖離していると実感したのだ。小学生の時にソフトボールクラブに無理やり入れられて、外野手で、四番だった栄光がちらりと浮かぶが、体力の衰えはあまりに正直だ。

 ランニングでもそうだ。4、5年前までは何とか走れた。十数キロのジョギングを楽しむことができた。ほとんど何も装備せずにただ走るのが楽しみだった。それが時々膝に水が溜まることを言い訳にしてやめてしまった。いまは恐らく数キロでさえ走れない。やりたいと思っても、もしも故障したらという気持ちがまさってしまう。

 ピークは過ぎてもやれることは残っているのだろうか。むやみに走るのはいまのところやめておいた方がよさそうだ。変わりに何ができるだろう。例えば清掃ランニングはどうだろう。ジョギングコースに落ちているゴミを拾って持って帰る。ゴミがあるたびに休憩できるし、幾分かの社会貢献の気持ちも持てる。速く長く走れないならばこういうふうにシフトしてもいいのかもしれない。

 この歳になれば他人よりいい成績を求めるよりも、自分で満足できる何かをした方がいい。殆ど役には立たない状況でいまできる何かを探した方がよさそうだ。正直言っていまはかなり落ち込んでいる。やけくそになっているとも言える。ならば、その放埒を社会的にマイナスの方面に行かないように意識するのが肝要だろう。

 出し殻にもまだ使い道がある。そう思いたい。

銭湯の牛乳

北千住駅にて

 乗り換えで使う北千住駅にこのようなディスプレイがあった。銭湯の組合が利用促進のためにおいたもののようである。

 幼少期にこの街で暮らしていたのだが、小学校に上がる前のことなので記憶はかなり曖昧だ。限られた記憶の中に銭湯の記憶がある。父に連れられた時は男湯に、母の時は女湯に入ったはずだが、風呂そのものの記憶はまったくない。覚えているのは入浴後の牛乳である。瓶詰めで紙の蓋であった。いつも飲めるのではなく、何回かに1回の楽しみであった。それとのぼせそうになった脱衣所の湿気を何となく記憶している。

 その頃は風呂に入ること自体があまり好きではなかった。髪を無理やり掻きむしられ、湯を掛けられる間、息を止めているのも苦しかった。いま思えば何とももったいないことだ。そういう記憶があるということはこの当時、住んでいた家には風呂がなかったのかもしれない。それも記憶が朧げだ。

 当時お世話になった銭湯はまだあるのだろうか。いまはさまざまな付加価値がないとこの業界は厳しいと聞く。北千住に複数の銭湯が営業しているということは、この地域には需要があるのだろう。牛乳はまだあるのだろうか。

極端な雨

 極端な雨が降り出した。猛暑の数日の副産物のように激しい雨が降ったのだ。関東はまだそれでも久しぶりのまとまった雨というくらいの感想でいられるが、西日本や北陸でいわゆる線状降水帯が発生して被害が出ている。

 夏の通り雨は昔からあった。スコールのような豪雨もここ十数年では当たり前になった。加えてこの長時間の豪雨はなんなんだろう。

 世界各地で極端な天候が発生しているようだ。何かできることはないのだろうか。少なくとも利権争いのために自然を傷つけることは避けなくはなるまい。