投稿者: Mitsuhiro

図鑑をみていたころ

 子供の頃、図鑑を見るのが好きだった。特に昆虫や鳥類、気象、地学、天文の分野は好きで図鑑は文字通り穴が開くほど読んだ。深い意味は理解できなかったが。私が子どもだったころは高度経済成長期であり、科学技術がすべてを解決するという風潮があった。それとともに、さまざまな公害が発生し多くの悲劇を生んだ時代だ。

 知識が世の中をよくすると単純に信じられたのが私の子ども時代だ。それが多くの矛盾に直面して考え方を変えざるを得ない局面があった。ただそれがいまは通じない。人工知能に代表される高度なテクノロジー白旗を揚げて恥じない人が多数になってしまったのだ。

 図鑑をみていた頃の自分は世界の現状をひたすら受け入れ、その意味を丸暗記しようとしていた。それは大切なことなのだろうがその段階では現状への批判精神は生まれない。それができるのはもう少し上の年齢なのだろう。

 考えてみれば、今の私の知識の分類方法は子どもの頃にお世話になった図鑑の方法と似ている。意味の分節の仕方は実は幼年期に基礎学習を済ませていた。それは人生における思考活動の物差しを得たということである。その意味で幼年期の読書は意味が大きいと言える。

 謙虚な気持ちを忘れてはならない。ただ、いわゆる盲従にならないようにしなければなるまい。世界を測る物差しは時代ごとに変わる。自分が見ている風景が、支配する階層が変わればまた全く違うものになる。図鑑を見て喜んでいた時代から少し成長した者が考えることである。

昭和は良かったわけではなく

 数日前に立ち寄ったレストランで流れていた音楽がまるで昭和歌謡ばかりだった。演歌ではなく、いわゆるシティポップの類だ。楽曲は現在のものに比べるとシンプルであるが、メロディーラインがなんとも言えないよさがある。歌い手の歌唱力も要求されるものが多い。

 音楽に限らず、古き良き時代として昭和末期が取り上げられることがふえた。若い世代にとってはすでに歴史時代なのだから、かえって物珍しくものによっては魅力的なのだろう。

 ただ、その時代が理想的であったかと言われれば否としかいいようがない。バブル崩壊後の経済停滞はこの時期に路線が決まったし、様々な社会問題が湧き上がり、それを解決しないまま前進することがよいこととされた。多くの人が傷つき、その手当の手段も疎かだったというしかない。

 現在と違うのは何もかも知っているふりをする人が少なかったことかもしれない。インターネット普及以前、知識は一部の人、もしくは集団に独占され、門外漢は何も発言できなかったのだ。専門的知見が一部の有識者に独占されているのは今も変わらないが、ネット検索によって、知ったかぶりができるようになった。口先だけで批判をする者が発生したのが現代の特徴だ。

 行き先をよく知らされないまま、とにかく進めと追い立てられていたのが昭和時代だったと言える。働けば何とかなると信じていた楽観性は急速に失われたが、諦めることもない。現代人は現状を情報機器の助けを借り、人工知能の助けも借りて自分の力であるきだす必要がある。懐古趣味はほどほどにしなければなるまい。

韓国で戒厳令?

 韓国で一時戒厳令が出たというニュースに驚愕した。ユンソンニョル大統領の支持率が低下していることは報じられていたが、国会と捻じれ現象にある政権が運用困難になっていることの証だろう。

 韓国の政権交代は非常に激しく過酷だ。大統領はその末期に悲劇的結末を迎える。先のムン大統領は今のところ無事のようだが、歴代大統領の人生を調べると信じられないほど残酷である。白黒をはっきりとつける国民性も影響しているのかもしれない。今回の記事の戒厳令も切羽詰まった末の決断だろう。

 日本と決定的に違うのは戦乱がすぐ隣にあることだろう。世界的にみても対立する国家が有数の経済力や未知数の軍事力を有し、かつ対立を続けているところは少ない。日本は戦争による解決という選択肢を捨てた国だが、隣国の情勢次第では方針を変えなくてはならなくなる。まずは大韓民国が安定し、他国から付け込まれることのないようにしていただきたい。

 古代からの戦術に離間の計なるものがある。仲間同士の争いを誘発し、国力を落とし、その間に他国から攻め落とすというものだ。基本的な戦略であるのにも関わらず、これに見事に引っかかってしまう。朝鮮半島の歴史には何度も繰り返されたはずだ。もちろん日本の歴史にも枚挙にいとまがない。

 国のために政策を争うのは大いに結構だが、その度が過ぎて国益を損じることがないように祈るばかりだ。

タイヤ交換

 降雪地域に住んでいた頃はこの頃にタイヤ交換をした。実際はもう少し早い方がよかったと思うが、師走に入ってようやく手をつけたという年が多かった。スタッドレスと呼ばれる冬用タイヤは雪道や凍結した路面を走行するのに不可欠であり、私のような雪国ネイティブでない者にとっては命綱のようなものだった。

 ガソリンスタンドでも交換してもらえるが、その手間賃を払うのもケチっていた私は自分で取り替えた。最初の数年は時間がかかったが、その後は要領を得て速くできるようになった。そうは言っても寒空の中で白い息を吐きながら行う作業には抵抗があってなかなか着手しなかったのはそれが原因だった。遅くなるほど寒くなるのだが。

 本格的な降雪は数日のことで大抵は融雪装置で半ば解かされたシャーベット状の路面を走った。通勤の必要性からとは言え、よくもあのような不安定な道を走ったものだ。

 いまでもたまに運転はしているが雪道走行はできればしたくない。そんなことが言えるのは関東に住んでいるからだろうが。この時期になるとタイヤ交換のことをふと思い出す。

歌舞伎が好きだった旧友の訃報に接して

 旧友の訃報に接した。大学で知り合った彼は京都出身で多くの京都人がそうであるように東京の大学に来てからも方言を改めることはなかった。日常に京都方言に接していると、なぜか多数派であるはずの関東者が、一人のために方言に巻き込まれてしまう。

 彼の変わっていたのは大の歌舞伎好きだということだった。時々奇声を発したかと思えば歌舞伎役者の所作を演じていた。こんなことをする人はそれまでの私の周りにはいなかったので最初は驚いた。大学では歌舞伎研究会というサークルに入っていた。彼のほかに歌舞伎の身ぶりをする同級生をその後知ることになった。

 私とは色々な意味では正反対の彼だがなぜか気はあった。週に一度か二度あった大学付近での安い居酒屋の飲み会でしばしば一緒になった。今の学生は酒を飲まないそうだが、私の頃は居酒屋こそが交流の場であった。

 卒業後、彼は趣味をそのまま職業にして国立劇場の職員になった。本物であったのだ。大学院に何となく進んでしまった私はあてもなく図書館の住人というか地縛霊のような者に成り果てていたが、ある時彼が現れて調べて欲しいことがあるという。それは国立劇場で仮名手本忠臣蔵を通しで演ることになったが、暫く演じられなかった建長寺の場に掛かっている掛軸に何と書いてあるのか調べて欲しいというのだ。そして前回の公演の舞台写真を見せてくれた。

 これが不鮮明なモノクロ写真で掛軸の字も癖のある草仮名だった。何とか部分的に読み取って、国歌大観などで検索しても一向に出てこない。当時の私は根気もあったし、何よりも時間が十分にあった。恐らく和歌だろうと見当をつけ、しかも歌舞伎の舞台にかかるくらいだから有名人の作であろうと当てをつけ探し続けたところ、一休宗純の作という和歌に極めて似ていることが分かった。そこで彼にそのことを伝えたらありがとうと言って、それが正解だったのか否かを教えてもらえなかった。代わりに国立劇場の忠臣蔵公演の招待券を貰った。調べた場面ではなかったので私の努力が報われたのか、大間違いだったのかはついに分からない。鬼籍に入ってしまったのなら、答え合わせはこちらからその世界に入るまで分からない。

 彼は気さくな変わり者だったが、礼儀正しく常識もあった。京都に行くときの一泊500円という超破格な宿を教えてくれたのも彼だ。その後ソーシャルメディアで彼の情報に接することもあったが何もせずに過ごしてしまった。残念でならない。

説明過剰

 歌人のエッセイを読んでいてなるほどと思ったことがある。現在の文芸は大概が説明過剰であり、それゆえに詩歌の入り込める世界が小さくなっているとのことである。文学的な表現として説明し過ぎないという基本的な約束がある。文学で求められるのは分かりやすさではなく、表現の中にどれほどの情趣を盛り込めるのかということである。目指しているものが違うのに、最近の文学はとにかく分かりやすいというのだ。うべなるかな。

 分かりやすさを求めるのはビジネスの場面では当たり前である。多義性を極力排し、一読すればすべてが分かるというのが理想とされる。そこに含蓄は要らない。その発想が文芸にもそのまま援用されているのだろう。きわめて分かりやすいが、その分薄っぺらい出来具合になってしまう。

 この傾向の背景にあるのは、やはり読み手の読解力が低下しているということにあるだろう。分からなければ読まないという姿勢は、読解への挑戦心を削ぎ、いつしか本当に読めなくなってしまう。面倒なことはしない。非効率的だからというビジネス文書の読み方と同じになってしまうのだ。

 書き手の方もそういう読者を慮ってとにかく分かりやすく書く、技巧は最低限にして話の展開も単純にする。複雑な時は文中に注釈を入れてしまう。読者に嫌われるくらいならばその方がいいと考えてしまうのだ。こうした動向は日本語のレベルを下げることに繋がることを認識しなくてはならない。

 私は日本の事情しか分からないので、この先は推論に過ぎないか、恐らくどこの国もおおかれすくなかれ同様の背景があるのだろう。説明がなくても読み取れる教育をすることが求められている。

師走入り

 今日から12月だ。気がつけば今年ももう一月しかない。今年から始めたこともあるが、できなかったことの方がはるかに多い。しかし、この歳になったら欲張りはよくない。むしろ、始めたことがあったことを喜ぶべきだろう。

 

欠けていく記憶

 久しぶりに訪れた場所が、どこかかつてと違う。違和感を覚えながらもその原因が分からないということはよくある。記憶というものは柔らかく伸縮自在だから厄介だ。

 記憶の核となる風景や出来事、人物などが変わってしまったときはさすがに分かりやすい。だが、それより少し劣る場合は曖昧さに紛れやすい。記憶の欠損をうまく補えないまま時を過ごしてしまう。

 そのうちに何がどうなったのか分からなくなる。得られるのは概観的な印象が何か違っているということだけだ。よく分からないけれど何かが違う。分かるのはそれだけだ。

 記憶というものはかなりあやふやだし、自分の都合のいいようにいくらでも改変してしまう。そのことを自覚しないとひどい間違いをしてしまう。文字に残すとか、映像化するとか、記憶の延長策はいろいろあるが、結局本人の頭脳に残るメモリはさほど多くはないのだから、記録資料をみてもそれが本当か否かは知り得ない。

 何でも記録できると信じてしまったのは現代社会の根本的な誤りかもしれない。過去の出来事をいつまでも事実として保持できるとは限らない。少なくとも一人の人間としては。

SNS年齢制限は妥当だが

 オーストラリアの上下両院で16歳未満のソーシャルメディアの使用を制限する法案が可決された。国民からの支持も強いらしい。ソーシャルメディアに流れる情報は玉石混交であり、個人や団体への根拠薄弱な誹謗中傷も日常的に出ている。加えてAIを使ったフェイク画像、動画も多く、いわゆるメディアリテラシーがなければ虚偽の情報に翻弄されてしまう。

 オーストラリアはインターネットが非常に普及しており、若年層がソーシャルメディアの閲覧をきっかけに犯行に及んだり、自殺したりするケースが多いのだという。情報によって追い詰められた人の行動が悲惨な結末に至るのはどの国も同じようだ。

 若年層が被害に合いやすい現状では制限をかけるのも仕方がない。無法地帯に踏み込む準備ができるまでの猶予だ。ただ、これは年齢だけが解決するものではない。いくつになっても条件はあまり変わらない。SNSで繰り広げられるはかない嘘話に精神を吸い取られている人は年齢に関わらず多い。

 情報を規制されるのは大いに問題があるが、ときには自らメディアとの距離をとるのもいいのかもしれない。

こらえ時

 夕方になって少し喉が腫れているのに気づいた。風邪をひきかけているのかもしれない。ここは踏ん張らなくてはならない。年末にかけてやるべきことが山積している。例年、ここで踏みとどまるときと、発熱してしまうときとがある。こらえ時なのだ。