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ゆきあい

 今日も暑かった。ただ、どうもこの暑さもそろそろ区切りとなる。彼岸までということだ。ただ、懐かしい秋はまだ先なのかもしれない。秋の風情を文学作品で語っても、若い世代には注釈が必要になる。昔の夏は8月半ばで終わっていた。新暦でも9月半ばは秋を実感していたのだと。

 詩境深まるのはやはりゆきあいの時期である。行く季節を惜しみ、来る季節におどろく。我が国の詩の世界はこれに救われてきた。そのゆきあいが昨今曖昧になり、夏冬のデジタルになりつつある。気候変動が人間の感性に及ぼす影響を危惧しているのである。

 秋の儀式がある。秋刀魚を旨く食すこと、栗飯もいい。紅葉に過剰に反応し落ち葉に心震わすこと。そうした過去の感性を高齢者は無理やり再現するのがいい。それに付き合ってくれる若い世代が少しでもいれば古典的感性は引き継がれるかもしれないから。

猛暑日最遅記録

 昨日、東京地方は最高気温35.1℃であったために観測史上最も遅い猛暑日となったらしい。この記録、まだ更新されそうなのである。

 いつまで経っても終わらない夏、一昨日は中秋の名月であったのに秋はかなり痩せている。団子を供えても風情がでない。アイスとかラムネの方がいいと思うほどだ。

 明日の最高気温予測は会社によって異なるが大半が猛暑日のアイコンをつけ、中には37℃というものまである。来週からは少しずつ気温が下がるようだが、夏の最後の足掻きは強烈なようだ。

月の面を見ることは

 今晩の月は中秋の名月にあたるという。もっとも月齢は15ではなく、満月は明日だ。太陰太陽暦の15日が今日に当たるため、実際の月齢との差が生じている。これは歴史的には普通であり、むしろ名月が満月であるときの方が少ないようだ。

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 竹取物語には満月を見るのは忌むべきことという件がある。かぐや姫の昇天を前にした場面の話であり、その分割り引かなくてはならないが、おそらく古代のある時期までには月を直接見ることは避けるべきだという考え方があったに相違ない。禁忌と崇拝は紙一重である。おそらく月に対する信仰が頂点に達すると月を見てはいけないという考え方に結び付いたのではないだろうか。

 月のない夜を闇夜というのはずいぶん詩的な表現に感じるが、人工的な光がない場所に行けば月光の明るさはとても頼もしいものに感じる。月光への依存はすぐに神格化につながり、それがやがては月光を直接見てはならないという禁忌につながることは容易に推測できる。

 月の満ち欠けを暦として使っていた時代の人々にとって、月齢は農事暦と直結する。月が生活を支えるものと感じられるのは自然の成り行きだろう。現代人はこの点についてはすっかり忘れてしまった。月齢を気にしているのはそれが記されている暦かムーンページメントのついた時計の持ち主くらいだろう。おそらく月見の行事は貴族が発見したとしても、それを真剣に伝えたのは農民たちだと考える。収穫への感謝や来年への豊作祈願の思いがこの行事を下支えしてきたのだろう。

 今晩月見ができるかどうかわからないが、この異常気象の中で何とか生活を保てていることをまずは感謝しようと思う。






鱗雲

鱗雲

 昼下がり、空を見上げると鱗雲に覆われていた。この雲の形は秋によく見られるものという。日中の暑さは残暑そのものなのだが、季節は確実な進んでいるようだ。そう思うと少し気持ちが改まる。

 

太平洋高気圧の功罪

 いつまで「残暑」が続くのかと思ってしまう。長期予報では高温傾向は10月まで継続しそうだという。秋は夏に侵食され、すぐに冬を迎えることになる。

 その原因は太平洋高気圧が日本を覆っていることにあるという。9月に入っても猛暑日となる地域があり、東京もそのわずか手前の毎日だ。夜になっても気温が落ちない。明らかに何かおかしいと感じる。

 ただこの太平洋高気圧のために台風が接近できない。結果的に台風バリアになっている。台風の外周の雨雲を防ぐことはできないが、少なくとも本州地域は台風の直撃を防げている。ならば太平洋高気圧は人間の味方なのではないか。

 

法師蝉

 気のせいかツクツクボウシの鳴き声をあまり聞かない。晩夏によく鳴くのでこの蝉が鳴くと夏休みも終わりだと感じたものだ。

 私の住まいの近くだけの現象かもしれないが、ツクツクボウシを聞くことがとても少なくなっている気がしている。これも気候変動の影響なのだろうか。それともあまりに忙しく蝉の声を聞き取る余裕がなくなっているせいなのだろうか。

残暑継続の予報

 9月に入っても暑い日が続いている。月間予報では向こう1ヶ月も残暑が続くそうだ。果たして残暑という言い方が当てはまるのか。過去の季節の概念では捉えられなくなっているのは確かだ。

 10年くらい前にテレビの天気予報の中で、将来日本には夏と冬しかなくなるかもしれないと予報士がコメントしていた。そのときは誇張に過ぎると思ったが、そうでもないようだ。物凄く暑い夏と、豪雪もある冬という嬉しくない組み合わせが増えている。

 歳時記では春と秋の季語が多く夏冬は正月を除けばかなり少ない。古今和歌集の部立でも春秋が厚く、夏冬は薄い。伝統に背く現実が迫りつつある。

ありがとう、さようなら8月

 まもなく8月も終わる。台風でかき乱された月末になった。まだ当面暑い日が続きそうだが、8月が終わったことはやはり大きな区切りになる。そこで私なりにこの季節に対して送別の言葉を述べておくこととする。

 とても暑い毎日、猛暑ということばが陳腐となり、最近は酷暑ということばも刺激が少なくなってしまった。最高気温が31℃という予報が出ると今日は少し涼しくなるなどと感じてしまっている。35℃以上が続くとそういう麻痺が起きる。また、そのように暑い日は出歩かず、冷房のもとで過ごすことも当然のようになった。かつては冷房にあたりすぎると体を壊すといって無理にでも日光に晒されたものだが、その勇気がくじかれてしまったのである。

 暑い日々は睡眠時間を奪い、集中力を搔っ攫っていった。ただでさえ、深くものを考えなくなっている最近の自分に、より刹那的な思考パターンを定着させている。このままではいけないと思い、思い立って読書をしたり、文章を書いたりしたが初志貫徹は難しかった。

 それでもとにかく何冊かの本を読み、社会のことを考え、未来について少しだが思いを馳せることができた。それは何はともあれ評価しておくべきだと思う。わずかな悪あがきだが、何もしないよりははるかにいい。そしてこれは続けなくてはなるまい。

 最近の8月は暑すぎて能率がさがる期間になっている。教員にとっては授業がないので、比較的自由に仕事ができる毎日だった。やることを自分である程度選べるということはいい。どこかに行ったわけではないが精神上は自由であり、いろいろなことをやってみようと思えた。これから仕事に追われる日々が来るが、その中でも8月の自由な精神を思い出すことを忘れないようにしよう。

 思えば、夏休みを特別な時間と思えるのも、今の仕事を続けている時までのことである。まもなく、それも終わる。きっと数年後には夏休みに過剰な期待をしていた日々を懐かしく思い出すときが来るのだろう。ありがとう8月。さようなら8月。私はまだ前に進まなくてはならない。一年後に会えることを楽しみにしている。

俳句どころではない豪雨

 ゲリラ豪雨に遭遇した。職場から駅まで小降りの方だったので結果的にはうまくやったのだが、駅につくとまさに滝のようなあめで屋根からの排水が追いつかず溢れ出していた。

 夕立というのは歳時記的な季節の風物詩だが、ここまで酷いと俳句も作れない。少し経つと止んでまた蒸し暑さが戻って来るのも何とかならないものか。

 最近は常に傘を携行している。この様子だとレインコートも持っていた方がよさそうだ。

怪獣はいないから

 台風、猛暑、地震と避けられない天災が連日のように襲いかかる。日本と言う国の宿命だが、なんとかならないものかと思う。

 子どもの頃、ウルトラマンの退治した怪獣を平和利用するというような話があった。その中で本当にあればいいと思ったのは冷気を吐く怪獣たちに台風の進路を変えたり、減衰させるというのがあった。本当にそのようなことができたとしたら、さぞかし有益なことだろう。

 怪獣がいない以上、夏は人間の方が身を引くしかない。8月の日中に屋外のスポーツをするのは控えたほうが良い。甲子園も朝夕の時間に分けたようだが、他の競技もなるべくそのようにするべきである。

 これからも酷暑が続くようだ。暑さによる疲労が毎日蓄積している。体調を気にしながら、なんとか凌ごうと考えている。