月: 2023年7月

叙景

 風景を描くことは実は難しい。見たままを描くというのは実は幾分かの虚構が挟まれている。見たままを描くことはできない。必ず見た人の解釈を通して映像は結ばれる。そのことを実感できるのは風景画の歴史を知ることにある。風景画の大半は画家に切り取られる時点で多分に虚構性を含んでいる。いかにもその景らしい何かを描こうとする動機が含まれているからだ。

 風景のほとんどには実際には意味はない。そこに意味を見出そうとするのが人間の営みなのだ。画家の場合、自分が見たものを、つまり意味を見出したものを表現することができる。しかし、画力のないものにはそれは難しい。

 風景画が自分が何を見たのか、何に意味を感じたのかの告白だと思えば面白い。これは文学にもそのままあてはまる。

大暑

 二十四節気の大暑である。節気は大抵の場合、日本の気候とずれているが大暑だけは言い得ている。そして今更言われたくない。

 暦上は夏の終わりが大暑であり、次は立秋になる。実際には恐ろしい残暑が待っているのだが、昔の人は暑さの中に秋を感じ取った。連日続く酷暑の中にも秋の種がやどり、すでに芽を出しているものもあるのかもしれない。

 この時期に鰻を食べる習慣は万葉時代に遡るかもしれないが、実際に大衆の文化になったのは江戸時代であるという。昔は何をおいても食べたい好物の一つだったが、最近はそこまで思わない。これも馬齢を重ねたためであろうか。それよりも冷や麦の方が数段魅力的だ。食生活に関しては安上がりになりつつある。

創作の扉

 私には創作者としての才能はほぼ皆無だが、それでも様々なアイデアが浮かぶときがある。これを逃さなければ作品ができるのではないか。例によってポジティブシンキングの練習である。

 私が学生時代から考えて来たのは現実を少し離れた架空の世界の描写である。もしこうだったらどうなるのか。それを言語化することで現実を考え直すような作品を書いてきた。例えばもし不慮の事故にあいその結果なぜか特殊能力を身に着けたならという仮定は何度もして来た。

 恐らく私の考えるようなことはすでに先行例があり、その中の一部は作品化されている。それを知ると先に発表しておけばよかったなどと無意味な負け惜しみをしたりする。形にしなくては芸術は完成しないのだ。

 馬齢を重ねたが創作者となることの夢は捨てないでおく。それが私にとって生き甲斐になるのなら、妄想は持ち続けるべきなのだ。

解説をしてもらう

 授業では解説をすることが大切だと考えてきた。少し考え方を変えよう。解説部分を考えてもらうことが学習法としてはいいのではないか。

 これまでの流れは、テスト、答え合わせ、他人が書いた解説を読む。試験の直し、の順だった。これを、テスト、答えの提示、その答えになぜなるのかの解説作成の順にすることで、より理解が進むのではと考えてみた。

 そして最終的にはテストも学習者が作るようになれば理解度は上がる。何を聞かれるのかが分かればテストのシステム自体をメタ認知できる。解説をしてもらうことはその一歩であり、やるべきことなのだろう。

忍耐力は若者に必要なスキル

 最近の若者は話をよく聞かないと言って嘆く人がいる。まず自分の話が面白くないことを反省すべきではないか。根本的な思い違いをしている年配者に反省を促したい。

 最近の若者を取り巻く環境を考えると、巧みな話術や話題の豊富さに溢れている。そこにつまらない話をして聞く態度がなっていないと嘆くのはいかがだろう。まず話し手としての自分の能力が衰えていることを省みるべきだ。

 若者をコンテンツづけにしておきながら、自分の話を聞かないということは大きな自己矛盾だ。相手がグレードアップした分、自分もそれ以上を目指さなくてはならない。そのことを忘れているいい大人はやがてより悲しい結末を見ることになるだろう。

いいお知らせと悪いお知らせ

 読書感想文の宿題が出てうんざりしている皆さんにいいお知らせがある。みんなの苦労をもしかしたら数分で肩代わりしてくれる便利なものがある。ChatGPTというサービスを使おう。例えば「私は中学2年です。『坊っちゃん』の読書感想文を800字くらいで書いて」と入力すればすぐさま、それらしい文章が画面に現れる。それを写せばいい。文章自体は自然なので先生も気づかないかもしれない。

 悪いお知らせもある。こうやって作った文章は内容が間違っていることがある。いもしない人物が出てきたり、ストーリーが違ったりするかもしれない。君の先生がきちんと文章を点検するまじめな先生ならば、そして先生も小説を読んだことがあるならば、その矛盾に気づき、君の悪だくみを見破ることになる。きっとものすごく怒られることになる。

 もっと悪いお知らせもある。宿題を出せたとしてもあなた自身の文章力は一向に上がらない。文章が書けない人は読解も苦手だろう。結果としてあなたは文章が苦手な人になり、文章が上手な人たちに将来丸めこまれることになるだろう。色々な不利な条件を巧みに突きつけられるがあなたはそれに気づかない。そんなことは許さないと叫んでも遅い。彼らは言うだろう。説明はしましたよ。文書でもお渡ししました。あなたのサインもあります。お読みいただきましたか。あなたは心のなかでこういうことになる。読んでもさっぱり分からなかったんだと。

 便利なものができると失うものもある。車ができて人々は歩く力を失った。交通事故で命さえ奪われている。作文を書く機械はあなたから大切な未来を奪うかもしれない。

暑さ疲れ

 今日は僅かに気温が下がるようだ。それでも真夏日にはなるようだが、これまでの猛烈な暑さを経験した後なら十分に涼感がある。避暑地に来たかのように感じてしまう。

 このように暑さが和らぐとかえって疲れを感じる。これまでの疲労がようやく表面化したのだろう。猛暑のなかで耐えてきたときには感じられなかった疲れである。

 こういう日は何事も短期決戦のつもりで取り組もう。疲労感を感じる前に終わらせてしまえるようにしなくてはなるまい。

宿題のことなど

 夏休みの宿題には色々な思い出があるが、残念ながら細かいことは忘れてしまった。計画的にやればいいものを結局8月の終わりにまとめてやることになって焦り、家族にも叱られたことしか覚えていない。

 宿題は実は何でもいいのだが、形にして残すことが大切だと考える。できれば自ら課題を見つけ、それに対して何らかの考察をし、一定の結論を得ることが夏の宿題にとっては大切だと思う。私は一時期自分が調べたことをもとに自説をまとめることを仕事にしていたので、夏はそれを行う大切な時期だった。最近はそれをすっかり忘れて与えられた仕事をこなすことばかりしている。そこで今夏は自分に宿題を課すことにした。

 まずは自分と同じような仕事をしている人に向けて自分の経験をもとにした助言をまとめてみようと考えている。役に立つかどうかは今考えずにおこう。それが今の自分を見直すことにもつながるかもしれない。それをかならず、文章にまとめることを宿題にしたい。宿題だから期限があり、完成度が低くても提出しなくてはならない。それを8月末日としてみよう。

 宿題をやらなくてはならないと思うと気が重いが、同時に若い頃の焦燥や達成感が戻ってくると思えば楽しみな感じもする。

自動運転車

 現在の日本が必要としているのは自動運転車であることに間違いはない。高齢者の引き起こす悲惨な事故は運動機能の低下がもたらしている。運転は無理になる年齢が来てしまうのは残念ながら不可避である。

 ならば車に自動運転してもらうしかない。その技術はすでに実用化されつつある。日本は規制が厳密なので公道での自動運転は実現化しにくい。しかし、そうは言っていられなくなっている。各国が自動運転車両の開発に力を入れており、このままでは日本の技術が遅れをとり、外国が規定したモノサシに従わざるを得なくなる。

 自動運転車が山村を走るようになったとき、地方の風景は少し変わるかもしれない。運転者はいないがとても安全なバスが街まで連れて行ってくれる。買い物も病院も思うがままだとなれば、どうして都会に住む必要があるだろうか?

 やはり日本が求めているのは自動運転車だということになる。

収まらず

 猛暑は一旦収まるとの予報だが、朝からかなり気温が高く、最高気温が34℃になる予報が出ている。予報が変わったのか。

 あるいは昨日までのような強烈な猛暑が一旦終わり、普通の猛暑になったということなのだろうか。ならばその下には普通の真夏日がある。どうもこのように暑さの基準が狂ってしまったようだ。

 個人的には冷感シートに助けられている。身体を拭くだけで体感がかなり変わる。数百円の投資で暑さに立ち向かえるならば、やるしかないと考えている。