タグ: 自己啓発

とにかくやってみる

 昔書いたノートなどを偶然発見すると同じ自分なのかと思うくらいの差を感じる。内容は稚拙だがとにかくいろいろ書き込まれていているのだ。その中には冗長なものが多いが何よりも挫けず書き続けていたことに驚く。

 馬齢を重ねれば無駄な動きはしなくなる。ただ、新しい発見はしばしば無駄な行動から発生するものだ。だから、新機軸を打ち立てることも難しくなっていく。

 若者にあるのはとにかくやってみるという行動力だろう。それが失われると発想や行動が固定化していく。新しい価値観も生まれにくい。だから、この歳になってできるのはもう失敗を恐れないことだ。効率を考えないことだ。とにかくやってみることなのだろう。

 若い頃はよかったなどとは言いたくない。今を終わったものにしないためにも結果を考えずにやってみることも大切だ。

自分を励ます、騙す

 自分に言い聞かせるというとオカルト的な含意を感じるが、案外そうでもないらしい。スポーツ界ではこれは経験的に信じられている。勝利のイメージを強く持つことで実際に試合に勝つことができるというだ。脳の機能を活用した結果というが詳しいことはよくわからない。

 ただ言えるのは、私たちはかなり「気」によって動いている。その時々にどのような精神状態でいるのか、何を考えているのかで行動のあり方が変化するのである。苦しいときほどあえて笑えとはいろいろな人から聞く、それが気休めかと思っていたが、脳科学的にその効果を裏付けようとしている人もいる。今は逆境にあるが、最終的には成功するとどれだけイメージできるのかがその後の結果に大きく影響するというのである。

 果たしてどれだけ実証性があるのかはわからないが、ネガティブ思考が良くないことだけは事実だろう。満足を感じるラインをあえて下げ、幸福感を得ることもその技という。はじめから多くを望まず、達成された小さな成功を大きく喜ぶ。この蓄積が大きな成功につながるというわけである。

 言ってみれば自分を励まし、場合によっては自分を騙すこと。それがこれからの困難な時代を生き抜くためには必要なのだろう。いけない、これからの時代は決して困難ではない。きっと素晴らしい未来があるのだ。

散歩して

 久しぶりに実家の近くの畑の中の道を歩いてみた。農作業する人数人に出会ったがそれ以外は誰もいない。雲雀が盛んに泣き、夕方も遅くなってきたからかムクドリが方々から集まって群れを作り始めていた。都会に住んでいると気づかない静かな時間、そのなかで何のためというわけでもなく歩み続けている自分に妙な満足感を得ていた。

 毎日が流されてばかりでなにも得るものがないと思うこの頃だ。本当はそうではなくてサラリーという不可欠なものを得ているのだが、それもなんというか自分の力で獲得しているという実感にかけている。そういう生活はそろそろ終わりにしなくてなるまい。

 散歩して気づくことがある。私はこれまで何をしてきたのだろう。そしてこれから何をどうすべきなのだろう。そういう大切なことをなぜ毎日行ってこなかったのだろう。そぞろ歩きを皆さんにもおすすめしたい。それもできれば田舎道がいい。

1.001倍の目標

 気がつけば5月も今日まで。いろいろなことがあった5月もなんとかやり過ごした。最近、日常と距離を置くことができるようになった気がする。

 仕事のパフォーマンスは残念ながら下りっぱなしだ。過去の自分ならできたことができない。脳の体力が低下していて自分の期待以下のことしかできない。全く困ったことだ。

 それでも慌てなくなったと思う。諦めることができているというのが正しいのかもしれない。できなくて当たり前という気持ちになっているのだ。

 これはちょっと前なら堕落を意味した。自己評価の基準を勝手に下げるのは負け犬の言い訳だと思っていた。痩せ我慢してでも現状以上を目指すべきだ。現状維持は敗北を意味する。そう考えていた。

 最近はあまりに負け過ぎているからなのか考えが変わってきた。今できることをやるのが大切で、やれないことを無理にやるのは間違いだ。やれる範囲のひとまわり上をできたらそれでいいではないかと。今の自分のキャパシティの1.001倍を目指そう。そんなふうに考えるようになっている。

 実際は1以下のパフォーマンスしかできていないかもしれないが、目標は1.001だ。そういう気持ちがあれは老兵にも十分なチャンスがある。

人生の分岐

 それなりに波瀾の人生を歩んできた自覚がある。もっと安易な生き方も可能だったはずだ。また、今のように細々したことにこだわりすぎる生活はおかしいとは思いながら、すべてを受け入れてきた。そのことを後悔はしない。なるようにしかならなかったのだ。

 自分にはもっと高い所に進む可能性があって、いまは不遇なだけだ。そう思うことは慰安の言葉としては最上級だ。実際は偶然掴んだ高みだとしても人は謙虚にはなれない。自分には計り知れない可能性がある。いまはそれを発揮できないだけなのだ。時が来れば一気に駆け上がるのだと。誰もが思う幻想だ。

 私はこの幻想を否定しない。妄想でもなんでもいい。成し遂げたいと思うことをこなしていく。そういう達成感の中で生きるのは一つの見識だろう。日常生活ではままならないことが多すぎる。それでも自分の中で描いた物語の主人公として生きられるならばそれは意味があることだ。

 どんな成功者も転落の憂き目にあっていると思っている人も、実は偶然の人生を生きている点では同じなのかもしれない。それを仕方がないものと諦めるのか、自分なりの意味を見出していくのかで印象は大きく異なる。

パラダイムシフト

 今まで当たり前だったことを変更しなくてはならないときに私たちはしばしば混乱する。しかし、あまりに日常をそのまま受け入れていると変化に耐えられなくなる。だから、変化を敢えて作らなくてはならないことが人生の中にはあるのかもしれない。

 少し生き方を変えてみようと考えている。自分の今の状況に合った生き方をしてみたい。そのためには切り捨てなくてはならないこともあるし、新たに始めなくてはならないこともある。もちろんそのためにはやらなくてはならないことがある。最低限の生活保障を確保しなくてはならない。でも今と同じ生活を継続するために無駄な出費をすることは避けよう。実は公共施設の利用で代用できることはいくらでもあり、その利用が自分だけではなく、社会のためにもなるということもある。

 あまりにも都市型資本主義に無反省に従ってきたことを少しやめてみようかと考えている。どうすれば自活力が生まれるのか。それを根本的に考え直してみたい。

今日から5月

 今日から5月だ。新年度の始まりはいろいろあったが何とか切り抜けられた。反省点が多数あるので、その修正から始めたい。

 少し余裕ができたのでその時間を活かすことにする。まずは時短のために様々な策を練ることだ。雑用は切り捨て、やるべきことに集中しよう。また、時間が来たら途中でも止める勇気を持つことにする。

 今更だがいわゆるリスキリングも試みたい。取りあえずは英語とネット関連の学習は細々と続ける。資格を取得するわけではないのだが、一定の成果が出るように時々自己評価する。このブログにも書くことがあるだろうが、老の足掻きと見逃していただきたい。

 5月は昔から精神が不安定になりやすい季節だと言われている。そのためにも少し多めの目標を立てて悩む暇を消していくことにしよう。

思い込みはどこにでもある

 先入観を持って物事を見るのはよくないことである。それは確かだ。でも、まったく先入観のない状態などありえない。私たちは物事を見るときになにがしかのフレームを持っていなくては安心できない。何もない状態で世界を見ることはあまりにもワイルドだ。過酷な状態に身をさらし続けると、披露困憊して十分な行動ができない。

 これはこういうものだという把握を思い込みとみなすのか、掌握のための手段とみなすのかで評価は大きく変わる。思い込みは良くない、でもある程度の固定概念は日常を切り抜けるためには欠かせない。この区別を上手くできないと話は極論になってしまう。思い込みは良くないとだけ言う人はこの点を考えなくてはならない。

 それでは先入観を極力なくし、なおかつ日常生活を成立させるのにはどうすればいいのだろう。まずは自分が無力であることを自覚することが必要なのだろう。自分の価値観が世界の価値観と近いと考えてはならない。自分は世の中の常識と言われている広い分布範囲の周辺部分にいる一つの点に過ぎないことを考えるべきだ。そして、それは私だけではなく、ほとんどの個人は同じ立場なのだ。

 常識とか多数派とかそういう幻想は捨てなくてはならない。私たちは個々人のできる範囲のことしかできない。それを他人から見た粗密の尺度に照らし合わせても得られることは少ない、自分の行動はあくまでも多くある事例の一つであり、それが集団の真ん中にあるのか周辺部にあるのかなどだれにも分からない。

 思い込みをなくし、消化できていないことを冷静に考察し始めることが大切だ。これはこれからの人生観に直結する。人生を豊かにするためにはある程度知らないことは多いほうがいい、

雨の一日

 一日中雨が続く日だった。しとしとと長く続く雨だ。お陰で新緑はきれいに洗われた。

 予報によると明日はきれいに晴れて金曜日までは気温もかなり上がるという。初夏いうより夏そのものの陽気になるらしい。ジェットコースターのような天気だ。

 振り回されることへの耐性が年々弱くなっている気がするので、ここは慎重に構えることにする。無理はしない。限られた時間で最高のパフォーマンスをすることを目指そう。

メモ帳で諦めることを避ける

 最近、ちょっとした記憶の保持力が低下している。対策として何か別の仕事を始める前にメモを残すようにし始めた。しかし、しばしばこれを忘れてしまう。習慣になるまでには積み重ねがいる。

 今やっていることを簡単にメモする。キーワードでも箇条書きでもいい。重要度は考えないで書く。これが衰えた短期記憶の補助になる。

 このメモは手書きがいい。だから私はすべての上着とカバンにペンとメモ帳を携帯することにした。いくつもメモ帳があるのは変だが、目的がかようなものであるから別に構わない。

 衰えた者にはそれなりの戦い方がある。もう少しやってみることにしたい。