今朝はまとまった雨になっている。そのせいもあって気温は低く久しぶりに普通の朝を迎えた気がしている。
このところの台風の連続発生は日本の南海上の海水温が高くなっていることと関係があるらしい。気象学的にはかなり高めだと聞く。過去には9月に大きな台風が上陸して被害をもたらしたことが多い。これからどのような天災が訪れるのか危惧される。
露出する空間についてはシンプルにまた防災の工夫を施すことが必要だ。植木鉢が飛ばない工夫くらいしか私にはできないが。
日々の思いを言葉にして
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マウイ島の山火事の被害の甚大さが連日報道されている。そして問題視されているのがサイレンが鳴らなかったのではないかという疑問である。昨日の報道ではサイレンを鳴らすと津波と思って人々が山の方向に避難してしまうと懸念されたからという当局の釈明があったということだ。事実かどうかは分からない。
非常時のネットが使い物にならないことは先の東日本大震災で経験した。一部のソーシャルメディアは生き残ったが電話やメールは機能しなかった。だから原始的だがサイレンは大事だ。音声で火事だと放送しても分からないこともある。パニック状況では聞き取りにくくなる。
解決策としては津波と山火事の警報音か鳴らし方のリズムを変えることが考えられる。そして、それぞれが何を意味するのかを繰り返し定期的に広告することだ。これは日本でも早急にやらなくてはならない。
被害を少なくするためには初動が大事だ。そのためにはハイテク以外の方法論も確立させておく必要がある。
台風の影響で今週は荒れる天気となりそうだ。沖縄県は台風の直接の影響を受ける。本州はこの台風がエネルギーを供給する形になる梅雨前線が長く強い雨を降らせそうだ。
週間予報では関東は金曜日に大雨となっている。台風の速度が遅く、その影響が長期にわたって続きそうなのが不安である。今回は暴風よりも豪雨に注意すべきだと考える。
都会に住んでいると、河川の氾濫はあまり話題には上らない。過去には一級河川の氾濫により大被害が出たこともあるので油断はできない。それよりも深刻なのは、地下階への雨水の侵入をいかに食い止めるのかであろう。過去に浸水の経験のあるところには土嚢が用意されているところもある。蟻の一穴の比喩のごとく、こまめの手当てが求められるので関係者には点検をお願いしたい。
荒天時は無理をしないさせないことも防災の基本だ。勇気をもって防災情報を発信してほしい。
昨日、能登半島の珠洲市で起きた局所的な地震は、ここ数年群発しており心配だ。普通の地震とはメカニズムが異なると言われている。
京都大学の研究チームなどの報告によれば、資源地近くの地中に、かなり深い地層から上昇した水塊があり、これが地盤を不安定にしているのだという。直接の要因がマグマではなく、その影響で地中を移動する水にあるという仮説である。
確かに能登の先端地域は、これまでの地震のときも独特な現象を見せていた。震源地が遠い地震でも、周囲に比較して珠洲市だけ震度が大きいということが何度もある。揺れやすい地盤であるとなれば説明可能だ。
この仮説が正しいならば地震を止める手はない。将来の災害に備え、耐震免震構造の建造物を建てるようにすれば懸念は少し減る。日本国中どこでも同じだが特にこの地域は配慮すべきなのだろう。またライフラインの確保をいかにするのかも考えるべきだ。
能登について考えれば他の地域の防災にもきっと役立つだろう。
東日本大震災から11年経った。ついこの前のことのようでもあり、はるか昔のことのようにも感じる。経験は十分に活かされているのだろうか。
震災当日は勤務中でちょっとした打ち合わせの最中だった。関東でも強く長い揺れを感じ、防災扉が自動的に閉じた。電源とネットは切れなかったため、職場に一つだけのテレビとウェブサイト、Twitterで情報を集めた。人の安全を確保することと食料の確保で追われた。
その後、被災地の甚大な被害や原発事故による広範囲への影響の懸念があることを知る。計画停電などのライフラインの遮断、燻るデマや罵詈雑言なども知った。
そうした記憶も時が経つにつれて薄れてゆく。そのころ生まれた世代にとってはすでに歴史的事実だ。何を学んだのだろう。何を忘れてしまったのだろう。
大噴火の近辺がどのような状態になるのかをトンガからの報告が伝えている。救援物資を届けるための飛行機が着陸困難だというのだ。
火山噴火のリスクは我が国の重要問題でもある。富士山が目覚めたときのリスクはすでに何十年も前から語られ続けており、シミュレーションは詳細に及ぶものがある。溶岩、火山弾の被害に加え、降灰の害は長期に渡って都市機能を不全にする。
トンガの例はその参考になる。救援活動は人道的のみならず、我が国の復興段階での経験の獲得のためにも参加すべきではないか。
トンガ王国で起きた海底火山の大規模な噴火は、広範囲な地域に影響を及ぼしている。特に津波は想像以上に深刻なものであり、日本でも被害が出ている。
15日におきたという海底火山の噴火は衛星画像からもはっきりとそれとわかる規模のもので、100年に一度もしくは1000年に一度の規模のものであると報じられている。この噴火の影響で日本でも気圧の変化が観察されたことから、相当な迫力を持つものであったとわかる。日本からトンガまでは約8000㎞離れており、同距離の場所としてはアラブ首長国連邦あたりでありかなり遠い国であるにも関わらず。
今朝の報道によれば17日にも大規模な火山噴火があったとのこと。詳細は未詳ながらも再び津波の発生がないのかは確認しなくてはなるまい。トンガをはじめとする近隣諸国の人びとの生活が心配だ。さらに噴煙や会場に浮遊した噴出物の問題もさることながら、農業地帯であるオーストラリアやニュージーランドへの影響が懸念される。国際的な救援を考えるべきだろう。
さて、標題の日本の津波に関しては15日23時55分に奄美大島で1m20㎝、岩手県久慈港では16日2時26分に1メートル10㎝の潮位上昇を観測したという。かなりの高さである。東日本大震災の津波で再確認したが、津波は通常の大波と違い、波面が全体的に持ち上がるため陸地がそのまま飲み込まれる。だから数センチでも被害が出ることが多い。報道によると北米でも同様の津波が観測されている。現時点での報道では噴火地点に近い場所よりも、遠隔地の方が津波の高さが高くなっていることもある。油断はできない。
遠隔地で起きた地震により、津波が発生し被害が出た記録といえば1960年のチリ地震津波をあげる人は多い。私が生まれる前のことなので内閣府の公開している「災害教訓の継承に関する専門調査会報告書 1960 チリ地震津波」を参考にしてみると、「昭和35年5月24日早朝来襲したチリ津波は、北海道から沖縄までの太平洋沿岸各地に被害を与えた。体感する地震がなく、気象庁の対応も遅れ、完全な不意打ちであった。南米沖で発生した遠地津波は、1586年以降19例もあったのだが、その認識が不足していた。」とのことで、地球の裏側で起きた地震がまさか大きな津波被害をもたらすとは考えていなかったというのだ。死者・行方不明者139名、負傷者872名が当時警察の発表の被害者数だが、この報告書によれば、返還前の沖縄の死者3名が含まれていないということである。

東北地方の太平洋側の住民は古来から何度も津波被害にあっており、他地域より備えはあったのにもかかわらず、体感なき地震による津波には対応できなかったことになる。また、インターネットのない時代、広報はマスメディアにたよらざるを得ず、情報不足がもたらした被害であったと今ならば言える。16日の深夜から未明にかけてスマートフォンなどで津波警報が鳴り続けた。数多く寄せられたクレームに対し、神奈川県知事はその方法に問題があったとして謝罪したが、情報があるということの重要さは忘れてはならないだろう。
遠く離れた場所に由来する津波も決して侮ることはできない。このところインドネシアや南太平洋で大きな地震が相次いで発生しており、油断はならない。日本は自国で発生する地震への備えとともに、海を隔てた地域へのアンテナもつねに張り続けていなくてはならないのだ。
台風10号に関する警報が行き過ぎだったのではないかという話があるようだ。確かに80メートルの風は吹かなかった。
しかし、現在の予報技術には限界があり、規模も進路も来てみないと分からない。最悪の事態を予測して警告するのは責任者の当然の行動だ。
問題なのは警報慣れしてしまうことだ。我が国はさまざまな天災を受けるリスクを抱えているが、人々はかなり冷静に生活している。それは素晴らしいことだ。ただ、常にいろいろな可能性を考えておくことは、自らの宿命に勝つために不可欠だ。
太平洋を北上する台風と秋雨前線の相乗効果で関東は昨夜から雨が振り出し、今朝はかなり強く降っています。天気予報は雨時々大雨という徹底的な降雨予報です。そしてそれは外れそうもありません。
雨が強い日は黒いジャケットとスラックスで出かけます。雨で濡れても分かりにくいというのが理由です。どうも今日はその努力が奏効しそうです。かつてはレインシューズも履きましたが、壊れてしまったのち買い直していません。
雨が私たちにもたらしてくれる恩恵は計り知れないのですが、昨今の水害の甚大な被害を考えると恐怖も浮かびます。私たちは水に囲まれて生きているという事実を謙虚に受け止める必要があります。水辺で命をつなぐ生き物であるという自覚です。
治水という歴史以前からの試みはいまだ完成されていません。この方面の知識の蓄積は大切です。降り続く雨に感じるものは実に多様で複雑なのです。