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十六夜

 昨夜は十六夜の月を見た。雲があったが時折月光がのぞいた。名月の後には様々な名前がついている。イザヨイはその中でもっとも優美な気がする。

わずかに名月

雲間に名月

 中秋の名月を期待していたが宵の口はかなりの雨が降り、無月と諦めていたが、雲間にわずかに月光が漏れた。彼岸すぎて名月の日となったのにまだ暑い。来週には秋らしくなるというが最早信じることはできなくなっている。

日にちとしての過去最高気温

 このところPCの天気予報ウィジェットに今日はこの日としての過去最高の気温になるかもしれないという意味の表示をしばしば見る。今日などはおそらくその日になるだろう。私の住む町の予想最高気温は33℃であり、過去の最高気温は2007年の31℃である。

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 ひとつ前の記事で書いたようにこれからは次第に気温は下がり続ける。10月7日ごろに夏日を脱すると予想されている。つまり10月まで夏がずれ込んでいくということになる。10年位前、将来、日本は四季がなくなり夏と冬だけになるかもしれないというテレビ番組があった。まさかと思ったが今それが現前にある。

 なんでも最高を目指すべきだとは昨今の風潮であり、そのために多くのものを犠牲にしてもいいというのが暗黙の了解になっているようだが、こと気象に関してはなるべく突出してほしくはない。寒暖を不快に思うだけならばいいが、生態系に影響が出れば、農業や漁業などが影響を受ける。その結果、食糧危機が生じれば世情の不安定化にも直結する。

 よく言われるようにこの気候変動が人間の生活に由来するものであるならば、やるべきことを始めなくてはならない。本当に持続可能エネルギーというものが存在するのかわからないが、変えられるなら変えた方がいい。少なくともいらない消費は控えるべきだろう。生産活動だけが人間が生き延びる方法だという考え方を変えなくてはなるまい。

 言うは易く行うは難しである。今ある生活の水準を下げて生きるという選択が私たちにできるのだろうか。今このようなことを書いている私は十分な照明と冷房の入った部屋の中でタブレットパソコンをインターネットにつないでいる。その電力を作っているのはおそらく化石燃料がもとであり、それは多大なエネルギーを消費して原産国からタンカーかなにかで輸入されてきたものだ。狐とか狸とか熊などの野生動物が話せるとしたら、どの口が言うとなじられそうだ。

 こういう時代はいつまで続くのだろう。ふと、そう思うことがある。私が生きている時間はもう限られているが、その後の世代は今と同じような生活ができるのだろうか。温暖化もしくは寒冷化の気候変動に耐えうるのだろうか。そんな漠然とした不安を覚えてしまう。それも今年の長すぎる猛暑のせいだ。

明日がピーク

 予報によると私の住む街の最高気温は明日34℃らしい。この数字にはすっかり慣れてしまっているので驚きはない。さらに長期予報をみるとこのあとはこの馬鹿馬鹿しい残暑は収まり、来週の中頃にはかなり秋らしくなる。最低気温が15℃近くまで下がると半袖は減るだろう。

 その意味でも明日はようやく季節の節目になりそうだ。最近は長袖ネクタイで出勤しているが明日は夏を惜しむまつりとして最後のクールビズと洒落込もう。本当はアロハシャツでも着たいところだ。暑い夏に感謝はしていないが、去ると分かれば名残惜しい。

秋の草

 朝晩は涼しくなってきた半月かそれ以上の季節の遅れを感じる。彼岸過ぎてもまだ残暑ということばが忘れられない。

 ただ駅前の土手を見上げるとさすがに秋の趣がある。俳句では秋草とかいう風景がひろがり、彼岸花があちこちに咲く。いろいろな生命の循環も混乱しているというが、そうはいっても出番を待っている生物は出演を取りやめることはできない。

 もう少し要領よく秋を迎えたいと思っていたがそうも行かず、今年度も間もなく半分が終わる。やるべきことをまずはやり、あとはそれをいかに楽しむかだ。

いつまで

 各地で日ごとの最高気温の更新がなされているらしい。昨日はいわゆる酷暑日となる35℃を超えた地域が複数観測された。今日もまたその可能性があるという。

 暑すぎる気候のせいで農産物の収穫期がずれているらしい。植物によっては気温と日照時間とが複合して成長するものが多い。だから、この気温の状況は普通の生育を阻害してしまうのだろう。動物にも大きな影響が及ぶ、植物を食べる種にとってはまさに死活問題だろう。

 人間にも同じことが言える。高温多湿へ耐性はかなり身についたものの、疲労感が蓄積していることはいかんともしがたい事実だ。コロナウイルスの流行などが再燃しつつあるのには、体力の低下が関係しているに違いない。

 いったいいつまでこの異常な暑さが続くのだろう。暑さ寒さも彼岸までというが、彼岸はあとわずかに迫っている。

渋谷に来ないで

 渋谷区長がハロウィンには渋谷に来ないでほしいとの会見をしたという。昨今の無秩序な行動に加え、ソウルの梨泰院での悲惨な事件をも踏まえた注意喚起である。経済効果よりも安全性を優先した英断であり評価したい。

 ハロウィンはもともとアメリカを中心とした子どもの行事であり、大人が異装をして酒を飲んで暴れるものではなかった。根本から間違っているのだ。まして、興奮のあまり暴徒化するのはおかしい。世間体を過度に気にして過激なことはしないのが日本人の特徴のはずなのになぜか箍が外れてしまうのだ。

 今年はいわゆるコロナ規制がなくなり、密集が許容されることに加え、海外から多くの観光客を迎えることになる。言葉の通じない一つ間違えれば本当に群衆事故が発生する。渋谷に来ないでというメッセージはかなり深刻な叫びだ。このことはもっと告知すべきだろう。

暮れやすく

 つるべ落としというまでではないが、日没の時間がだんだん早くなっていくことを実感する。仕事に追われて気がつくと窓の外が暗い。そういう季節が戻ってきた。

 暗い方がいいのかもしれない。エンドレスに仕事を続けてしまうことが少しだけ避けられるかもしれないから。あまり抑止力は強くはないが。

雨の朝

 今朝はまとまった雨になっている。そのせいもあって気温は低く久しぶりに普通の朝を迎えた気がしている。

 このところの台風の連続発生は日本の南海上の海水温が高くなっていることと関係があるらしい。気象学的にはかなり高めだと聞く。過去には9月に大きな台風が上陸して被害をもたらしたことが多い。これからどのような天災が訪れるのか危惧される。

 露出する空間についてはシンプルにまた防災の工夫を施すことが必要だ。植木鉢が飛ばない工夫くらいしか私にはできないが。

秋の気配

 いまだ酷暑が続いているが、さすがに朝晩は涼しさを感じる。絶対的な気温はまだ高いがが、暑さに慣れた身には快適さまで覚えるほどだ。

 8月の最後の日の朝は無数の虫の音で彩られている。種類が異なるコオロギごそれぞれのフレーズをリフレインしているのだ。音の立体感が風景の広さを感じさせる。

 騒がしい蝉の鳴き声に変わって草の中から響く虫の音に変わっていることも季節の移ろいを感じさせるものである。