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大学に入る前

 はるか昔のこと、大学合格が決まって入学式までの間は私にとってかなり危険な期間だった。受験勉強しかしていなかった数ヶ月の期間にすっかりと世間知らずとなり、さまざまなものが弱くなった私を標的にしてきた。

 新興宗教の勧誘はさすがに避けることができたが、英会話教室の巧みな勧誘はあと少しで騙されそうになった。大学に入れば受験英語は役に立たない。大切なのは会話力だと力説されるとそうかなと考えてしまうものだ。いまだに英語は苦手だが、会話ができなくても大学では少しも困らなかった。もちろん、同じ教室に英語が堪能な人がいたのは確かだが。

 私の高校の男の同級生の大半は浪人していたから彼らを誘うのも何となく気が引けた。かといって女子の同級生と気軽に遊べるような高校生ではなかったので、結果的に空白のときを送ることになった。

 何をしたのかは実はあまり覚えていない。でも、いまより一日一日が濃い印象だけは残っている。大学に入って暫く経っていろいろな出会いがある。人生に大きな変化が起きたが、その変化を経験するとそれ以前のことが急におぼろげになった気がする。

 卒業というのはそういうものなのだろう。間もなく私も違う意味での学校を卒業することになるが、きっといまの生活の感覚はその後忘れていしまうはずだ。ならばいまの生活のあれこれを味わっておくのも大事なのだろう。

間を置くこと

 演劇の世界では台詞をいかに観客に届けるのかということに拘る。一つには声量を大きくして、滑舌よく話すこと。これが最低条件だ。ただそれだけではない。あえて何も発しないことも大切な表現手段とされている。

 何かを伝えるときに一本調子だと聞き手は次第に刺激を失う。熱心な聞き手ならそれで構わないが、多くの場合、聞き手は気まぐれでわがままだ。彼らの耳目を集めるには工夫がいる。その方法としてマイナスのメッセージがある。つまり何も発しないことによって注目させるという手法だ。

 これはうまくやらないと失敗する。情報を発しないのは空白を作ることだ。それに耐えるのは発信者にとっては忍耐がいる。間を置くと一言ではいうがさほど簡単ではない。一度コツを覚えるとこれが効果的な情報伝達法であることを知る。若者にはこの経験を持たせたい。

 そのためには演劇を体験させることが必要なのかもしれない。学校で演劇をさせることは以前からその意義が語られている。それなりの指導ができる教育者もいる。

分かれ目

 卒業式の定番曲「仰げば尊し」の歌詞を分かれ目と誤解していた時期は長い。係り結びの法則を学んだあともこの歌詞に思いを致すまでには暫くかかった。

 ただ分かれ目説にもそれなりの説得力がある。卒業を気に人生の分節点を意図的に作りだし、現状からの脱却をはかるというのはむしろ卒業の意志にふさわしい。そう思って歌唱している人は多いのではないだろうか。

 慣れ親しんだ学舎と同窓の仲間との訣別を覚悟する点においては当たらずといえども遠からず。それぞれの思いで歌えばいいのかもしれない。

学校が嫌いな人たち

 コロナウイルス感染予防のための自宅待機推奨がなされる中で、学校閉鎖が続いています。この事態で学力低下を懸念する人がいる一方で、むしろこの事態を歓迎している人もいます。

 日本の学校には一定数の不登校もしくはそれに類する人がいます。その原因は一律ではないために単純に語ることはできません。そのなかに集団生活への不適合が原因という生徒がかなり多く含まれていることは確かです。彼らはクラスに溶け込めず、自らの居場所を作り出せないために学校に行くことができません。彼らの中には学力的には問題がなく、学ぶ機会さえ与えられるならば好成績を上げることが期待できる生徒もいます。

 現在はいわば全員が不登校の状況にあります。生徒は分断され、不要な同調圧力に悩まされることはありません。時間の制約もなく、狭い空間に動きを制限されることもない。こういう状況の方が能力を発揮できる人はかなりいるはずです。学校閉鎖がかえってチャンスになったということになります。

 私は教員としてこの状況を大いに反省し、考え方を変えていかなくてはならないと感じています。学校には学力とともに社会性を涵養する役割もあります。異質なものに対する寛容性や思いやりの気持ちを育てる役割もあります。学力だけならばもしかしたらパソコンを使った遠隔授業でもある程度ならばできる。しかし、それならば学校はもはやいらないのではないか。学校ができるのは何なのか。それを考え直す機会を与えられているのではないかと痛感しているのです。

疲れ目

 リモート授業が始まって生徒にとってはパソコンの画面を見続ける日が続いています。早くも疲れ目の症状を訴える者もいます。

 授業の代替としてネット配信の授業を始めています。実際の始業時間通りに課題を配信し、フィードバックも要求するという方法です。学校で購入したChromebookを活用しているのですが、早速眼精疲労を訴える生徒が出ています。この授業はあくまで代替手段として行っています。疲労感が強い時は中断しても構わないことにしています。

 いつまでこのような形の教育が続くのか分かりません。早く通常の授業が始まることを祈るばかりです。

スキルアップ

 同僚たちのスキルがここ数日で急に上がりました。必要性が結果を生み出します。

学校閉鎖の中、何とか授業を成立させるためにインターネットを使った遠隔授業を始めることになりました。そのために必要なG-Suiteの操作技能が高まったのです。特にClassroomという教育用のサービスについてはかなりできるようになりました。

 ネット授業があくまで急場しのぎであるという考え方は変わりません。ただ、今回、件でやれることが増えたのは事実であり、通常大勢に復帰した後でも活用できることが増えたことはよかったと感じます。

 そう考えないとやっていけないというのが事実ですが。

遅延する予約投稿

 遠隔授業の際に使う手に教材の予約投稿という手があります。ただ、時間帯によっては思い通りにならないこともあるようです。

 実際の授業時間に合わせて教材に取り組ませる手段として、時間割通りに予約投稿する方法を考えています。ところが、朝8時台に設定すると数分遅れて投稿されることが分かりました。おそらく通信回線の混雑が原因と考えられます。

 当面は5分前投稿で切り抜けようと考えています。リモートワークが増えている中で通信の問題は新たな悩みです。

遅まきながら

 在宅要請が社会的圧力となりつつある中で、私たちの職場にも在宅勤務の準備が整いつつあります。学校という個人情報の山の中で勤務する我々にとってセキュリティの壁は厚く、家でもできることを厳選しなければならない事態に立ち入っています。

 遠隔授業については既存の映像教材にオリジナルの教材を組み入れることでなんとか数週間は凌げそうです。毎回、小テストのようなフィードバックを織り込むことで生徒諸君の緊張感を保ちます。

 課題となるのは対話を伴う授業です。少人数ならばMeetのような双方向システムを使って対話できますが、40名規模になると授業としては難しい。単なるおしゃべりならば可能としても教育効果を上げるのはせいぜい10人以内ではないでしょうか。

 相手が子どもである中等教育以下の教育機関では遠隔授業はかなり難しい。成功例として紹介されているものをみても、実際はかなりの無理があります。しかし、やらなくてはならないとなればやるしかありません。

遠隔授業開始

 私の学校では今日からインターネットを使った授業を開始します。すべてが初めての試みなので不安ばかりが募ります。やるしかありません。

 今のところは教員の出勤が許されているので学校から授業の資料や動画などを配信することができます。比較的デジタルに詳しい教員も多いので配信する作業それ自体はできそうです。

 ただ、対面なし反応なしのブロードキャストは教員にとっては苦手な分野です。対話型の授業を推進してきた昨今の状況なので余計に難しく感じるのかもしれません。もちろんビデオを使った双方向通信も可能なのですが、それには生徒の通信環境やプライバシー保護の問題があります。

 慣れていないからできないという言い訳が許されない現状ではすべてが見切り発車です。立ち止まることができないときは走りながら考えるしかありません。波乱の新学期の始まりです。

教員として

 なんとか新学期は始められそうな状況になってきました。しかし、ウイルス流行の峠が見えない現状ではいつまた中断するのかわかりません。たとえば関係者に陽性反応が認められた時点でおそらくまた数週間の学校閉鎖という措置になることは十分に考えられます。すると、これを機にこのような事態でも効果を失わない教育方法を考えていく必要があります。

 大前提として、発送の大転換をしなくてはなりません。教員は情報を伝達するのではなく、学習の仕方を教える存在にならなくてはいけないということです。自ら教えることができない事態が起きるということは今回の件で痛感しています。生徒が一人になってもどうやって学習すればいいのかをはっきりと示すことができることが教員の大きな役割になっているといえます。

 学習の方法論を示せばいいというわけでもありません。もっと大切なのは学ぶ意味をはっきりと伝えられるということです。今の子供達にとって学びは将来の自分の人生を大きく左右する知識とスキルの蓄積の機会です。私自身の人生におけるそれよりも今の生徒世代の方が学びの有無による人生の差は大きく出てしまいそうな気がします。もちろん格差社会は避けなくてはならないですが、現状が格差拡大に向かっている以上、獲得できるスキルや経験は若いうちに積んで置くべきでしょう。そのことを危機感を持って、しかもいたずらに恐怖を煽ることなく伝えることは教員の重大な責務であると感じています。

 根気ややり抜く力も大切であることも伝えなくてはなりません。誰もが効率よく目的を達成できるはずはない。むしろ多くの人は失敗の繰り返しです。そのなかでも挫折することなく、何度でも立ち上がる力を育てることはこれからの日本社会にとってはもっとも重要なスキルであると感じています。これを伝えることも重要です。

 仲間と協力することの大切さも伝えなくてはなりません。一人の力では如何ともしがたい現実が若い世代には待ち受けています。その中で必要なのはともに考える力です。小異を捨てて大同につく力です。小さなことにとらわれて死活問題的な大問題を見失わないようにさせることがなによりも大切です。

 こうしたことを新学期には生徒に伝えていこうと思います。いつ学校が中断しても自ら学びを続け、向上することをやめないい人材を一人でも作ることができたなら、私の存在価値があるというものです。

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