投稿者: Mitsuhiro

何もしない店員

 先日、レジの前で不満を述べている年配の方がいらっしゃった。この店は何もしてくれないのか。嘆きと怒りの混ざった感情でつぶやいたことばは近くの人に確実に聞こえていた。

 日本最大手のコンビニエンスストアチェーンのセブンイレブンジャパンは、店舗のレジの無人化を進めていいる。品物をレジに持っていくと、商品のバーコード読み取りはやってくれるが、支払い方法の選択から入金、生産などは客側が操作するように機械が客側を向いている。レジ袋を断ると商品の袋詰までも客がやらねばならず、年配男性の怒りと嘆きとが生じるという訳である。

 ウイルス感染予防の対策という大義名分もあって、この流れは今後拡大するであろう。店員がやる仕事が減るのは合理的なのかもしれない。ただ失うものも多いはずだ。各店舗が個性を出さなければ完全に等閑視されることになる。いつ生まれ消えても何の印象にも残らない商店はおそらく長続きはしないだろう。

 時代の流れの中でも失ってはならない要素がある。もてなす面倒な作業を止めたとき、深刻な後悔が始まるのではないだろうか。

身体ならし

 今日は夏の日差しが降り注いでいる。気温も上がっている。酷暑とまではいかないが体調に影響を及ぼす暑さだ。いつもならば当たり前のことなのだが、今年は少し事情がちがう。

 マスクを着けたまま外を歩くのはやはりつらい。息苦しさはもちろんだが、口から発散される体温がうまく放出できない気がする。科学的に合っているのかどうかは分からないが。通り過ぎた婦人が連れた飼い犬の息がいつもより荒そうにみえるのは気のせいだろうか。

 冷房のもとに逃げ込むのも手だが、少し体を慣らしていかなくてはならないと思い、散歩をしてみた。周りに人がいないときはマスクを外して歩くべきだと考えながら、結局つけたままだった。ならしはこれからも続けなくてはなるまい。

8月

 日本では8月は夏のイメージそのものだ。学生、生徒諸君の大半は夏休みである。ところが今年は少し異なる。

 教員である私にとっては8月は充電の月となる。授業がない分、心身ともに余裕がある。合宿引率などの全日勤務の例外はあるが、通常勤務で疲弊した身体と心を癒すことは可能だ。

 ただ、今年は少し異なる。コロナウイルスで学校を閉じた分、夏に取り戻そうという目的から休みが減っている。部活動合宿はなくなったが、感染予防の上での活動が求められる。監督義務もある。

 色々変則的な8月をどう乗り切るか。当面の課題だ。

間もなく梅雨明け

 どうやら長い梅雨も終わりが見えてきたようだ。西日本の一部では梅雨前線の長期的影響は終わったと認定されたようだ。私の住む東京は今日も曇天で、時折雨粒を感じる。

 梅雨が明けると猛暑が続くのがこの地域のさだめだ。最近は酷暑という言葉も刺激が薄れつつある。マスク着用の上、過酷な高温が続けばコロナウイルスよりも強力な影響を与える。

 マスクの付け方について専門家は分かりやすく説明してほしい。ただつけなさいでは別の被害も発生する。

やる気を喚起

 教員の評価の仕方は決して一様ではない。人間の評価を一つのものさしで測れないのと同様に、教員の評価も多角的に行われるべきだ。最近は何でも経済的効率性に換算してそれが正しいかのようにいう向きもあるが、それはその尺度をもってしても間違いといえる。そう信じている人は経済的効率性がない人そのものだ。

 教員の評価の方法の一つに、相手をやる気にさせる力がある。これは特に中等教育の段階では必要なスキルとなる。というと再びあるイメージをもとに尺度を設定するかもしれない。しかし、話はそうかんたんではない。人のやる気を喚起する方法は決して一つではないし、個々人に向いた、向かないやり方がある。それを知り対処できるのが教員の技能の一つだ。

 これは数値化し難い。それゆえに評価基準から外されている。しかし、これこそがこれからの教員に求められる能力の一つなのだ。

感染拡大と自然災害

 なかなか明けない梅雨空の下で、コロナウイルス感染者は急速に増えている。我が国ではPCR検査を積極的に行ってこなかったが、最近はこれを各自治体が実施しているために増えている。大半が無症状か軽症者というが、詳しいことは分からない。現状では社会的混乱は起きていないが、このままの状況が続くならば再び生活上の活動制限が行われる可能性が上がる。

 加えて豪雨による災害が各地で起きている。今日は山形県の最上川流域の氾濫による水害が発生している。映像ニュースによるとかなり大きな被害が起きていているようだ。日本は河川の多い国土で様々な恩恵を受けている反面、災害時には深刻な局面をもたらす。病魔と天災の二重の影響は非常に大きな問題だ。

 私たちは冷静にこの難局を切り抜けていかなくてはならない。

明けない梅雨はない

 まだ梅雨空が続いている。先日は強い日差しが降り注いだが、夕刻には梅雨空に逆戻りした。どうも今年の梅雨は長引くらしい。

 止まない雨はないという格言がある。ならば明けない梅雨はないと応用できるはずだ。ところが過去の記録を調べると気象庁がいわゆる梅雨明け宣言を出さなかった夏がある。記録的な冷夏で大混乱した。直近では2017年がそうであった。そして農業に打撃を与えた2003年の例がある。明けないこともある。

 暑さに多くの人が適応できていない現状では、猛暑まで時間稼ぎをしていることを良しとする考え方もできる。ただ、何事も例年通りでないのは不安である。

ものの捉え方

 私たちが周囲の世界を見てそれを評価する際には、必ず基準となるものが存在する。よほどのことがない限り、その評価は相対的であり、過去の経験に基づいている。

 例えば、自分の故郷や長く生活した場所はその基準の基礎を形成する。自分が使う方言は考え方の根本に影響する。何を基準とするのかはかなりの重要なことである。

 もちろんそれは評価の高い場所で暮らすことが問題ではない。むしろ劣悪な環境ゆえに理想を高く保てることもある。要するに己を知ることが大切だということになる。

曇天続く

 東京はまだ梅雨空が続いている。ほとんど日がささない。涼しいのはよいがまるで調子が出ない。

 暑い日々がよくないことは分かっている。場合によっては命さえ奪う猛暑はお断りだ。しかし、やはり夏は陽射しがなければ調子が出ない。

 ただ、この後急に気温が上がると健康被害が多数出るかもしれないと言われている。自宅待機で身体の順応ができていない人が多いこらだという。私もその一人だ。

 適度に日が差し、気温が上がればよいなどと勝手なことを考えている。思えば私たちは実にわずかな幅の環境で生きているものである。