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ムサシノケヤキ

 近隣のショッピングモールに植えられているムサシノケヤキには繊細な美しさがある。紅葉まで楽しめる。

 ムサシノケヤキは欅の園芸品種らしくあまり枝が広がらない。街路樹などに利用されている。特筆すべきなのは葉の滑らかな感じと色彩だ。夜光を浴びると適度に透けて美しい。

 紅葉するとまた違う味わいになる。あっという間に落葉してしまうのが残念だ。

 ただの木なので多くの人は振り返らないが、私はこれからの季節の楽しみの一つとして心にかかっている。

31日

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 8月31日は小学生にとっては特別な日だった。いまはどうかは知らない。宿題提出を明日に控えてまだやっていないものを親に叱られ、泣きべそをかく間もなくなんとか仕上げるように言われる。

 困るのは天気の記録をつける日記のたぐいだ。今はネットで調べれば天気や最高最低気温などの情報が即座に手に入る。余計なおせっかいとして新聞に夏休み期間の天気と温度のような「神」広告を出した企業があった。私はその時点で小学生ではなかったのでうらやましく思ったものだ。

 夏休みの宿題の山は自由課題だ。私の場合は工作をすることが多かった。低学年の時は水族館というおもちゃを作った。お菓子の紙箱のふたを切ってセロファンを貼り、なかに紙で作った魚や海藻を飾る。一回目は褒められたが、次の年も同じものを出したらこれ以外にしなさいと言われた覚えがある。高学年になると木工をやった。ところが31日の午後になってもできない。ある年、どういうわけが父が休みでそれなら手伝うと助け舟を出してくれた。父は比較的器用であり、凝り性なところもあった。

 虫かごやマガジンラックを作るのに明らかに小学生の能力以上のものを作ってしまう。それだけならばいいのに、なぜか金のラッカースプレーを吹き付けて完成とした。個人的にはなぜ金なのかは分からなかったし、やりすぎな気がした。それでもその父の作品を提出したことで叱られずに済んだ。その作品がどのような評価を受けたのかはなぜか記憶にない。

 8月31日になるとなぜか思い出すのだ。

進路予想

台風はどこから来るの?

 台風11号は西に向かっているが日本本土に接近した後の進路予想が難しいようだ。いろいろな予報が出ている。どうも予想しにくいようだ。

 数年前、日本の南海上を西進した台風が、ほぼ折返して東に戻ってきたことがある。こうした迷走が近年多いように感じる。おそらく、海水温の上昇などの影響があるのではないだろうか。

 この台風の関係か数日は涼しくなり、その後また残暑が戻るということだ。今朝は肌寒さを感じるほどだがしばらくは熱中症対策が要りそうだ。

秋の気配

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 残暑が厳しいのは変わらないが、それでも日暮れの街を歩くと、方々から虫の音が聞こえてくるのが秋を感じさせる。気が付けば8月も最後の日曜となり、来週からは新学期にもなる。

 時間の区切れというものはしょせん人為的なものであり、実際は不断の流れの一場面に過ぎない。それだと実感ができないので、いまは何時、季節はいつと命名しているだけだろう。いかなる分節をほどこすのか、そこにどのような意味づけをしていくのは文化による。極端に言えば個人の感性によるものともいえる。だから秋を悲愁の季節と考えるか豊穣の歓喜による季節とするのかは人間側の問題だ。

 食欲の秋、読書の秋、スポーツの秋、芸術の秋、月見、紅葉狩りなどさまざまな秋の捉え方があるが、どれもいかに意味づけするかということになる。ならば、私は私なりに季節を捉えなおしてみようではないか。秋は衰退ではなく復活の季節ということにしたい。陽光は減り、気温は下がるのでマイナスのイメージを持ちやすいが、暑さの支配から逃れ、自分の行動が解放される季節として位置付けてみようと思う。

 こう考えると虫の音が頼もしく聞こえてくる。要するに気の持ちようなのだろう。

台風接近

大人しくして

 台風が接近している。今回は台風そのものの規模はさほど大きなものではない。ただ、台風が運んでくる雨が災害をもたらすかもしれないと言われている。

 今朝はすでに薄い曇天であり、やや強い風が吹き始めている。時折雨も降って路面を濡らしているが、強風がすぐに乾かしてしまうようだ。お盆の休みを楽しみにしている人も多いはずなので、できるだけ大人しく通り過ぎてほしいと思う。

 8月は年間でもっとも台風が上陸しやすい月だという。最近のように真夏の日々がいつまでも続く気候になると、過去の統計は参考にならなくなるのかもしれない。

涼しい25℃

 東北地方を中心に激しい雨が降り続いている。台風崩れの低気圧が運んできた湿った空気が流れ込んで線状の降水帯を形成しているのが原因だという。東京はその周辺部にあるため、いまのところ降ってはいないが厚い雲に覆われている。

 現在の気温が25℃くらいだという。夏日の基準だがとても涼しく感じてしまう。あと10℃上の温度を連続して体感した身体には相対的にそう感じさせるのだ。予報では30℃に達しないらしい。

 夏日とか真夏日といった名称がむなしいものに感じられる。涼しい25℃でしばし心身を癒やすこととする。

うなぎ

鰻とりめせ

 今日は土用丑の日であった。この日にうなぎを食べるのは江戸時代の販促戦略であったと言われる。この季節にうなぎを食べるのには栄養学的にも根拠はあるらしい。実はこのうなぎという魚には様々な背景がある。

 万葉集には武奈伎として登場するうなぎは、家持によって滋養豊富な夏の食材として奈良時代から認められていたことを知ることができる。ところがこのうなぎの生態には不明なことが多く、産卵は南洋の深海であり、稚魚は黒潮に乗って日本沿岸に漂着する。さらに大半は河川を遡り、淡水魚として過ごす。産卵期に再び海に戻り深海に次世代を産むというのである。泳ぎが決して上手いとは言えない魚がどうして地球規模の移動をするのか。分からないことが多いらしい。

 養殖として知られるうなぎの卵からの育成はできないらしく、沿岸地域で稚魚を獲ることにかかっているという。乱獲と気候変動など複数の要因が重なり、ニホンウナギは絶滅危惧種とされている。ここまで述べてきて分かるようにニホンウナギという名称には自己矛盾があり、決して日本だけの魚ではない。

 養殖されるうなぎの最近は輸入されるものが多い。養魚段階で問題のある餌や薬物の使用もあると言われ、食の安全性は確保できていない。何か昔と味が違うと感じるのはそのせいかも知れない。もっともこれには科学的根拠はない。

 今年のような異常な暑さにあってはうなぎ料理は救いのような気がする。平賀源内の知恵の後に訪れたこの魚の境遇の劇的変化は、希少種となってやがては消えていく結末に至るのだろうか。暑気あたり気味の頭脳では上手くまとめることはできない。

かき氷

 かき氷というものを最近食べていない。かつてはかなり楽しみな夏のおやつだった。母が家庭用の削氷器を購入してからの数年は家庭でも作った。シロップの着色料などまったく気にせずほとんどメロンの味のしないカラフルな氷菓子を楽しんだ。

 今でも街角にかき氷の看板や幟を見ることがある。喫茶店などでも選べる。しかし、なぜかそういったものには関心が向かない。年齢のせいだろうか。

 ある程度離れていて、何かをきっかけに興味が再燃することがある。また、あの冷たい体験に復帰しようか。思案中である。

ひかえめに

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 かなりひかえめに蝉が鳴き始めた。今年は蝉が少ないと思ってしまうが、真実は蝉の鳴く季節の前に真夏の暑さが来てしまったということだ。

 蝉が鳴くと生命の高まりを感じることもあるが、騒がしくもある。しかし、あるべき風景に蝉が鳴かないと何かおかしいと感じてしまうから不思議なものだ。ニイニイゼミは年々少なくなっている気がするし、アブラゼミやミンミンとともにクマゼミも増えてきたと言われている。そのどれもがいまのところほとんど鳴いていない。

 昨日は近隣の市で出された洪水に関する避難勧告の警報音に驚かされた。被害は出ていないようだが、今後も豪雨が降る可能性はあるということなので気をつけねばなるまい。

雨が洗う

 住まいの近くはこのところ雨続きだ。強い雨ではないが、いつまでも止まない。地域によっては水害も出ていると聞く。

 通学途中の駅の土手に葛が群生しているところがある。この季節になると日々勢いを増して斜面を遡る。次々に広がる葉は、それぞれ大きくなって陽光を奪い合う。 

 いまその太陽は雨雲の上だ。それでも少しでもよい位置取りを目指すかのように緑が埋めていく。それを雨が濡らし洗っていく。来週はまた暑くなるという。