過去の出来事を思い出すときに、どうしても記憶の修正が起きることは常に実感している。他の人の同じ経験談に接したときにいろいろな差異があることに気づくのだが、それまではこうだと思い込んでいる。
恐らく他人と比較しても互いに変化したものどうしを並べているにすぎない。写真とか動画などの方が事実との比較には良いのかもしれない。ただ、それらの映像も撮影した者の何らかの解釈が入っているはずだ。真実にはなかなか辿り着けない。
科学的思考という考え方はそういった個人差を排除したもので、これが近代の私たちの前提になっている。でも、直線と思っていたものが実は曲面の上にあり、光さえも曲がると言われればもうその前提も怪しい。日常生活では気づかないほどの誤差であるにしても、実は真実を掴んでいるものはないという事実は変わらない。
現実の何を意識し、それを経験として認識して、その中から何が記憶に残るのかは人によって違う。また、その日の体調とか周囲の環境によっても変わってくる。その上に経年の修正も加わるのだから、物事は単純ではない。
