1960年の日本人男性の平均寿命は65歳だったという。高度経済成長期の始まりの中で、寿命は伸び始めていたが、この時点で切ると意外にもかなり若い。磯野波平が50代前半であの風貌なのも当然なのだ。かれは余命十数年なのだから。
もしこの年代に今の年齢であるとすれば、私は最晩年を迎えていることになる。もっともいつの時代にも長寿や夭折はあり人それぞれだ。あくまで平均という数値上の問題として考えていく。
現在、多くの企業が65歳を退職年齢としている。高齢者の区分もここにある。いまでは企業人か否かの分かれ目が、かつてはこの世かあの世かの分節であったことになる。年金制度などの設計がここにおかれているのはかつてはその通りだったからだ。
65に区切れを入れると、老後がかなり長くなる。現実的にはもっと後まで労働人口とならねばならない。日本の人口ピラミッドからしても高齢者の区分は上げなくてはなるまい。行政はこれに対応できているのだろうか。
私自身のことでいえば、最晩年を生きている覚悟をせねばならないと考えている。今のところ健康上の心配はないが、明日みまかるかもしれず、数年後に彼岸にいるかもしれない。そういう覚悟が必要だ。最後の一日まで働いて、ある時急にいなくなるというのが理想ではある。


