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葉桜

 ソメイヨシノはあらかた散ってしまった。これからの状態を葉桜というが、実はこの方が桜の木としては普通なのだ。

 葉桜は残念なという意味がその初期には被されている。落花した後のさびしさと重ねられることも多い。しかし、この葉こそ魅力的なものだ。若葉の鮮やかさも、夏の日を遮るたくましさも、病葉も痛ましさも、花以上に鮮やかな紅葉もみなこの葉のもたらすものだ。

 かつて庭のある家を借りたとき、玄関前の桜に大量の毛虫が発生して慌てたことがある。桜はいろいろ手をかけていかなければならない樹木だ。それも含めて愛しい。

新年度

 日本では年度の始めは4月である。つまり今日が2021年度の最初の日だ。桜の咲くこの時期に区切れ目を設けたのは日本人の感性としてはふさわしい。もっともこれは後付の理由説明であろう。

 不断の時間に切れ目を入れて新しい何かを実感しようとするのは人類の叡智の一つだ。意識が変われば実感も変わる。だから世界が変化するのだ。変化は緊張ももたらす。ストレスを感じるのもこの時期の特徴だ。過ぎてしまえばどうということもない。

 私自身、年度という単位を特に重視する立場にあるため、過大な意識を持ちやすい。それを自己変革の機会に使いたい。

気温上昇

 今日は最高気温がかなり上がるとのこと。大陸から黄砂が飛来する可能性も高いとかでアレルギー症状のある私にとっては辛い一日になりそうだ。

 気づけば朝部屋に差し込む光の状況が変わっている。少しずつ変化していたはずなのに、こういう認識はコマ送りだ。桜は満開を過ぎ、名前を知らない草花が次々に開花している。恐らく意識されない何かが終わり、知ることさえないかもしれない何かが始まっている。

 私の中の細胞もあるものは消え、あるものは生まれている。春にそれを感じるのは自然の風景が分かりやすく変わるからであって、実は不断の連続なのだろう。

 通勤電車の車窓から見えるまだ葉の出ていない木の梢に鳥の巣があるのを発見した。いつの間に作ったのだろうか。

黄砂

 今年は黄砂の量が多いとのこと。花粉症の私にとってはまた防がなくてはならないものが増えた。緊急事態宣言は解けるようだが、別の意味での緊急事態は暫く続く。

 黄砂は中国などの砂漠地域の砂塵が風に飛ばされたものという。その総量は計り知れない。一点に絞れば微量だが、人体にも機器などの人工物にも甚大な被害を及ぼす。

 自然の循環の一つではあるが、人智では制御できないものがあることを思い出させてくれるものでもある。

春というより

 ここ数日、春というよりは初夏を思わせるような陽気だった。一時的な気温の上昇らしく、この後また下がるらしい。三寒四温ということばがあるがどうも最近はかなり乱高下が激しい気がする。

 緊急事態宣言の取り下げが来月上旬になりそうだと報道されている。人間の安全と経済活動とのバランスが非常に難しいようだ。ウイルスが蔓延して病人が多数出るのと、経済活動が停滞して貧困者が多く出るのとどちらを選ぶのかという選択なのだろう。もちろん、どちらも選びたくないがこれは両立できない。

 一つ先を感じさせる季節は、コロナウイルスへの対応の一つ先の時代を予見させる。照り輝く太陽のもとで、歩みを止めずにいかに前に進むのか。それを試されている気がしてならない。

 今朝は昨日に比べると気温が高い。しかし、路面にはうっすらと白いものが見える。地面の方が顕著で霜がおりていることが分かる。

 昨日降った雨があさの放射冷却で氷点に達したのかもしれない。結局雪にはならなかったが景色は寒中の様を描いているのだ。

 少し寒さにも慣れてきた。だが油断はならない。相変わらず寒さとは無縁の脅威が続いているのだから。

人日

 気がつけば新年も一週間が過ぎた。気分一新で始まりたかった年始も、いきなりウイルス対策に迫られている。1月7日は古代の宮廷では節日とされ、現代は七草という民間行事がある。厄祓いや生命力復活の願いが込められた日と考えられる。自然のパワーを味方にして前を向いて行こう。

季節風

 昨夜から急に季節風が強くなって窓を揺らしている。気温が急速に下がりまさに凍える寒さが訪れた。大晦日はとても寒い日となりそうだ。

 北陸に住んでいた頃、こういう日は降り続く雪に不安になったものだった。積雪が始まれば、最初に気になるのは車が車庫から出せなくなることだった。除雪をしなければ車が走らない。除雪にはそれなりの時間がかかり、朝からやらなければ仕事に間に合わない。そんな恐怖心があった。幸い私が彼の地にいたころは大抵が暖冬であった。ただ何年かは相当な積雪があった。そんなときは覚悟を決めて除雪をした。ただ雪を取り除いた先から降る雪が白く埋めていくのはちょっとした絶望感を伴うものだった。

 東京に戻ってからは雪で苦しむことは殆どない。ただ木枯らしの吹き荒れる日は雪との格闘を幻想するのだ。

霜柱

 通勤電車が通過する河川敷の風景はこの辺りでは珍しい霜柱である。地表の水分が表層の地面を押し上げるもので、様々な条件が重ならないと発生しない。

 私の生活圏には露面が少なく、アスファルトで覆われている。霜柱は立ちようがない。たとえわずかな空間にできていたとしてもそれに気づく余裕が失われているのだ。

 子供のころは空地にできた霜柱をわざわざ壊してまわった。その感触と音が子どもにとっては魅力だったのだろう。この季節になるとそれを思いだす。

冬来たりなば

 冬至を越えたのでこれからは昼の長さが増える。始めはゆっくり、だんだんと急に。

 毎年の繰り返しではあるがやはり冬至以降の期間には期待を持ってしまう。実際にはこれからが冷え込みの時期であり、降雪もあるかもしれない。それでも春遠からじという気分になるのだ。

 2020年はある意味でずっと冬だったともいえる。なにしろずっとマスクをつけてきたのだから。ウイルスという寒さに耐えてきた。その脅威に震えてきた。

 欧州でウイルス感染力が強い変異種が発見されたというから、まだ安心はできない。どんな解決策であれ、人々が安心して暮らせる春が来ることを望む。