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景をもって

 風景を歌うことで心情を表すのは俳句などでは基本の考え方だが、それ以外のジャンルにおいても、あるいはいわゆる文学的な表現が要求される場面ではなくてもそういう感性は大切だと考える。

 これには喜怒哀楽や人情の機微を景から感じ取る力が必要になる。それには感性のアンテナを高くして、いろいろな経験を積むことが必要だ。優れた叙景詩や風景画をなす人たちがしばしば高齢であったり、若くとも特殊な経験を持っていたりするのはそうしたものの見方が培われてきた結果なのだろう。

 景をもって情を写す。古来から言われてきた境地をほんの少し分かりかけてきた気がする。

梅花早くも

 町田市の薬師池公園への観梅は毎年の習慣になっている。最近、梅の咲く時期が早まっており、ある年などはほとんど散ってしまっていたが、今年は間に合った。あと少しで満開という樹もある。白梅、紅梅、さらには蝋梅まで揃っており、多くの人達が楽しんでいた。

 梅に鶯は叶わなかったが、メジロが止まるのを見た。いわゆるうぐいす色をした小鳥である。この公園までは町田駅からバスが出ているが、自家用車がないとちょっと不便な場所にある。でも、それ故に適度に人が少なく、梅を楽しむのにはよい。駐車場はあるので、車があるなら近隣の四季彩の杜の商業施設や、少し先の野津田公園などを巡るのもいい。バラ園がある。ただJ1リーグ開催日は避けたほうがいい。

 梅は万葉集の世界では中国を感じさせる花であり、異国情緒を感じさせる何かがあったようだ。その後、日本の文化に定着して様々な形で享受されている。いまは公園で見られるがかつては貴族の庭にしかなかったのかもしれない。

イルミネーション

 各地でイルミネーションのサービスが行われている。コロナ禍の期間は自粛ぎみであったものが今年は解禁されたのでその分華やかになったのだろうか。

 エネルギー問題という観点から考えると、イルミネーションはほどほどにした方がいいとも思う。つけっぱなしは止めた方がいいのかもしれない。

久しぶりの散歩

 今日から休暇に入った。朝、ちょっとした散歩に出かけることにした。かつてはジョギングをしていた境川の川べりを歩くことにした。かなり気温が上がっているがジョガーや自転車を走らせる人と何人も出会った。

 境川はその名の通り、東京と神奈川の境を流れる小河川である。護岸工事が施されほとんど天然の河原は存在しない。そのかわり人が近づけない動物の聖地になっているともいえる。今日はアオサギがゆっくりと歩いているの見た。この川には他にもカモなどの水鳥がよくみられる。鶺鴒やカワセミといった小鳥もよく見かける。

 短い夏休みの体力維持のためにこの川の風景を何度か見に来ることなるだろう。

境川

違う風景をみること

 外出が歓迎されない日々が続いている。政府は観光推進で国内産業を回そうとしているようだが、現状では国民の理解は得られそうもない。

 経済の問題とは別に精神衛生の問題として、外出ができないことは大きな問題がある。普段見ない風景を観ることから得られるインスピレーションが生じないことだ。決して絶景である必要はない。日常の時間には遭遇しない環境に身を置くとこが大切なのだ。

 いつになったらこの自由が謳歌できるようになるのか。私たちの眼前にある現実はあまりに厳しい。せめて細かい観察眼と想像力を鍛える日々としたいと思う。

もとの風景

 東京の最盛期はすでに過ぎているのかもしれませんが、都市としての新陳代謝は継続しています。方丈記の言を引くまでもなく大家は小家となり、再びそこにビルが建ち、道路になります。

 私が移り住んだ街もすでに過去の風景が思い出せなくなるほど変貌しています。ここにはかつてあれがあったと覚えているうちはまだしも、そのうち過去のことなど全く浮かばなくなるのでしょう。思えば私が当地に来たころはすでに大きな変化は始まっていたようであり、さらに過去に遡ればまったく違う風景が広がっていたはずです。

 私たちは現在にしか生きられないので、現実を受け入れるしかありません。ただ、わずかに残った過去の風景から学ぶことは大きい。その姿に思いを馳せることで、未来のいつかに誰かが至る感慨を予想することはできそうな気がします。

耕し

 都会に住んでいると忘れてしまう風景があります。この時期に田畑を耕す耕運機の往復があったことを思い出しました。

 耕しは耕作地に空気を混ぜ込む大切な作業です。土の香りが立ち上がり、どこからか現れた鳥たちが虫を狙って歩き回ります。その上を通る風はなぜか趣きが違って感じられ、季節の歩みを体感するのです。

 私たちは土から離れた生活に慣れてしまいました。しかし完全には生活から切り離すことはできない。田畑を見たときに突如現れる感情はその証です。

朝日の影

 朝日の影が伸びて見えることに気づきました。冬が近いことを実感します。

 職場に向かう道は東に進むために、朝日を正面に受けます。恐らく夏はすでに上った太陽の下を歩くので気にならなかったのでしょう。日の出の方向も変わったせいなのか最近はかなり眩しく目が開けていられないほどです。

 さらに前を歩く人の影が長く後方に伸びていることに気づきました。夕陽を見る時に見た風景が朝にもあったのです。当たり前ですが季節ならではの発見です。