利益にはならないがやりたいことはある。これを能率主義者は無駄という。でも、果たして無駄なのだろうか。効率を重視して己を捨てることよりも遥かに有益なのではないか。
趣味の追求は大抵の場合、他人からは無駄にうつる。そんなことをして何になるのだと。なんにもならない。ただ楽しいだけなのだ。その楽しみが時々他人のためになることがある。それでいいのではないか。
生産性の高い理想的なXさんになるより、駄目だが生きることが楽しい私になる方が遥かに幸せであり、世の中のために成るのではないか。最近よく聞く生産性第一主義の論者の大半が不幸そうなのは恐らくここに帰結するように思えてならない。
