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送り火

 盆の送り火の日である。京都の五山の送り火は有名だが、先祖を死者の国に送り返すための行事は全国にある。新暦月遅れの場合は今日だが、旧暦の場合7月16日は新暦の9月8日にあたり、まだ先だ。先祖を送る行事はとても大切だったらしく、いろいろな形がある。

 日本の祖霊は歓待すべき対象と考えられる一方で祭りの終わりとともに帰還してもらわなくてはならない存在でもあった。祖霊がいる間は日常の生活はできないのだから、帰っていただかなくては困るのである。そこで盛大な見送り行事が行わる。送り火の巨大化もそうだが、あるいは祭りの際に使った祭器等を片付けることや、場合によっては破壊することを強調した儀礼もあるという。盂蘭盆会のみならず、神や祖先神を招来したときはその終わりにはっきりとした終了のための行動をする事例を見たことがある。

 ハレの日が終わり、再びケの日に戻るためにはそれなりのけじめが必要なのだろう。これは今日の私の生活にも言えるのかもしれない。生活の局面を変える時には何か大きなことを、目に見える形でしておかなくてはならないのだろう。毎日がお祭りのようになっているのが現代人の生活だが、一度冷静に戻るために浮ついた精神はどこかにお帰りいただく必要がある。

価値観は変わり果てる

 終戦の日のことを考えると、社会的な価値観は実に移ろいやすいということを考えさせられる。戦争をしていたころの日本の上層部はなんと愚かなのかと思い、庶民はそれに躍らせれて悲惨な毎日を過ごしていたというのが単純化した社会観であるが、本当はそんなに単純なものではない。日本が戦争をしなくてはならないと真剣に考えていた人たちにはそれが間違っていたとしてもそれなりの正義があり、それを支える世論というものがあったことを考えなくてはならない。

 戦前の日本が現在からみて異常であるのと同じように、おそらく80年後の日本に住む人々にとって21世紀前半の日本の社会は極めて奇妙に映るかもしれない。多くの人々を犠牲にした戦前の日本指導者を批判するのと同様に、現代社会の様々な問題を指摘して、自分たちの世代になぜこんなにも厄介なものを残したのかと不満に思うのかもしれない。

 毎日の生活にあくせくしているうちに、その問題点とか課題とかを見失い。大切なことを忘れてしまう。歴史から学べとはよく聞く話だが、何をどう学ぶのか分からないうちに時間が過ぎてしまう。その繰り返しが続いているのである。同世代の人々もすでにいろいろなことが分からなくなっている。我々の子孫も同じ繰り返しをしていくのだろうか。表層的な価値観は時代とともに変わり果てる。それを俯瞰するために必要なのはもっと深いところにある視点である。

参院選その後

 参院選は予想通り与党の敗北に終わった。自民党が両院において少数与党になるのは初めてらしく、新たな歴史の幕開きとなりそうだ。

 新しい考え方が実現するのは大いに歓迎だが、野党側の党利主義がどこまで実行されるのかが懸念される。必要なのは国民の福祉であり、党の利益ではない。少数党の乱立は利点も欠点もある。欠点が強調されると政治的な衰退を齎す。戦国時代なら亡国の予兆だ。

 現在の日本は今すぐその事態には至らない。ただ、油断すれば何も決まらず何もできない国になり得ない。政党の構成は変わってもしたたかに生き抜く日本風だけは維持してほしいと祈るのである。

梅雨よ終わるな

 まだ6月が終わっていないのに梅雨明けした地域がある。降水量が著しく少なく、今後の水需要に耐えられるのか心配だ。

 九州地方や四国などの一部で梅雨明けした可能性が高いことが発表された。異例の早さである。関東地方の週間予報でも雨の降る日はありそうだが、梅雨と呼ぶには傘マークが並ばない。恐らく暑い日中と突然の豪雨という日々になるのだろう。気候変動と言われれば打ち消すことは難しい。

 恐らく若い世代の人たちに梅雨の情緒を理解してもらうことは難しい。霖雨が何をもたらしてきたのか。もうデータ上の出来事になっているのかもしれない。

 雨の季節は憂鬱なものだったはずだ。それがこうなると惜しく感じられてしまう。

失敗を許容する度量

失敗しても構わないという助言は有効かも知れないが、さほど相手の心には響かない。誰しも失敗はしたくないし、してもいいと言われても困惑するばかりだ。

 大切なのは失敗したときに相手にかける言葉であり、許容しさらに助言する寛容さだ。先に述べた構わないと言う人の中には本当に失敗し、損害が己にも及ぶとなると豹変する。巧言令色には仁は少ない。

 この国が現状打破するためには新しいことにも取り組まなくてはならない。そのためには試行錯誤はつきものだ。それを寛容する度量があるか。挑戦者を生み出すためにはその周囲の人たちも同じく挑戦者でなければならない。

読み上げアプリの間違い

 動画サイトなどでしばしば読み上げアプリを使う例がみられる。その中でかなりの確率で読み間違いがあるのは残念だ。文字入力をするだけで読みの検証を怠っているのだろうが、もしかしたら発信者自身が読み方を知らないのかもしれないと疑っているのだ。

 入力された文章を音読する機能はほとんどのコンピューターで実行可能だ。OSに備わっているものが多い。ただ、それは意味とは無関係に文字を音声化しているので、文脈に応じた読み分けはできない。「いきもの」も「せいぶつ」も「生物」と表記できるが、明らかに使用の場面は異なる。表音と表意のハイブリッドである熟語は意味が分からないと読みが決まらない。

 現段階の読み上げアプリにはその判断ができないらしい。ならばそれを作った人間が読み分けを指示するしかない。それができていないのかもしれないのだ。現在の情報環境では文字を自ら書いたり読んだりする機会が減っている。読み間違いは他者とのコミュニケーションを通じて訂正される。その機会が失われると修正ができないのだ。

 憎悪は「ぞうお」であり、険悪は「けんあく」だ。この使い訳ができなくなっている。もっとも、輸入は本来「ゆにゅう」ではなく「しゅにゅう」だ。詩歌も本当は「しか」だったのが「しいか」と読まなければ間違っているといわれてしまう。傑作なのは捏造が「でつぞう」なのに「ねつぞう」だとされていることで、これこそ捏造そのものだ。読みは不安定なものなのだが、それでも最近の読み上げアプリの読み間違えはひどく、若い世代の国語力をさらに低下させてしまっている気がする。

七草

 新暦の七草が実態に合っていないことは明らかである。でも、いまはハウス栽培の七草もあるし、フリーズドライやレトルトの七草粥もある。新芽の生命力をいただくという主旨からは外れるが格好はつくのだ。七種類がなにであるのかを気にするより、多種の新芽を食して自らの命の糧とすることに意味がある。自然に感謝し、この厳しい季節を乗り切りたい。

今年のニュース

 この時期になると発表がある10大ニュースという企画がある。読売新聞が発表した読者が選ぶ10大ニュースは、


石川・能登で震度7
大谷 初の「50⁻50」
パリ五輪 メダル日本45個
新紙幣 20年ぶり
闇バイト 続発
衆院選 与党過半数割れ
自民新総裁に石破氏
日航機・海保機 羽で衝突
ノーベル平和賞 被団協が受賞
「紅麴」サプリで健康被害

となっている。
 元日の大地震には驚いた。しかもその翌日に羽田の航空機事故があり、なんという年明けだと誰もが思ったはずだ。死者が出た海保機は能登への救援に向かう途中だというから、なんとも残念でならない。能登は9月にも大雨の被害があり死傷者が多数出た。重なる不幸を痛ましく思うとともに支援を考えなくてはならない。
 経済の分野ではGNPの順位が落ちたことが話題になった。円安に少子高齢化による構造的な問題もあり、この傾向は続く、ドル建てにした一人当たりの名目GDPでは韓国に昨年度から抜かれていたことが発表されている、日本の経済停滞は大問題であり、今後いろいろな問題が噴出する可能性が高い。
 政治の分野で自民公明の与党が衆院で過半数を割り、少数与党に転落したのは裏献金問題が直接の原因だが、経済政策に対して効果が得られなかったことが影響しているのだろう、いわゆるアベノミクスで一時的に衰退をごまかせたが、成長はできず結果として今の事態が起きている。野党は政権交代だけではなく、国民の利益になるような提案を起こして頂きたい。海外ではアメリカやイギリスなどで政権交代が起き、ウクライナやパレスチナの問題は一向に終わらない。被団協がノーベル平和賞を受賞したことも世界的な平和へのメッセージを送りたいということなのだろう。
 スポーツの世界では比較的明るい話題が多かった。オリンピックでのこれまであまり振るわなかった種目での活躍はめまぐるしかった。プロスポーツでは、バレーボールや、バスケットボールなどでの日本代表が国際大会でも勝てるようになってきた。サッカーはアジア大会ではかなり安心して戦えるようになっている。野球はMLBの大谷選手らの活躍が連日報道され、暗い話題が多い中で多くの人たちの救いになっていた。
 闇バイトなどのネットを利用した犯罪集団が多発しているのは残念だ。様々な不安定さが新たな犯罪を生み出す精神的な闇を生み出さないか。来年もそのことには注意しなくてはならない。

雑種文化

 雑種文化というとかなり抵抗がある。ただし、それを独自の文化といえばかなり違った印象にになる。多くの識者が説くように日本の文化は複数の文化の融合からなる。これも言葉を変えれば雑種であり、少しかっこよくいえばハイブリッドである。

 純日本風という言葉は色々な意味で解釈が難しい。日本独自のものはないが、日本にしかないものはある。トートロジーのようだがそれが現実だ。日本の文化が先行する要素を取り入れながら、その本筋は変えず、したたかに現実に合うように変更していく。それがこの国の伝統であり、我が国独自の性質である。

 この事実は実は時代を先取りしていた。グローバルな時代では自分のアイデンティティは他国他民族との対比の中から芽生える。他国とは違う何かを見つけたとき、それが自国文化を語る物差しとなったのだ。それを在来の文物、制度の中に織り込んでゆくことで和風が常に生成されている。

 柔軟性を忘れると活力が失われる。これは本当の生物のあり方にも似ている。

政権交代は夢の夢なのか

 衆議院選挙は大方の予想通り、自民党が大きく議席を減らすことになりそうだ。立憲民主党や国民民主党等がその分議席を獲得することになる。ただこれは積極的選択の結果ではなく、自民への失望が野党へ流れただけだ。

 近年の自民党のあり方からすれば政権交代もあって当然なのに、それが起きない。これはいかに野党の力が弱いかの証だろう。果たして彼らに政権運用ができるのか。その不安の方が大きい。前回の民主党政権では東日本大震災というアクシデントもあり、十分に能力を発揮できなかった。リベラル政権の宿命として、どこか中途半端になりやすい。背景の勢力からの圧力もあろうが是々非々で進めてくれなければ政権を託すことはできない。

 政権交代はその後の交代も含めた概念だ。政党が緊張感を持って政策にあたることこそ民主主義の根本だ。自民党は長期政権でその緊張感を失っているし、野党は政権を本当に取りたいのかと思われるほど、単なる反対党になっている。

 日本がこういった政治家たちでなんとかなっできたのは奇跡というしかない。どう考えても衰退の兆候が打ち消せない現状に明るい希望を与えてくれる政治をしてくれる党がほしい。