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立て直し

 急に涼しくなったせいか昨日は一時体調が急落した。少し目眩がし、貧血気味になった。暮らし方を変えなくてはならないのに、油断してしまったのである。

身体が冷えていたことに気づき上着を着ると少しおさまった。そう言えばあまり食べていないことを思い出しいつもより多めの間食を取るとさらに回復した。なんとか立て直した。

これからは風邪をひかないように、また太り過ぎないようにバランスがいる。

冷たい雨

 今朝は気温が上がらず雨も降り続いている。はっきりと季節が変わったことを感じさせる。

 昨日彼岸花のことを書いたがそういえば萩もいつの間にか開いていた。もう少しで咲きそろうのだろう。一気に進む季節には驚くばかりだ。

彼岸花の風景

 先日、近隣の町を訪れたとき、多くの彼岸花が咲いているのを見た。中には鉢植えにして玄関前で咲かせている家もあった。所によっては美しいが不吉な花とも言われているらしいが、この地域の人たちはもっと親和感を覚えているようだ。

 多くは印象的な赤だが白花もあった。球根で増えるこの植物は交配することがほとんどないらしく大半はクローンらしいが、ときに変異が生じるようだ。一斉に咲くのは同じ遺伝子で構成されているからだという。

 彼岸花の名の由来は秋の彼岸頃に咲くからという。今年は猛暑が続いたこともあり、今が見ごろということなのだろう。曼珠沙華とも言われる秋の花を楽しみたい。

ポケットが増えて

 このところ流石に涼しくなっている。10月だからあたりまえなのだが余りにも極端なので体力が追いつかない。上着を着て仕事に行くようになったが、そうすると持ち物の管理がひと手間増える。どこのポケットに入れたのか分からなくなるのだ。

 数年前から上着にはなるべくものを入れない。入れるときには同じ位置に入れることを習慣づけている。それでも慌てるとつい行方知れずの体たらくとなる。残念だが歳を重ねるほどに増えている。

 それでもまだそれを意識できているうちはいい。無頓着になりすぎると悩みは減るが損失は増える。上着を着るときは特に注意すること。必要なもの以外、持ち歩かないことなどを再認識しておきたい。

秋刀魚

そう言えばしばらく秋刀魚を食べていない。殿様が目黒で偶然食して感動したように、子どもの頃、秋刀魚は私にとっては高級魚であった。庶民の味の代表であったはずだ。

 ところが最近は事情が違う。気候変動に加え、近隣国の漁獲量が増えたことも関係して、秋刀魚は文字通りの高級魚になってしまった。出回るのは型の小さな冷凍物ばかり、秋刀魚を骨も残さずきれいに食べるのはかつては賞賛の元であったがいまは切実な問題となりつつある。

 春夫の詩をどのように読むのか。これも秋刀魚の相場と関係するような気がしてならない。秋刀魚のはらわたを食べられると大人になった気がしたのも懐かしい思い出だ。秋刀魚なんて魚も昔はよく話題になっていましたねなどと考古学的に語られる時代が来るのではないかと危惧している。

ジグザグ最高気温

 このところ最高気温がが日毎に上がったり下がったりしている。三寒四温という言葉があるが、一高一低ともいうべき感がある。

 ただ、日没が日々早まることにさすがに季節の移ろいを感じる。コオロギがかなり多くないていることに気づいた。いつの間にか秋は深まり、痩せ細った秋の束の間の時間が通り過ぎるのだろう。

九月尽

 小の月であるので今日が月末となる。強烈な残暑は下旬まで続き、最近ようやくそれらしい陽気になってきた。台風の影響でまだ一時的な暑さは続くらしい。しかし、もう半袖は片付けるときになった。

 新暦においていつからが秋なのかについて悩むことがある。かつては9月がその初めだった。夏休みが終われば秋と考えていた。それが最近はなかなか夏が終わらない。旧暦の基準でも収まらない。何しろ中秋の名月はとっくに終わってしまったのだから。

 気候変動を嘆いてばかりいられない。間もなく衆議院は解散し新内閣が組織される。石破氏に関しては様々な論があるが世間が騒ぐほどの変化はないだろう。特に経済政策について大騒ぎしている方々はおそらく変動を創出したいのに相違ない。むしろ変わりそうもないことが懸念材料と私は考える。

 秋からもいろいろなドラマが展開されそうだ。それらに振り回されず、うまく乗り切ることを目指そう。そして、あくまで他人事にしないようにしなければ。

大雨予報

 元台風の熱帯低気圧と前線の影響でこれからまとまった雨になりそうだ。今日は外出の予定があるので濡れ鼠となるのを少しでも避けることを考えなくてはなるまい。傘にレインコート、替えの靴下、そういう物の出番となりそうだ。

 最近は陽射しにしても雨にしても降り方が優しくないのが困る。そしてそれらに対応するために物入りとなり、さらには体調も崩す。健康だけはなんとか維持していきたい。

上着の恩恵

 昨日は東京の最高気温が23.7℃だったらしい。おかげで鼻水が止まらなかった。猛暑に順応していた身体にとって20℃台の温度は対応不可能なのだ。

 ようやく上着を着ることができた。暑苦しさの象徴のような格好をして、服に健康が守られていることを再認識したのである。もはやおしゃれという範疇ではない。私は衣服によって人生を守られていた。そのことを再認識したのである。

 生身の体はいかにも弱い。それをようやく救うのが衣服というものなのである。夏になるとその恩恵を忘れがちになる。でも人間の弱さというのはそこにある。

 話が大きくなった。私が言いたいのは 人間がコントロールできる気温というものはごくわずかということだ。ほんの少しの気温差で体調が変わる。それは私たちの調子が気温に左右されているということだ。

 今日はまた暑くなる予報が出ている。日中は上着を衣紋掛に掛けることになりそうだ。これも久しぶりである。

新涼

 俳句で新涼は夏の季語で夏ながら初めて秋の気配を感じたときの皮膚感覚に基づくものである。私の場合、昨夜その新涼を覚えた。9月23日のことである。

 おそらく冬の日から突然現在に訪れたなら全身で暑さを感じるに違いない。連日の猛暑に悩んできた私にとっては肌寒さで震えて仕方ないのだ。鼻水が止まらなくなっている。

 体感というものは相対的であり、暑さも寒さも結局のところ昨日との比較で感じているのに過ぎない。だから新涼という季語が9月下旬まで移動してもおかしくはない。いや、実はおかしいのだが。