吉川英治の三国志を読み直している。中国の古典文学の定番であり、事実というよりは歴史の型に沿った創作と言える。他の中国史にも言えるがその魅力は多彩な人物伝にある。この手法は東アジア全体に影響を与え、我が国の歴史物語や軍記物語、後世の奇人伝と称される諸作品への影響も大きい。
敢えてその特徴をいうなら、登場する人物の造形が濃く大胆で、しかも去るときはあっさりしている。ものすごい個性の持ち主として登場しながら、場面が変わるとあっけなく退場し、その後に関わることが保証されない。多くはその場だけの役割を演じ、消えてゆく。
この手法には慣れているはずなのに、例えば中国制作の時代劇を観ると痛快感の後に、何か不自然なものが残る。こんなに人物描写を軽く扱っていいのか。先ほどまで景色の最前景にいたのに、急にいなくなるのはおかしくはないか、などと。
私は世界をマクロな視点で捉えることが苦手だ。自身の立場や、自分に近い他者に自己の感情を投影して、世界を見ようとする。極めて主観的自己都合的な世界観である。そういう私にとっては漢文なり中国古典文学、及びその手法を現代化した諸作品はどこか違和感がある。その違和感を含めて味わうというのが私の玩味の方法なのである。
現代の多量ながら希薄な人間関係の環境にあって、個が立つ中国史伝のあり方はそれ故に受けるのかもしれない。

他の本も読みながら、並行して司馬遼太郎を読んでいます。
勝海舟にしろ、坂本龍馬にしろ、司馬遼太郎さんの書く人物と情景が好きです。すっごくエネルギー貰えます!