季語としての五月晴れは旧暦5月の梅雨の晴れ間のことをいう。太陽暦になって一月前倒しになり、初夏の陽光を指すようになった。だから、5月の晴天は厳密には五月晴れではない。
ただし、今日の晴れた一日はその名に値する。ここ数日の走り梅雨で湿った空気に光を与えているからだ。気温が高くなりすぎるのは困りものだが。
知らない間に紫陽花も花を揃えてきている。額の花もいい。まもなく正真正銘の入梅となる。この暑さは貴重かもしれない。
日々の思いを言葉にして
投稿者: Mitsuhiro
季語としての五月晴れは旧暦5月の梅雨の晴れ間のことをいう。太陽暦になって一月前倒しになり、初夏の陽光を指すようになった。だから、5月の晴天は厳密には五月晴れではない。
ただし、今日の晴れた一日はその名に値する。ここ数日の走り梅雨で湿った空気に光を与えているからだ。気温が高くなりすぎるのは困りものだが。
知らない間に紫陽花も花を揃えてきている。額の花もいい。まもなく正真正銘の入梅となる。この暑さは貴重かもしれない。
検索するのにも高度な方法があるようだ。知っている人には当たり前のことなのだろうが、私を含めて多くの人は知らない。どんなことにもその道の先達がいるものだ。
ネットの普及で情報を探すことは誰にでもできるもののような錯覚が生まれている。実は精査することなく最初に見つかった項目を正解と思い込んでいることが多い。これが積み重なると大きな誤解が形成されていくことになる。虚像が見えると、そこにさらなる装飾が施され、本物そっくりの贋物が完成する。
考え方の根本から間違っていれば修正は困難になる。適切な考え方を学ぶべきなのだろう。それを教えるのが学校であり家庭であり、社会であるはずなのだ。安易に答えだけを求めることは百害しかない。
関東はどう見ても入梅している。ただし、気象庁の判断では走りと認定されているようだ。確かに梅雨入り宣言を出したあとに長い晴天期間があったこともあるので難しい。
気象は連続的なものであり、季節の切れ目があるわけではない。あくまでも人為的に分節しているに過ぎない。春はいつからいつまでというのは暦というものさしに当てはめたもので実態とは異なる。
梅雨が季節なのかどうかも議論されるべきだ。四季という区分では梅雨はその下位区分だ。だが、生活にもたらす影響からすればもっと大きな存在でもある。
時間をどう捉えるのかは恣意的であることを梅雨入り宣言の季節にはいつも考えさせられる。
国際問題に関して今の日本人は切羽詰まっている気がする。日本は東洋の辺境地帯で資源のない島国であるという現実をどこかに忘れてしまったのではないか。この国が繁栄するための最低限条件は他国、他地域との共生だ。それが近年の経済的成長でわからなくなってしまっているとしか言いようがない。
日本が先進国に序せられるのは偶然の積み重ねに過ぎない。私達の先祖もそれを望んでいたわけではない。むしろ毎日を平穏に過ごすことだけを願っていたに過ぎないのであり、他国より有利に過ごそうなどという野望は持っていなかったはずだ。それが明治維新を経過し、戦争の勝利と敗北、経済的な成長ですっかり分からなくなっている。私達がはじめから優秀な国民であるかのようなプロパガンダをすんなりと受け入れてしまう思考停止が今の日本人の現状だ。
私は国としての誇りを捨てることは好まない。しかし、誇りある国は他の国にも誇りがあることはわかるはずなのだ。それがどうも隣国を見下したり、無条件に自国が優れていると考えることが蔓延しているようで仕方がない。私はその意味で愛国心を育てることには意味があると考えている。それが自国優先主義にならないことを注意深く見守ることが必要であることは自覚している。
相変わらずの曇天続きだ。傘は折りたたみにしたが帰宅時に後悔するかもしれない。
通勤の道に樟が並んでいる。比較的若い気なのだろうが幹にはすでに風格が出始めている。常緑樹も芽吹きはあり落葉もする。今は若葉の揃う頃だ。
見てみると赤みがかっている。光沢のある葉は強い生命力を感じさせる。これを糧にしのいでいくことにする。
まだ紫陽花の花が咲いていないというのに、このところ小雨が降る日が続いている。気象庁の見解は分からないが東京も数日前から入梅していたといえる。
曇天は心を重たくするが、生き物にとっては利益も多い。そのことを思えばむしろ喜ぶべきなのだ。禍福はあざなえるもの。
炎天下を歩くよりよほど惠まれているのだと思えば、紫陽花の咲くのを余裕を持って待てる。
ようやく新型コロナウイルスに対するワクチン接種が本格化したようだ。駅頭に接種会場への道案内が出るようになった。ただ、地域や年齢が限定されており、集団免疫形成の道のりは遠い。
ワクチン接種による効果については今のところ有効性の方が報道されている。副作用もあるが1年以上の忍耐生活から抜け出したいという思いは多くの人を会場へ運ぶだろう。
少し気になるのは摂取の資格に関する格差である。住居や年齢、発言力などによる差がつかないことを祈りたい。
ここ数日すぐれない天候が続いている。西日本ではすでに梅雨入り宣言があったらしい。かなり早い。
関東もこのままだと入梅と判定されそうだ。マスクをつけた2度目の梅雨も気持ちのよいものになりそうもない。顔の皮膚のトラブルが少しずつ出ている。これも気がかりだ。
夏の装いに切り替えたみなさんもいるが暫くは悩みどきだ。寒暖の変化もある。体調管理が一層求められる。
飲食をはじめとするサービス業界の苦境は察するに余りある。おそらくここまで長く時短要請がでることは想定していなかっただろう。とにかく頑張ってほしいというしかない。
同情を禁じ得ないうえでのやや酷ないいかもしれないが、最近接客力が衰えている気がしてならない。マニュアルどおりのことしかできないとはずいぶん前からの批判だが、それがこのコロナ騒ぎで追い打ちがかかってしまった。
接客は経験の中から磨かれる力であるからいまはその意味で危機的な状況であるともいえる。ぜひ日本のおもてなしが絶滅しないことを祈りたい。
思い立ってある資格を取るための準備をはじめようと考えている。この歳になって資格などほとんど意味などないはずだ。だが、実益よりも自己啓発の具として使いたい。
資格認定とは用意された知識やスキルを修得することにあり、吸収型の学習だ、これはこれまで長年身につけてきた方法である。ただ記憶力は着実に低下しているからそれは学習量で補う必要がある。
年寄りの冷や水に過ぎないがやってみることに意味がある。