昨日からまともに花粉症の症状が出ている。鼻水が止まらない。例年、こうなるときが数日あり、次第に治まる。どうしたらよかったのか思い出しているが分からない。
こういった問題は本当に深刻なときはあれこれ悩んでいろいろ考えるのだが、ピークを過ぎると急にどうでもよくなる。そのときのことを記録でもしておけばよいのだが、事態が収束したあとはそれが億劫にしか思えなくなってしまうのである。
今回こそは記録をしようと今は思っている。ひと山超えて同じ志を保てているかは分からない。
日々の思いを言葉にして
投稿者: Mitsuhiro
久しぶりに原宿駅前に行ったときにかつての駅前の風景がすでになくなっていたことに驚いた。神宮橋の前にあった原宿駅は少しレトロな駅舎と、その前に駅員が並んで切符にハサミを入れる特別な場所であった。近隣に住んでいた私にとっては通学のルーティンの一部であり、特別な外出のときにはその第一関門と言えるのが原宿駅の改札だった。
私と同じかそれ以上の世代ならご存知だろうが、当時の改札は駅員が切符にハサミを入れていた。その切り口によって時間帯などが区別されていたとも聞く。改札通過時に駅員にいかにハサミを入れやすく差し出すのかは当時の乗客の基本的な姿勢というべきものであり、誰も口にしなかったが、公衆の常識というべきものであった。
今、改札でハサミの跡を見る例はほとんどない。そもそも切符なるのものを買わず、電子取引で終わってしまうから、紙面の切符が存在しないから、それにハサミを入れるという物理的な行為が存在しないのである。だから若い世代にこの一連の行動を説明しても実感が伴わないだろう。
紙を使わず、乗客の動向をデジタルで把握できる現在の方式はさまざまな恩恵をもたらす画期的な技術に違いない。どれだけ労働時間を軽減し、労働条件を解消したのだろう。ただ、その手間減らしによって消えてしまった情緒の損失は計り知れない。駅の改札で響いていた改札の音は、ただの作業音以上のものであった。それがもう長い説明なしでは伝わらない。
昔に戻れとは思わない。昔の方がよかったとはまったく思えない。現在の方が昔よりはるかによい。ただ、失われたものが必ずしも合理性や効率性では計れないことも記しておきたかったのである。
東京の地理感は鉄道の路線で把握している。だから、実際に歩いてみると意外に遠かったり、逆にかなり近かったりするのだ。意外と起伏があったり、川が隔てていたり、歩いてみないと分からないことがある
初めてアイススケートをしたのは福岡のスケートリンクだった。年の離れた従兄が小学生の中学年だった私を連れていってくれたのだ。従兄は大学生だったと思う。
その頃は高度経済成長期で地方都市でも景気はよかったようだ。決して安くはない入場料と貸靴料を払うと、ほとんどがスケート初心者の危うい集団の仲間に入ることができた。ただ、そのなかには少数の中級者がおり、群衆の中を巧みに避けながらかなりのスピードで滑走していた。
私はスケート初日にして転倒し、顔に小さな傷を負ってしまった。従兄がひどく恐縮して親に報告したことを覚えている。親は笑うばかりで特に管理責任を問うこともなかった。私も従兄のせいだとは少しも思わなかったが、スケートは怖いものという先入観が完成してしまったのは事実だ。
その後、中学生になって東京で暮らすようになり、近くの代々木オリンピック体育館のリンクで何度かスケートをしたことがある。相変わらずよく滑れなかったが、転倒することはなく、周回くらいはできるようになった。
私にとってはスケートは決して日常とはなり得ない特別な行いなのである。それがときとしてとてつもない憧憬としてあるいは辿り着けない幻想として浮かんでくるのである。
その後、日本にもフィギュアスケートで活躍する人が出たり、スピードスケートでも日本人選手が活躍することがあってスケートへの関心は高まったが、私にとってはスケートは冬のある時期のさらに極めて偶然の動機によるものだった。
私にとってのスケートの思い出はかくして極めて断片的で非論理的な何かの塊だった。
教育改革についてさまざまな意見がある。その中で私が重視したいのが学習者の情に訴える方法である。これは両刃の剣であり、扇情的な手法はしばしば悲劇を生み出してきた。でも、人の心を動かし、未知の能力を引き出すにはこの方法が一番優れている。
最近の教育環境は過酷である。世の中にの役に立つと考えられることはすぐに舞台の中央に引き出され、その関係者は少しだけ優位な世界を展開できるものの、その栄華はとても短く、新たな別の思いつきにその座を奪われる。知識は検索して借用するものに位置づけられて、獲得の途中の経緯は軽視されているから、知ることそのものへの喜びは得にくい。苦労しない分、忘れるのも早い。忘れてもまた検索すればいい、なんなら人工知能に自動化させればいいと考えてしまう。
そういう風潮にあってやらなくてはならないのは、知ることの喜びなり、苦しみなりの手応えを目に見える形にすることなのだろう。教育現場はそれを実演し、実行させる場所であるべきなのだ。決まった答えを決まったやり方で行うことをよしとするやり方は少し整理しなくてはならない。要領よくやることの前には自力で何とかやってみる経験が欠かせない。
日本人が嫌いなことの一つにルール変更がある。自分のチームが不利だと分かるとルールそのものを変えてくる。ここがゴールですよと決めてそれを目指してきたのに、うまくゴールに入れられるようになったあとで、やはりゴールはここじゃなかったんですと急に変えてくるのだ。これは理解しがたい。
ただ、国際社会においてはこれは当たり前らしい。ルール自体は全員に公平です。ただ今のルールでは特定のチームに有利なので変えます。という論理だ。既存のルールに特化してそれを追究してゆく我が国の気質は、突然のルール変更に何度も苦汁を飲まされている。
スポーツの世界ならば何とか我慢できるが経済の表舞台でそれを殺られるとダメージが大きい。結局、ルールメーカーにならなくてはならないということなのだろう。今の日本にそのようなチャンスは限られているが、もしかしたらやらなくてはならないのかもしれない。コンピューターのOSトロンを気前よく開放したり、カラオケの特許を申請しない国民性がどこまで現実的になれるのかは甚だ疑問ではあるけれども。
東急の電車には監視カメラが付いている。出口前の照明の一つにカメラがあるのは周知の事実であり、緑色のランプが点いて稼働中であることを知らせている。車内で起こるさまざまなトラブルを抑止するためにも必要だと思う。
ただ、私たちの日常は以前よりはるかに監視されていることを自覚しなくてはならない。商店や個人宅に設置された録画機能付監視カメラに加えて、自動車に搭載されたカメラも日常を記録し続けている。かつてはどんなに録画しても、それを解析するのに時間がかかるので無意味と言われていたが、人工知能の機能を活用すれば驚くべき短時間で記録の検索が可能になっている。
時間は流れ、そして消えてゆくものであったはずなのに、それが記録され蓄積され、ときに目的に応じて再生される。何とも窮屈な時代になったものだ。私は今だけに生きたいが、過去をむしかえされる恐怖に常に怯えなくてはならないのだから。
さしたる悪事も善行も積んでいない身でかような心配は杞憂であると言われそうだが、いわゆるパノプティコン社会で暮らす身の生きづらさは、微かながらも確実に我が身に迫ってくるのである。